内藤興盛
ないとう・おきもり

【生没】?−1554(天文23)
【生地】
【実父】内藤弘春
【実母】
【略伝】
 大内家の家臣。
 大内義興に仕えて重用され、長門守護代を務める。
 1528(享禄元)年の義興没後もその後継義隆の下で評定衆を務め、1542(天文11)年の尼子攻めなど各地を転戦したが、1551(天文20)年の陶隆房謀叛の際には義隆に属せず、隆房方に与した。
【配役】
小野寺昭(54) …… 毛利元就(1997・NHK)

内藤弌信
ないとう・かずのぶ

【生没】1658(万治元)−1730(享保15)
【生地】
【実父】内藤信光
【実母】前川氏女
【別称】内藤豊前守
【略伝】
 内藤信成の曽孫。
 本家筋に当たる陸奥棚倉藩主内藤信良の養子となり、1674(延宝2)年、信良の隠居により家督を相続し、棚倉藩主となる。
 1705(宝永2)年、駿河田中へ転封。1712(正徳2)年から1718(享保3)年まで大坂城代を務める。1720(享保5)年には越後村上へ移され、1725(享保10)年に隠居した。
【配役】
中村錦司(67) …… 暴れん坊将軍 III(1988・ANB) 役名は内藤豊前守(村上藩主)

内藤勝介
ないとう・しょうすけ

【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
 織田家の家臣。
 織田信秀に仕え、その嫡男信長が信秀から尾張那古野城を譲られた際、信長付の家老となった。
【配役】
塚本信夫(59) …… 信長(1992・NHK) 桶狭間の戦いで討死

内藤清次
ないとう・きよつぐ

【生没】1577(天正5)−1617(元和3)
【生地】
【実父】内藤清成
【実母】
【略伝】
 徳川家の家臣。
 徳川秀忠の小姓を務め、1601(慶長6)年に常陸で5000石を与えられる。1608(慶長13)年の父清成の死により家督を相続し、遺領を併せて2万6000石となる。
 1616(元和2)年には老職となって幕政の中枢に加わったが、翌年に没した。
【配役】
嶋崎伸夫(48) …… 葵 徳川三代(2000・NHK)

内藤清成
ないとう・きよなり

【生没】1555(弘治元)−1608(慶長13)
【生地】三河国
【実父】竹田宗仲
【実母】
【略伝】
 徳川家の家臣。
 徳川家康の小姓を務め、1580(天正8)年にはその嫡男秀忠の傅役となる。
 1590(天正18)年の家康の関東入りに際しては相模で5000石を与えられ、以後、江戸町代官や関東総奉行などを歴任したが、1606(慶長11)年に青山忠成とともに家康の勘気を蒙って蟄居させられた。
【配役】
長 克巳(49) …… 葵 徳川三代(2000・NHK)

内藤外記
ないとう・げき

【生没】1578(天正6)−1663(寛文3)
【生地】
【実父】内藤正貞
【実母】
【別称】内藤正重
【略伝】
 徳川家の家臣。
 徳川家康秀忠父子に仕えて各地を転戦し、武蔵で5000石を与えられた。
【配役】
中野誠也(49) …… 独眼竜政宗(1987・NHK)

内藤修理
ないとう・しゅり

【生没】1522(大永2)−1575(天正3)
【生地】
【実父】工藤虎豊
【実母】
【別称】内藤昌豊
【略伝】
 武田家の家臣。
 武田晴信(信玄)に仕えて各地を転戦。信濃深志城主や上野箕輪城主などを務める。
 1568(永禄11)年、信玄の命により甲斐の名族内藤家の家督を相続。1573(天正元)年の信玄没後はその後継勝頼に仕えたが、1575(天正3)年5月の織田・徳川勢との長篠の戦いで、他の重臣らとともに勝頼の強攻策に反対するも容れられず、敵陣に突入して討死した。
【配役】
高橋正夫(56) …… 天と地と(1969・NHK)
中谷一郎(39) …… 風林火山(1969・東宝)
志浦隆之 …… 影武者(1980・東宝)
加地健太郎(51) …… おんな風林火山(1986・TBS)
谷口孝史(32) …… 徳川家康 戦国最後の勝利者(1992・ANB)
井田國彦(58) …… 信虎(2021・映画)

内藤介右衛門
ないとう・すけえもん

【生没】1839(天保10)−1899(明治32)
【生地】陸奥国
【実父】内藤信順
【実母】貞(梶原景保女)?モト?
【別称】内藤信節
【略伝】
 会津藩(松平家)の家老。
 1850(嘉永3)年、父信順の隠居により家督を相続し、会津藩に仕える。
 1862(文久2)年に主君松平容保が京都守護職となると、これに随行して上洛し、若年寄などを務めるが、1865(慶応元)年に病により辞職して帰国。しかし、翌年には復職し、家老に任ぜられる。
 1868(明治元)年からの戊辰戦争では、弟梶原平馬とともに主戦論を唱え、容保の側近くにあってこれを輔佐。会津藩の降伏後は謹慎の身となるが、赦免後は会津藩の移封先陸奥斗南に移り、同地に土着した。
【配役】
三上直也(52) …… 白虎隊(1986・NTV)
東根作寿英(41) …… 白虎隊 敗れざる者たち(2013・TX)
志村東吾(44) …… 八重の桜(2013・NHK)

内藤忠元
ないとう・ただもと

【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
 紀州藩士。
 徳川頼職に仕えるが、1705(宝永2)年、紀州藩主となった頼職が急死した際に剃髪したため、その後継となった徳川吉宗により知行を召し上げられた。
【配役】
早坂直家(41) …… 八代将軍吉宗(1995・NHK)

内藤知親
ないとう・ともちか

【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
 源実朝の側近くに仕える。
 藤原定家に和歌を学んでいたため、定家への実朝の使者としてしばしば京都に赴いた。
【配役】
清川新吾(41) …… 草燃える(1979・NHK)

内藤信興
ないとう・のぶおき

【生没】1720(享保5)−1780(安永9)
【生地】武蔵国
【実父】内藤信輝
【実母】武笠氏女
【略伝】
 越後村上藩主。
 内藤弌信の孫。1725(享保10)年、父信輝の死により村上藩主となり、1761(宝暦11)年に隠居した。
【配役】
加藤聡志(11) …… 暴れん坊将軍 V(1993・ANB) 役名は内藤信良(村上藩主)

内藤信思
ないとう・のぶこと

【生没】1812(文化9)−1874(明治7)
【生地】武蔵国
【実父】内藤信敦
【実母】松平定信
【別称】内藤紀伊守、内藤信親
【略伝】
 江戸幕府の老中。
 1825(文政8)年、父信敦の死により家督を相続し、越後村上藩主となる。
 その後、大坂城代や京都所司代などを務め、1851(嘉永4)年に老中となり、1862(文久2)年まで約11年間にわたって在職。1864(元治元)年に隠居し、1868(明治元)年の戊辰戦争勃発時には江戸にあったが、北越での激戦のために帰藩できず、村上藩が幕府方に与したために謹慎を命じられた(翌年に赦免)。
【配役】
高松錦之助(64) …… さくら判官(1962・映画)
江見俊太郎(48) …… 天皇の世紀(1971・ABC)
丘路 千 …… 勝海舟(1990・NTV)
真実一路(50) …… 徳川慶喜(1998・NHK)
唐沢龍之介(51) …… 青天を衝け(2021・NHK)

内藤政親
ないとう・まさちか

【生没】1645(正保2)−1696(元禄9)
【生地】
【実父】内藤政晴
【実母】土屋利直女
【略伝】
 江戸幕府の若年寄。
 1646 (正保3)年、前年の父政晴の死によりわずか2歳で家督を相続し、陸奥泉藩主となる。
 城下町の整備に注力する一方、学問を好んだことから将軍徳川綱吉の寵愛を受け、1690(元禄3)年には若年寄となった。
【配役】
柳生 博(36) …… 水戸黄門(第4部)(1973・TBS)

内藤政長
ないとう・まさなが

【生没】1568(永禄11)−1634(寛永11)
【生地】
【実父】内藤家長
【実母】松平忠長女
【略伝】
 徳川家康に仕え、1600(慶長5)年8月、父家長が伏見城攻防戦で討死したため、家督を相続し、上総佐貫3万石を領する(後に4万石)。1622(元和8)年には3万石の加増で磐城平に転じた。
 なお、1614(慶長19)年に安房館山城、1620(元和6)年に筑後柳河城、1632(寛永9)年には熊本城と、改易された各地の大名の城受取りを務めている。
【配役】
永井秀明(59) …… 雪姫隠密道中記(1980・MBS) 日向延岡藩主として登場

内藤政吉
ないとう・まさよし

【生没】1588(天正16)−1659(万治2)
【生地】
【実父】内藤忠政
【実母】
【別称】甚次郎
【略伝】
 徳川忠長の家臣。
 内藤清成の弟。1607(慶長12)年より将軍徳川秀忠に仕え、後にその三男忠長付となるが、1631(寛永8)年の忠長改易に連座し、常陸宍戸藩主秋田俊季に預けられる。
 1640(寛永17)年より兄の志摩鳥羽藩主内藤忠重に預けられるが、後に赦免された。
【配役】
前田晃一(21) …… 春日局(1989・NHK)

内藤義孝
ないとう・よしたか

【生没】1669(寛文9)−1712(正徳2)
【生地】
【実父】内藤義概
【実母】三条実秀女
【略伝】
 磐城平藩主。
 1685(貞享2)年、父義概の死により家督を相続して磐城平藩主となり、領内の寺社仏閣の再興に尽力した。
【配役】
峰 祐介(48) …… 水戸黄門(第13部)(1982・TBS)
青山裕一(22) …… 水戸黄門(第19部)(1989・TBS)

内藤魯一
ないとう・ろいち

【生没】1846(弘化3)−1911(明治44)
【生地】陸奥国
【実父】内藤次興
【実母】
【略伝】
 陸奥福島藩板倉家の家老を務める家に生まれる。
 維新後に陸奥福島より三河重原に減転封となった主家に従って三河に移り、大参事として藩政に関与。その後、自由民権運動に身を投じて自由党の結成に加わり、1882(明治15)年には総裁板垣退助の遊説に同行し、岐阜で板垣が暴漢に襲われた際にはこれを救助した。
 1905(明治38)年には衆議院議員となり、1911(明治44)年6月、在職のまま没した。
【配役】
宮寺康夫(51) …… 春の波涛(1985・NHK)

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