おくだいら・いえまさ
【生没】1577(天正5)−1614(慶長19)
【生地】三河国
【家系】奥平氏
【実父】奥平信昌
【実母】亀
【別称】
【略伝】
下野宇都宮藩主。
奥平信昌の長男。徳川家康の外孫。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの後に父信昌が上野小幡3万石から美濃加納10万石に移されると、翌年2月に小幡を与えられたが、同年末に宇都宮10万石に移される。
1614(慶長19)年の大坂冬の陣には病のために出陣できずに江戸城の留守居を命じられたが、同年10月、信昌に先立って病没した。
【配役】
おくだいら・さだはる
【生没】?−1600(慶長5)
【生地】三河国?
【家系】奥平氏
【実父】奥平貞勝
【実母】
【略伝】
奥平貞能の弟。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは徳川家康に従って出陣。本戦の最中、小早川秀秋へ徳川方への寝返りを促す使者となって小早川陣へ赴き、小早川勢の寝返りとともに敵陣に突入するが、討死した。
【配役】
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簗 正昭(38) |
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徳川家康(1983・NHK) |
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渡辺 哲(35) |
…… |
真田太平記(1985・NHK) |
おくだいら・さだよし
【生没】1537(天文6)−1598(慶長3)
【生地】三河国
【家系】奥平氏
【実父】奥平貞勝
【実母】水野清忠女
【別称】奥平美作守
【略伝】
三河作手城主。
はじめ今川家に属していたが、1560(永禄3)年に今川義元が尾張桶狭間に横死すると、徳川家康に属して各地を転戦。しかし、本拠の東三河が次第に武田信玄の脅威にさらされると、父貞勝がこれに属したため、自らもこれに従う。
1573(天正元)年の信玄没後は再び徳川家に属したため、しばしば武田勢の侵攻を受け、1575(天正3)年の長篠の戦いでは、酒井忠次に属して本戦直前の長篠城攻防戦で活躍。寡兵で長篠城を守備する嫡男信昌を城外から支援して長篠城の解放に成功。後に出家して、晩年は伏見に過ごした。
【配役】
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嵯峨善兵(55) |
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徳川家康(1964・NET) |
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大木 実(50) |
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新書太閤記(1973・NET) |
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近藤洋介(50) |
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徳川家康(1983・NHK) |
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川地民夫(59) |
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徳川の女(1997・TX) |
おくだいら・せんまる
【生没】1560(永禄3)−1573(天正元)
【生地】三河国?
【家系】奥平氏
【実父】奥平貞能
【実母】牧野成種女?
【別称】仙千代
【略伝】
奥平貞能の次男。
1571(元亀2)年ごろより奥平家が武田家の圧力を受けてこれに属すると、武田家の人質となる。
しかし、1573(天正元)年9月、父貞能が徳川家に帰参すると、武田勝頼により磔刑に処せられた。
【配役】
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木下 清(13) |
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徳川家康(1964・NET) |
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早川勝也(14) |
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徳川家康(1983・NHK) |
おくだいら・ただまさ
【生没】1608(慶長13)−1668
【生地】下野国
【実父】奥平家昌
【実母】モリ(本多忠勝女)
【別称】奥平美作守
【略伝】
下野宇都宮藩主。
1614(慶長19)年、父家昌の死により家督を相続し、宇都宮藩主(10万石)となる。1619(元和5)年に1万石の加増で下総古河へ移るが、その3年後、改易された本多正純の後を受けて宇都宮に復帰した。
【配役】
おくだいら・のぶまさ
【生没】1555(弘治元)−1615(元和元)
【生地】三河国
【家系】奥平氏
【実父】奥平貞能
【実母】牧野成種女
【別称】奥平九八郎、奥平貞昌
【略伝】
徳川家の家臣。
奥平貞能の長男。はじめ父貞能とともに徳川家康に属していたが、本拠の奥三河が次第に武田信玄の脅威にさらされると、祖父貞勝が武田方に転じたため、貞能らとともに自らもこれに従う。
1573(天正元)年の信玄没後は徳川家に内通。同年の武田勢の三河侵攻の際に徳川家に帰参し、三河長篠城を与えられる。1575(天正3)年、武田勝頼が自ら三河へ出兵し、大軍をもって長篠城を包囲するが、寡兵でこれをよく防ぎ、家臣鳥居強右衛門の決死の働きなどもあって長篠城を死守。これが長篠の戦いでの織田・徳川連合軍の大勝の一因を成した。
翌年には三河新城に移り、家康の長女亀を正室に迎え、その後も家康に従って各地を転戦、1590(天正18)年の家康の関東入りに際しては上野小幡3万石を与えられる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの後には美濃加納10万石に加増転封となった。
【配役】
おくだいら・まさあき
【生没】1668(寛文8)−1695(元禄8)
【生地】
【家系】奥平氏
【実父】五島盛勝
【実母】アキ(奥平忠昌女)
【略伝】
肥前福江藩主の子に生まれるが、1672(寛文12)年、母方の伯父奥平昌能の急養子(後に女婿)となって家督を相続し、山形藩主となる。
1685(貞享2)年、奥平家の旧領宇都宮へ復帰した。
【配役】
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細川俊夫(65) |
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水戸黄門(第12部)(1981・TBS) |
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加茂雅幹 |
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水戸黄門(第18部)(1988・TBS) |
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水上保広(46) |
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水戸黄門(第22部)(1993・TBS) |
おくだいら・まさか(まさしか)
【生没】1744(延享元)−1780(安永9)
【生地】武蔵国
【家系】奥平氏
【実父】奥平昌敦
【実母】菊(牧野貞通女)
【別称】奥平昌邦
【略伝】
豊前中津藩主。
1758(宝暦8)年、父昌敦の死により家督を相続し、中津藩主となる。
国学や儒学などの学問を奨励したほか、蘭学にも関心を示し、1771(明和8)年には、中津藩医前野良沢と杉田玄白による江戸小塚原での腑分け(解剖)を見聞するなどした。
【配役】