赤松大三郎
あかまつ・だいざぶろう

【生没】1841(天保12)-1920(大正9)
【生地】武蔵国
【実父】吉沢政範
【実母】
【別称】赤松則良
【略伝】
 江戸幕府の旗本。
 1853(嘉永6)年より伊豆下田で江川太郎左衛門に砲術や兵学を、1857(安政4)年には長崎海軍伝習所に入って航海術などを学び、1860(万延元)年には幕府使節の一員として咸臨丸で渡米する。
 1862(文久2)年からはオランダに留学。幕府崩壊後の1868(明治元)年に帰国し、後に新政府に出仕する。海軍造船会議議長や貴族院議員などを務める一方、海軍中将に進み、佐世保鎮守府司令長官や横須賀鎮守府司令長官などを歴任した。
【配役】
中村方隆(34) …… 勝海舟(1974・NHK)
川鶴晃裕(26) …… 勝海舟(1990・NTV)
上村海成(24) …… 青天を衝け(2021・NHK)

赤松則祐
あかまつ・のりすけ

【生没】1314(正和3)-1371(建徳2・応安4)
【生地】
【実父】赤松則村
【実母】
【略伝】
 播磨などの守護。
 はじめ比叡山で僧となっていたが、1331(元弘元・元徳3)年、天台座主を務めていた護良親王が鎌倉幕府に対して挙兵するとこれに加わり、各地を転戦。1333(元弘3・正慶2)年の幕府崩壊後は父円心(則村)とともに足利尊氏に属し、1336(延元元・建武3)年に尊氏が後醍醐天皇方に敗れて九州へ落ちた際には、円心とともに播磨で帝方の新田義貞らの西進を阻む戦功を立てる。
 1350(正平5・貞和6)年に円心が没し、家督を相続した兄範資も翌年に急死したため、家督と播磨などの守護職を継承。その後、一時南朝方に転じたが、やがて尊氏とその子義詮に帰参し、南朝方と交戦を続けた。
【配役】
市川男女之助(27)…… 吉野勤王党(1939・映画)
齋藤 拓(16)→斎藤志郎(35)…… 太平記(1991・NHK) 青年時は後醍醐帝(片岡孝夫)の笠置山籠城に加わる

赤松則尚
あかまつ・のりなお

【生没】1425(応永28)-1455(享徳4)
【生地】
【実父】赤松祐尚
【実母】
【略伝】
 赤松満祐の甥。
 1441(嘉吉元)年の嘉吉の乱では、幕府に対して叛旗を翻した伯父満祐に従い幕府方と交戦を続けたが、後に赦免される。
 1455(享徳4)年、赤松家旧領の奪回を期して挙兵するが、山名宗全の攻撃を受け、同年5月、備前鹿久居島で自害して果てた。
【配役】
小林大介 …… 花の乱(1994・NHK)

赤松則村
あかまつ・のりむら

【生没】1277(建治3)-1350(正平5・貞和6)
【生地】
【実父】赤松茂則
【実母】
【別称】赤松円心
【略伝】
 播磨の守護。
 1331(元弘元・元徳3)年、護良親王が鎌倉幕府に対し挙兵すると、これに加わって各地を転戦し、京都攻略などで活躍する。しかし、幕府崩壊後の後醍醐天皇の新政で恩賞面などに不満を持ち、やがて本領播磨へ帰国。その後、天皇との対立を深めた足利尊氏に属し、1336(延元元・建武3)年に尊氏が後醍醐天皇方に敗れて九州へ落ちた際には、播磨白旗城に籠城して帝方の新田義貞らの西進を阻む戦功を立て、後に播磨守護に任ぜられる。1349(正平4・貞和5)年に表面化した幕府の内紛でも尊氏方に属した。
【配役】
荒木 忍(48) …… 吉野勤王党(1939・映画)
志賀靖郎(50) …… 菊水太平記(1939・映画)
渡辺 哲(41) …… 太平記(1991・NHK)

赤松広秀
あかまつ・ひろひで

【生没】1562(永禄5)−1600(慶長5)
【生地】播磨国
【実父】赤松政秀
【実母】
【別称】斎村政広
【略伝】
 播磨龍野城主。
 1570(元亀元)年の父政秀の死により、家督を継承して龍野城主となる。
 1577(天正5)年、播磨に進出した羽柴秀吉に降伏。その後、秀吉に随って各地を転戦し、1585(天正13)年に但馬竹田城主(2万2000石)となる。
 1598(慶長3)年の秀吉の死後、徳川家康石田三成の対立が深まると石田方に属し、1600(慶長5)年7月には、徳川方に属した丹後田辺の細川幽斎への攻撃に加わる。その後、関ヶ原での石田方の敗戦を受けて徳川方へ転じ、石田方の宮部長房が拠る鳥取城の攻撃に当たったが、鳥取城下を焼き払ったことで家康に咎められ、同年10月に切腹させられた。
【配役】
野杁俊希(25) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

赤松政則
あかまつ・まさのり

【生没】1455(康正元)-1496(明応5)
【生地】
【実父】赤松時勝
【実母】
【略伝】
 室町幕府の侍所頭人。
 赤松家は1441(嘉吉元)年の嘉吉の乱以来没落していたが、1458(長禄2)年に旧臣上月左近将監らによって赤松家が再興された際、当主に擁立され、加賀守護職などに任ぜられる。
 1467(応仁元)年からの応仁の乱では、岳父細川勝元が率いる東軍に属し、旧領播磨の守護職を解かれた山名宗全に代わり、念願の播磨などの守護職に復帰。あわせて美作・備前守護職にも任ぜられ、1471(文明3)年には幕府侍所頭人となる。
 応仁の乱後は山名家との交戦を経て領内を安定させるが、次第に求心力を失って家臣浦上則宗の台頭を許した。
【配役】
渡 浩行(27) …… 花の乱(1994・NHK)

赤松政秀
あかまつ・まさひで

【生没】?-1570(元亀元)
【生地】
【実父】赤松村秀
【実母】
【略伝】
 播磨龍野城主。
 赤松政則の曽孫ともいう。赤松本家の当主で岳父の赤松晴政を支え、これと反目する赤松家家臣浦上政宗としばしば交戦。1564(永禄7)年に政宗を急襲して討ち取るも、翌年の晴政の死後はその後継義祐と相容れず、義祐を支える赤松家家臣小寺政職との対立を深める。
 1569(永禄12)年、小寺家の家臣黒田官兵衛を討つべくその本拠播磨姫路に侵攻するも、黒田勢の奇襲を受けて惨敗。備前から浦上宗景(政宗の弟)が進出するとこれに降り、翌年11月、宗景の命により毒殺されたという。
【配役】
団 時朗(65) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

赤松満祐
あかまつ・みつすけ

【生没】1381(弘和元・永徳元)?-1441(嘉吉元)
【生地】
【実父】赤松義則
【実母】
【略伝】
 室町幕府の侍所頭人。
 父義則同様に幕府侍所頭人を務めていたが、1427(応永34)年の家督相続の際、将軍足利義持がこれを認めず、義則が務めていた播磨守護職なども継承できなかったことから播磨に帰国。しかし、翌年、義持が急死し、やがて播磨などの守護職に任ぜられる。
 その後、侍所頭人に復帰して幕政の枢機に参画するが、有力大名の粛清を進める将軍足利義教との関係が次第に悪化し、1441(嘉吉元)年6月、自邸に招いた義教を暗殺。その後、播磨へ戻るが、翌7月より山名持豊(宗全)を主力とする幕府方の追討を受け、同年9月、城山城にて自害した(嘉吉の乱)。
【配役】
北九州男(60) …… 花の乱(1994・NHK)

大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典
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