佐藤三二
生没 1846(弘化3)-1877(明治10)
生地
家系
実父
実母
別称
略伝
1877(明治10)年2月からの西南戦争では薩軍に属して各地を転戦。鹿児島城山まで西郷隆盛に付き従い、同年9月24日、政府軍による城山総攻撃を受けて討死した。
配役
佐藤図書
生没 1825(文政8)-1868(明治元)
生地 常陸国
家系
実父 佐藤信徳
実母 佐藤信満女
別称 佐藤信近
略伝
水戸藩(徳川家)の家老。
水戸徳川家に仕えて家老を務め、朝比奈弥太郎・市川三左衛門と並んで藩内きっての保守派として知られる。
1864(元治元)年、藩内の急進的尊王攘夷派(天狗党)が筑波山に挙兵した際にはこれと交戦して勝利を収め、三左衛門らとともに藩政の実権を掌握する。
1868(明治元)年の幕府崩壊後、天狗党の生き残りが新政府軍に属して水戸に入ると、水戸を離れて北越に逃れたが、同年5月、越後で病没した。
配役
佐藤泰然
生没 1804(文化元)-1872(明治5)
生地 武蔵国
家系
実父 佐藤藤佐
実母 ふぢ(和田氏女)
別称
略伝
松本良順の父。
公事師の子に生まれる。蘭方医足立長雋に学び、同門の後輩林洞海と長崎に留学。江戸に戻った後は私塾を開いて後進の育成にあたっていたが、1843(天保14)年、下総佐倉藩主堀田正睦の招きで佐倉に移る(塾は女婿となった洞海に譲る)。佐倉でも城下で私塾順天堂を開き、蘭方医学などを教授してその名を広く知られた。
配役
佐藤忠信
生没 1161(応保元)?-1186(文治2)
生地 陸奥国?
家系
実母 乙和(藤原清綱女)?
別称
略伝
源義経の家臣。
1180(治承4)年、義経が陸奥平泉から鎌倉の兄頼朝のもとへ馳せ参じた際に、兄継信とともに主君藤原秀衡によって義経に与えられ、以後、平氏追討軍に加わって各地を転戦する。
1185(文治元)年、義経が頼朝と不和となって追われる身となった後もこれに従っていたが、後に義経一行と離れて京都に潜伏していたところ、翌年、頼朝方の襲撃を受け、自害した。
配役
| 2尾上松之助①(34) |
碁盤忠信 吉野山雪中の格闘(1909・パテー) |
| 坂東勝五郎 |
義経千本桜(吉野山道行)(1914・天活) |
| 2尾上松之助②(44) |
義経千本桜(佐藤忠信)(1919・日活) |
| 松本田三郎(42) |
静御前(1938・新興) |
| 伴淳三郎(46) |
浮かれ狐千本桜(1954・映画) |
| 舟木洋一(24) |
新・平家物語 静と義経(1956・映画) |
| 2坂東吉弥(25) |
源九郎義経(1962・東映) |
| 阿部希郎(32) |
怪談(耳無し芳一の話)(1964・東宝) |
| 青山良彦(23) |
源義経(1966・NHK) |
| 伊藤敏孝(30) |
草燃える(1979・NHK) |
| 中村浩太郎(26) |
武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
| 船越栄一郎(31) |
源義経(1991・NTV) |
| 小林哲磨(28) |
炎立つ(1993・NHK) |
| 大森貴人(26) |
弁慶(1997・ANB) |
| 仲野 毅(37) |
弁慶(2004・TVO=テレビ大阪) |
| 海東 健(26) |
義経(2005・NHK) |
佐藤継信
生没 1158(保元3)?-1185(文治元)
生地 陸奥国?
家系
実母 乙和(藤原清綱女)?
別称
略伝
源義経の家臣。
1180(治承4)年、義経が陸奥平泉から鎌倉の兄頼朝のもとへ馳せ参じた際に、弟忠信とともに主君藤原秀衡によって義経に与えられ、以後、平氏追討軍に加わって各地を転戦する。
1185(文治元)年2月の平氏方との屋島の戦いで、義経が平教経に弓で狙撃された際にこれを察知して義経の前に立ちふさがり、討ち取られた。
配役
| 尾上栄五郎(33) |
静御前(1938・新興) |
| 河村満和 |
続源義経(1956・映画) |
| 徳大寺伸(51) |
源九郎義経(1962・東映) |
| 10岩井半四郎(39) |
源義経(1966・NHK) |
| 堀辺隆一(29) |
新・平家物語(1972・NHK) |
| 加藤健一(30) |
草燃える(1979・NHK) |
| 真夏竜吾(36) |
武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
| 哀川 翔(30) |
源義経(1991・NTV) |
| 上田雄太(28) |
炎立つ(1993・NHK) |
| 赤羽秀之(31) |
弁慶(1997・ANB) |
| 中島崇博 |
弁慶(2004・TVO=テレビ大阪) |
| 宮内敦士(36) |
義経(2005・NHK) |
| 萩原康雄(36) |
義経のスマホ(2022・NHK) 常陸坊海尊と二役 |
佐藤鉄三郎
生没 1836(天保7)-1915(大正4)
生地 常陸国
家系
実父 佐藤清剣
実母
別称 佐藤寛
略伝
水戸徳川家に仕える。
尊王攘夷派として活動し、幕府大老井伊直弼の暗殺計画に加担。1860(万延元)年3月3日、同志が江戸城桜田門外で井伊を襲撃してその殺害に成功した後、金子孫二郎とともに大坂をめざしたが、途中で捕縛されて江戸へ護送される。
翌年7月に追放処分を受けたが、翌1862(文久2)年に赦免され、その後は江戸で暮らした。
配役
佐藤藤七
生没 1807(文化4)?-1872(明治5)
生地 上野国
実父 小島藤兵衛
実母
略伝
- 小島藤兵衛の子。
- 領主小栗忠高(小栗忠順の父)に見出され、名主佐藤勘兵衛の養子となる。
- 1860(万延元)年の遣米使節団には、忠順の従者として随行。後に忠順が江戸南町奉行に就任すると、その与力を務めるなど重用された。
- 1868(明治元)年閏4月、忠順が新政府軍に捕縛・処刑される際、その立会人を務める。この行動が一部の旧臣から裏切りと見なされ、1872(明治5)年、小栗家旧臣池田伝三郎らに仇討ちと称して襲撃される。一命を取り留めたものの、ほどなくして死去した。
配役
佐藤俊宣
生没 1850(嘉永3)-1929(昭和4)
生地 武蔵国
別称 佐藤源之助
略伝
- 佐藤彦五郎の長男。土方歳三の甥。
- 1868(明治元)年、父彦五郎が春日隊を率い、土方ら甲陽鎮撫隊とともに甲斐へ出陣するも新政府軍に敗退。その際、敗走した彦五郎の行方を追及する新政府軍から厳しい取調べを受けた。
- その後、地元多摩地域で広がった自由民権運動に身を投じる。1884(明治17)年、「武蔵野叢誌」に薬の効能書きの体裁を借りた戯文広告「日東家伝勅命丸」を掲載し、政府を痛烈に風刺したため、新聞紙条例違反の罪に問われ、重禁錮3年の判決を受けて投獄された。
- 釈放後は日野郵便局長などを務めた一方で、間近で接してきた土方歳三や近藤勇ら新選組関係者の青年時代に関する数多くの証言を残した。
配役
佐藤直方
生没 1650(慶安3)-1719(享保4)
生地 備後国
実父 佐藤七郎兵衛
実母
略伝
- 備後福山藩士佐藤七郎兵衛の子。
- 山崎闇斎の門下に学び、浅見絅斎、三宅尚斎とともに「崎門三傑」と称される。
- 師である闇斎が晩年に垂加神道へと傾倒したのに対し、純粋な朱子学の維持を重んじた。修学の対象を『四書』『小学』『近思録』などの古典に厳格に限定し、朱子が説く道徳理論を信奉することで、個人の内省と修養を最優先とする厳格な学風を確立した。
- 1691(元禄4)年、備後福山藩主水野勝種に招かれて江戸へ下向。以後、多くの大名から賓師として厚遇を受け、江戸を拠点に広く講義を行った。
- 1702(元禄15)年の大石内蔵助ら赤穂浪士の吉良邸討入りに際しては、当時の世論が義士として称賛する中で、浪士の行為を「私憤による非義」として厳しく批判したことで知られる。
配役
佐藤のぶ
生没 1831(天保2)-1877(明治10)
生地 武蔵国
実父 土方義諄
実母 恵津
別称 おのぶ
略伝
- 豪農土方義諄の四女。土方歳三の姉。
- 幼少期に相次いで両親を亡くした弟歳三の養育にあたる。
- 1844(弘化元)年、佐藤彦五郎に嫁ぐ。彦五郎が武蔵日野の自宅に天然理心流の道場を開設すると、弟の歳三をはじめ、若き日の近藤勇や沖田総司ら、後に新選組を結成する若者たちの世話を焼いたという。
- 1868(明治元)年、新選組が甲陽鎮撫隊として甲斐へ出陣した際には、彦五郎も春日隊を率いて参戦。しかし、勝沼の戦いで新政府軍に大敗を喫すると、日野宿も戦火の脅威にさらされ、一時は一家離散の極限状態に陥る憂き目に遭った。
配役
| 岩島道枝 |
新選組血風録(1965・NET) |
| 中畑道子(45) |
燃えよ剣(1966・松竹) |
| 鳳八千代(37) |
燃えよ剣(1970・NET) |
| 佐野アツ子(42) |
燃えよ剣(1990・TX) |
| 浅田美代子(48) |
新選組!(2004・NHK) |
| 坂井真紀(51) |
燃えよ剣(2021・東宝) |
| 馬場園梓(40) |
土方のスマホ(2021・NHK) |
佐藤彦五郎
生没 1827(文政11)-1902(明治35)
生地 武蔵国
実父 佐藤彦右衛門
実母 マサ(土方義諄妹)
別称 佐藤俊正
略伝
- 名主佐藤半次郎の長男。武蔵日野で代々名主を務める佐藤家の当主。
- 1850(嘉永3)年、天然理心流の3代目近藤周助の門人となり、自宅の一角に道場を開設。ここに義弟土方歳三をはじめ、若き日の近藤勇や沖田総司らが集った。
- 1862(文久2)年にコレラが流行した際には、私財を投じて領民の救済にあたる。また、1866(慶応2)年の武州一揆では、自ら名主として鎮圧の先頭に立ち、地域の治安維持に尽力した。
- この間の1863(文久3)年、近藤や土方らが上洛して新選組を結成すると、終始その活動を資金面から援助し続けた。1868(明治元)年、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ撤退した新選組が甲陽鎮撫隊として再編され甲斐へ出陣した際にも、兵糧の調達を請け負うだけでなく、自らも春日隊を組織してこれに加わった。
- 明治維新後は、日野町長や南多摩郡長などを歴任した。
配役
佐藤基治
生没 1113(永久元)?-1189(文治5)?
生地 陸奥国?
家系
実父 佐藤師治?
実母 藤原公景女
別称
略伝
奥州藤原氏の家臣。
佐藤継信・忠信兄弟の父。藤原基衡・秀衡・泰衡の藤原家3代に仕え、陸奥大鳥城を本拠にして陸奥南部を治めていたが、1189(文治5)年の源頼朝の陸奥侵攻の際にこれと戦って討死したという。
配役
| 熊谷 武 |
続源義経(1956・映画) |
| 高橋正夫(53) |
源義経(1966・NHK) |
| 新井量大(56) |
武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
大出 俊(64) 加世幸市(54) |
義経(2005・NHK) |
佐藤与之助
生没 1821(文政4)-1877(明治10)
生地 出羽国
家系
実父 佐藤与兵衛
実母
別称 佐藤政養
略伝
学問に秀で、1853(嘉永6)年より江戸に出て、後に勝麟太郎の下で砲術などを学ぶ。1855(安政2)年には故郷出羽庄内藩の砲術方に任ぜられ、後に長崎海軍伝習所に入って測量術や航海術などを修得。その後、その才能を買われて幕府軍艦操練所蘭書翻訳方を務め、神戸海軍操練所では勝の委託を受け、諸事を取り仕切った。
維新後は新政府に出仕し、東京・神奈川間における鉄道敷設のための測量調査などに従事した。
配役
| 北浦昭義(40) |
勝海舟(1974・NHK) |
| 有薗芳記(50) |
龍馬伝(2010・NHK) |
| 鳥谷宏之(42) |
青天を衝け(2021・NHK) |