藤田小四郎
ふじた・こしろう

【生没】1842(天保13)−1865(慶応元)
【生地】常陸国
【実父】藤田東湖
【実母】さき(土岐氏女)
【略伝】
 水戸藩士。
 藤田東湖の四男。父東湖の影響により尊王攘夷思想に傾斜し、1863(文久3)年に藩主徳川慶篤に従って上洛すると、長州藩士桂小五郎らとの交流を通じて次第に活動を活発化させる。
 翌年、攘夷に踏み切れぬ幕府に対し、藩内の急進的尊王攘夷派(天狗党)を率いて筑波山に挙兵するが、幕府や水戸藩の攻撃を受けて潰滅。ともに挙兵した武田耕雲斎らとともに京都へ上ろうとするが、その途中、越前で加賀藩の攻撃を受けてこれに降伏し、翌1865(慶応元)年2月、同国敦賀にて処刑された。
【配役】
嵐冠三郎(46) …… 歓楽の贄(1924・マキノ)
春路謙作(27) …… 護国の鬼(1927・映画)
市川市丸(21) …… 宣戦布告(1927・映画)
近松英三郎(22) …… 天狗騒動記(1927・映画)
2片岡左衛門(29) …… 天狗騒動記(1930・映画)
市川右門 …… 愿蔵火事 間諜お辰の巻(1932・右太プロ)
菊地双三郎 …… 小松龍三 後篇(1932・映画)
若杉英二(28) …… 美男天狗党(1954・映画)
峰岸隆之介(28) …… 天皇の世紀(1971・ABC)
田辺誠一(29) …… 徳川慶喜(1998・NHK)
藤原季節(28) …… 青天を衝け(2021・NHK)

藤田権兵衛
ふじた・ごんべえ

【生没】1814(文化11)−1877(明治10)
【生地】若狭国
【実父】
【実母】
【略伝】
 若狭小浜藩士。
 小浜藩(酒井家)に仕える。藩主酒井忠義の信任厚く、京都所司代となった忠義の命を受け、公用人として将軍徳川家茂への皇女皇宮の降嫁実現などに奔走したが、後に忠義の勘気をこうむって失脚した。
【配役】
幸田宗丸(51) …… 天皇の世紀(1971・ABC)

藤田さと
ふじた・さと

【生没】1815 (文化12)−1892(明治25)
【生地】
【実父】山口正徳
【実母】
【別称】藤田里子
【略伝】
 藤田東湖の妻。
 1831(天保2)年に藤田東湖に嫁ぐ。三男四女をもうけ、東湖の庶子小四郎も生後すぐに引き取って養育した。
【配役】
三条利喜江(29) …… 維新前夜(1941・東宝)

藤田伝五郎
ふじた・でんごろう

【生没】?−1582(天正10)
【生地】美濃国
【実父】
【実母】
【別称】藤田行政
【略伝】
 明智光秀の家臣。
 光秀に仕えて各地を転戦。1582(天正10)年6月2日、光秀に従い京都本能寺を襲撃して織田信長を自害に追い込み、その後の山崎の戦いに際しては、光秀の与力で戦況を傍観していた筒井順慶の説得に向かうも不首尾に終わり、明智勢が敗走する中、自害して果てた。
【配役】
光枝明彦(28) …… 太閤記(1965・NHK)
中村元則(36) …… 春日局(1989・NHK)
中村元則(39) …… 信長(1992・NHK)
草見潤平(38) …… 戦国武士の有給休暇(1994・NHK)
徳重 聡(42) …… 麒麟がくる(2020・NHK)

藤田東湖
ふじた・とうこ

【生没】1806(文化3)−1855(安政2)
【生地】常陸国
【実父】藤田幽谷
【実母】沢氏女
【略伝】
 水戸藩士。
 1827(文政10)年の父幽谷の死により家督を継承し、水戸徳川家に仕える。
 1829(文政12)年に生じた藩主後継問題では徳川斉昭の擁立に奔走し、斉昭の藩主就任後はその片腕として藩政改革を推進。戸田忠太夫とともに「水戸の両田」と称されたが、1844(弘化元)年の斉昭の隠居・謹慎に連座して免職される。
 1850(嘉永3)年に赦免されて藩政に復帰し、後に幕政参与に就任した斉昭を輔佐。その一方で、水戸学の大家として西郷吉之助ら多くの志士に影響を与えるが、1855(安政2)年10月2日、江戸を襲った大地震で圧死した。
【配役】
松本泰輔(42) …… 変化如来(1937・映画)
秋月 竜 …… 橋本左内(1938・映画)
月形龍之介(39) …… 維新前夜(1941・東宝)
山形 勲(43) …… 葵秘帖(1958・映画)
中村竜三郎(32) …… 東海道弥次喜多珍道中(1959・新東宝)
明日香実 …… 弥次喜多珍道中 中仙道の巻(1960・新東宝)
岡田英次(44) …… 西郷隆盛(1964・CX)
大山克巳(60) …… 翔ぶが如く(1990・NHK)
渡辺裕之(43) …… 徳川慶喜(1998・NHK)
津川雅彦(72) …… 陽だまりの樹(2012・NHK)
渡辺いっけい(59) …… 青天を衝け(2021・NHK)

藤田信吉
ふじた・のぶよし

【生没】1559(永禄2)−1616(元和2)
【生地】武蔵国
【実父】藤田康邦?
【略伝】
 父といわれる康邦の没後、その婿養子となっていた氏邦(北条氏康の子)が家督を継承していたため、藤田家を離れて武田勝頼に属し、上野沼田城主を務める。
 1582(天正10)年の武田家滅亡後は新たに上野に入った滝川一益、一益の上野撤退後は越後の上杉景勝に仕え、1598(慶長3)年の景勝の会津への移封後は陸奥津川城主に任ぜられる。
 同年の豊臣秀吉の没後、景勝が徳川家康との対立を深める中、景勝の使者として家康と対面した際には家康の詰問を受けて弁明に努めるが、石田三成と懇意で主戦派の上杉家家老直江兼続と対立。やがて家中での立場を失って出奔し、京都大徳寺に入って剃髪した。
 1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い後、家康に召し出されて下野西方1万5000石を与えられたが、1615(元和元)年、大坂夏の陣で軍監を務めた榊原康勝勢の指揮失敗を責められて改易され(理由には諸説あり)、翌年、信濃奈良井で没した。自害ともいう。
【配役】
和田 周(62) …… 葵 徳川三代(2000・NHK)

大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典
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