じんぼ・くらのすけ
【生没】1816(文化13)−1868(明治元)
【生地】陸奥国
【実父】神保経周
【実母】
【別称】神保利孝
【略伝】
会津藩(松平家)の家老。
会津藩に仕えて若年寄などを務め、1863(文久3)年に家老に就任。この年、京都守護職を務める主君松平容保を輔佐すべく上洛し、翌年の蛤御門の変(禁門の変)では、真木和泉を山城・摂津国境の天王山で自刃に追い込む活躍をみせる。
その後、帰国して藩政に携わり、1868(明治元)年8月、新政府軍が会津に迫ると、若松城下の守備に当たる。同23日、新政府軍が城下に突入すると、これに抗戦するが、市街戦の中、田中土佐とともに自害して果てた。
【配役】
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丹波哲郎(64) |
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白虎隊(1986・NTV) |
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ベンガル(56) |
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白虎隊(2007・EX) |
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石田太郎(69) |
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白虎隊 敗れざる者たち(2013・TX) |
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津嘉山正種(69) |
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八重の桜(2013・NHK) |
じんぼ・しゅり
【生没】1834(天保5)−1868(明治元)
【生地】陸奥国
【実父】神保内蔵助
【実母】
【別称】神保長輝
【略伝】
会津藩士。
会津藩(松平家)に仕え、1862(文久2)年、京都守護職に任ぜられた藩主松平容保に従って上洛。京都では容保の側近として諸藩の藩士と交流を深めた一方、1866(慶応2)年には長崎に遊学して見識を深めた。
1868(明治元)年1月に勃発した鳥羽伏見の戦いでは、徹底して容保に非戦論を説き、これが容保を通じて将軍徳川慶喜に江戸帰還を決意させる原因となったという。しかし、江戸帰還後、藩邸内でこれらの責任を問う声が高まり、翌2月、自害して果てた。
【配役】
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香川良介(71) |
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三姉妹(1967・NHK) |
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山本 清(44) |
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新選組始末記(1977・TBS) |
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国広富之(33) |
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白虎隊(1986・NTV) |
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萬 雅之(37) |
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白虎隊 敗れざる者たち(2013・TX) |
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斎藤 工(32) |
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八重の桜(2013・NHK) |
じんぼ・ながもと
【生没】
【生地】越中国?
【実父】神保慶宗
【実母】
【別称】神保良春
【略伝】
富山城主。
神保長誠の孫。没落した神保家を再興して富山城を築き、松倉城主椎名康胤らと越中の支配をめぐって激しく争う。
武田信玄と通じて隣国越後の上杉謙信を牽制するも、1560(永禄3)年3月、謙信の攻撃を受けて富山城を追われ、増山城に退く。その後も信玄の後援を受け、一向一揆と連携しつつしばしば謙信と交戦したが、やがて家中が武田派と上杉派に分裂し、その勢力は衰退した。
なお、海音寺潮五郎『天と地と』では、富山城主神保氏春として登場する。
【配役】
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安部 徹(52) |
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天と地と(1969・NHK) |
じんぼ・ながのぶ
【生没】?−1501(文亀元)
【実父】神保国宗
【略伝】
畠山政長の家臣。
畠山政長に仕え、政長の領国越中の守護代を務める。1467(応仁元)年からの応仁の乱では政長に従って奮戦し、後に越中に戻った。
1493(明応2)年、管領細川政元により政長が滅ぼされ、将軍足利義材が廃立された際には、幽閉先を脱出した義材を本拠越中放生津城に匿った。
【配役】
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五代高之(38) |
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花の乱(1994・NHK) |
じんぼ・ゆき
【生没】1843(天保14)−1868(明治元)
【生地】陸奥国
【実父】井上丘隅
【実母】井上とめ
【別称】神保雪子
【略伝】
神保修理の妻。
井上丘隅の次女。神保修理に嫁ぐが、1868(明治元)年2月、会津藩の上方からの撤退の責めを負って修理が自害する。
その後、会津に戻り、1868(明治元)年8月23日、新政府軍が若松城下に侵攻すると、父丘隅らとともに実家での自決を望むが、丘隅らに諭されて果たせず、娘子隊に加わって新政府軍相手に奮戦。同25日の戦闘で新政府軍に捕縛されたが、その意を酌んだ土佐藩士吉松速之助より短刀を与えられ、自害して果てた(討死とも)。
【配役】
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池上季実子(27) |
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白虎隊(1986・NTV) |
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芦名 星(30) |
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八重の桜(2013・NHK) |