いちかわ・えびたろう
【生没】1852(嘉永5)-1903(明治36)
【生地】
【実父】
【実母】
【別称】六代目?市川鰕十郎
【略伝】
幼少時に中村梅若の門人となり、中村梅笑と称する。1869(明治2)年に五代目市川鰕十郎の門人となって市川鰕太郎を名乗る。1888(明治21)年の五代目の死後、その未亡人の養子となり、1897(明治30)年に鰕十郎を襲名。大阪で「老役の調法人」と称されたという。
【配役】
いちかわ・こん
【生没】1915(大正4)-2008(平成20)
【生地】三重県
【実父】
【実母】
【略伝】
はじめ画家を志していたが、1933(昭和8)年にJ.O.スタヂオに入り、アニメーターなどとして勤務する。
戦後はアニメーションから実写に転じ、1948(昭和23)年、新東宝の「花ひらく」で初めて監督を務める。その後、「こころ」、「野火」、「破戒」などの文芸作品を監督して好評を博し、1959(昭和34)年公開の「鍵」ではカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、世界的にもその名を知られる。
1964(昭和39)年の東京五輪では、記録映画の監督を担当。その後、テレビでも「犬神家の一族」をはじめとする横溝正史作品などで監督を務めてヒット作を世に送り、1994(平成6)年には文化功労者に選ばれた。
【配役】
いちかわ・ごんじゅうろう
【生没】1848(嘉永元)-1904(明治37)
【生地】山城国
【実父】伊勢屋喜三郎
【実母】
【略伝】
1858(安政5)年、嵐瑠喜丸の名で初舞台を踏む。その後、嵐瑠喜松に改め、地方を巡業する。
1864(元治元)年、二代目嵐璃珏(二代目嵐芳三郎)の養子となって、三代目嵐芳三郎を襲名。後に江戸に出るが、1871(明治4)年、情婦お絹の毒殺事件に関係して投獄される。
1874(明治7)年に赦免され、二代目権十郎を襲名。東京を拠点に全国各地で公演したが、1904(明治37)年3月に病のために廃業し、ほどなくして没した。
【配役】
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林 昭夫(55) |
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春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・さんざえもん
【生没】1816(文化13)-1869(明治2)
【生地】常陸国
【実父】市川弘教
【実母】岡部忠蔵女
【別称】市川弘美
【略伝】
水戸藩(徳川家)の家老。
水戸徳川家に仕えて家老を務め、朝比奈弥太郎・佐藤図書と並んで藩内きっての保守派として知られる。
1864(元治元)年、藩内の急進的尊王攘夷派(天狗党)が筑波山に挙兵した際にはこれと交戦して勝利を収め、執政となって図書らとともに藩政の実権を掌握する。しかし、1868(明治元)年の幕府崩壊後、天狗党の生き残りが新政府軍に属して水戸に入ると、脱藩して北越、会津に転じ、新政府軍に抗戦。同年9月に水戸へ戻ったが敗れ、その後江戸に潜伏していたが、翌年2月、水戸藩の追手に捕縛され、4月に水戸で処刑された。
【配役】
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瀬川路三郎(30) |
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歓楽の贄(1924・マキノ) |
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高堂国典(45) |
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愿蔵火事 間諜お辰の巻(1932・右太プロ) |
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嵐 大吉 |
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小松龍三 後篇(1932・映画) |
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立川雄三(35) |
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天皇の世紀(1971・ABC) |
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川辺久造(66) |
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徳川慶喜(1998・NHK) |
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神農直隆(40) |
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青天を衝け(2021・NHK) |
いちかわ・じゅかい
【生没】1886(明治19)-1971(昭和46)
【生地】東京府
【実父】市川力蔵
【実母】
【別称】六代目市川寿美蔵
【略伝】
五代目市川小団次の門人となり、1894(明治27)年に市川高丸の名で初舞台を踏む。
1903(明治36)年に市川小満之助と改め、後に五代目市川寿美蔵の養子となって市川登升と改め、1907(明治47)年、六代目市川寿美蔵を襲名。その後、二代目市川左団次とともに自由劇場に参加するが、1922(大正11)年に童話劇団小寿々座を創設した。
戦後、関西歌舞伎に移り、1949(昭和24)年に三代目寿海を襲名。関西歌舞伎では、その退潮傾向の中、舞台の確保など悪戦苦闘したが、1960(昭和35)年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定され、歌舞伎界の長老として長く活躍した。
なお、養子に八代目市川雷蔵(俳優)がある。
【配役】
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関 輝雄(32) |
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春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・しんじゅうろう
【生没】1867(慶応3)-1929(昭和4)
【生地】武蔵国
【実父】
【実母】
【別称】市川団七
【略伝】
1874(明治7)年、九代目市川団十郎の門人として市川福之助の名で初舞台を踏む。
1894(明治27)年に市川団七、1899(明治32)年に三代目市川新十郎を襲名。その一方で、東京俳優学校の講師も務めた。
【配役】
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照井克也(28) |
…… |
春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・すみぞう
【生没】1902(明治35)-1985(昭和60)
【生地】東京市
【実父】二代目市川団九郎
【実母】
【別称】二代目市川団次郎
【略伝】
幼少のころより小山内薫に学び、1912(大正元)年、市川登美三郎の名で初舞台を踏む。1919(大正8)年には二代目市川団次郎を名乗り、後に小山内らとともに新劇運動に加わる。
戦後は関西に移り、1949(昭和24)年に七代目市川寿美蔵を襲名。関西歌舞伎の幹部として長く活躍した。
【配役】
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柳田 豊(55) |
…… |
春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・だいすけ
【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
織田家の家臣。
織田信長に弓を教えた武将としてその名を知られた。
【配役】
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名古屋章(35) |
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太閤記(1965・NHK) |
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大門正明(39) |
…… |
武田信玄(1988・NHK) |
いちかわ・だんじゅうろう
【生没】1660(万治3)-1704(宝永元)
【生地】武蔵国
【実父】菰の十蔵
【実母】お時(遅蒔重兵衛女)
【別称】初代市川海老蔵
【略伝】
山村座座元山村浄閑の紹介で1671(寛文11)年に歌舞伎に入門し、父重蔵の親友唐犬権兵衛の命名で市川海老蔵を襲名する。
1673(延宝元)年、「四天王稚立」に出演し、坂田公時役で人気を得る。1675(延宝3)年に段十郎に改名し、1693(元禄6)年の「新撰殺生石」から団十郎を名乗る。同年、子の市川九蔵(二代目市川団十郎)とともに京都に上って興行を行ない、これが江戸歌舞伎俳優の京都上演の始まりという。このとき上方の名優坂田藤十郎の公演観覧を所望したが、病気休演中で叶わず、京都の茶屋で会見。その立ち居振るまいから芸の神髄を感じとり、江戸へ戻って後、江戸の役者に対し、藤十郎の存命中は上京をやめるよう厳命したという巷説が残っている。
1704(宝永元)年2月、市村座の公演で「移徒十二段」で佐藤継信を演じていた際、舞台上で役者生島半六に刺殺された。
なお、当たり芸は「鳴神」、「不動」、「暫」など。荒事の名人と呼ばれ、神仏妖怪役などにも定評があった。
【配役】
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2尾上松之助(39) |
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市川団十郎(1914・日活) |
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椿三四郎①(30) |
…… |
恋山彦 怒涛の巻(1937・映画) |
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椿三四郎②(30) |
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恋山彦 風雲の巻(1937・映画) |
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進藤英太郎(55) |
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旗本退屈男 謎の怪人屋敷(1954・映画) |
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12市川団十郎①(39) |
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花道は炎のごとく(1985・NTV) |
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12市川団十郎②(53) |
…… |
元禄繚乱(1999・NHK) |
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西川扇里治 |
…… |
大奥(2023・NHK) |
いちかわ・だんじゅうろう
【生没】1838(天保9)-1903(明治36)
【生地】武蔵国
【実父】七代目市川団十郎
【実母】ため
【略伝】
生後間もなく六代目河原崎権之助の養子となり、1843(天保14)年に三代目河原崎長十郎の名で初舞台を踏む。
1869(明治2)年に河原崎権十郎、1874(明治7)年には九代目市川団十郎を襲名。風采が立派で音調と弁舌に優れていたとされ、歌舞伎の近代化にも貢献。不世出の大役者と持て囃されたという。
【配役】
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3市川小文治(42) |
…… |
明治一代女(1935・映画) |
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2河原崎権十郎(64) |
…… |
団十郎三代(1944・映画) |
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大山克巳(55) |
…… |
春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・だんしろう
【生没】1855(安政2)-1922(大正11)
【生地】武蔵国
【実父】坂東三太郎
【実母】
【別称】初代市川猿之助
【略伝】
はじめ十三代目市村羽左衛門(五代目尾上菊五郎)の弟子となって市村長松を称し、翌年、初舞台を踏む。その後、五代目坂東彦三郎、次いで七代目河原崎権之助(後の九代目市川団十郎)の門人となるが、東京中島座での「勧進帳」で師匠に無断で弁慶を演じて破門された。
1890(明治23)年にようやく破門を解かれ、市川猿之助を名乗る。1910(明治43)年には二代目市川段四郎を襲名、市川家の重鎮として活躍した。
なお、子の二代目猿之助(市川猿翁)・八代目市川中車・二代目市川小太夫は、いずれも歌舞伎役者・俳優として活躍した。
【配役】
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菅野菜保之(46) |
…… |
春の波涛(1985・NHK) |
いちかわ・やましろ
【生没】
【生地】若狭国
【実父】市川定照
【実母】
【別称】市川信定
【略伝】
山内家の家臣。
若狭武田家に仕えていたが、その滅亡後は近江長浜城主となった山内一豊に仕え、弓の名手として知られた。
1600(慶長5)年には、徳川家康による上杉景勝征討の軍勢に加わって東下していた一豊に、大坂にあったその正室千代の護衛を命じられ、禰宜に変装して大坂へたどり着いたという。
【配役】