こう・いちのかみ
【生没】?−1582(天正10)
【生地】
【実父】
【実母】
【別称】高市之允
【略伝】
清水宗治の家臣。
1582(天正10)年6月、宗治が羽柴秀吉に降伏し切腹した際にはその介錯を務め、その後、自害して果てた。
【配役】
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北川国彦(34) |
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太閤記(1965・NHK)役名は幸市之丞 |
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リョウ |
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軍師官兵衛(2014・NHK) |
こう・いんきつ
【生没】1536(天文5)−?
【略伝】
朝鮮通信使。
1590(天正18)年に朝鮮通信使正使として来日し、帰国後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の恐れを説いたが、副使金誠一との間に見解の相違があり、容れられなかった。
【配役】
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三田松五郎(44) |
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黄金の日日(1978・NHK) |
こう・ちゃきゅう
【生没】1244(寛元2)−1291(正応4)
【生地】高麗?
【実父】洪福源
【実母】
【略伝】
日本に来襲した高麗の武将。
1271(文永8)年、高麗国内に三別抄の叛乱が起こると忻都の下でその鎮圧に活躍。1274(文永11)年、1281(弘安4)年には、元軍とともに高麗軍を率いて日本に来襲したが、いずれも暴風雨に遭って退却を余儀なくされた。
【配役】
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市川猿五郎 |
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国難(1920・映画) |
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遠山 満(44) |
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蒙古襲来 敵国降伏(1937・映画) |
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翁 華栄(39) |
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北条時宗(2001・NHK) |
こう・ちょうちゅう
【生没】1572(元亀3)−1642(寛永19)
【生地】琉球王国
【実父】伊江朝義
【実母】真加戸樽(伊江阿屋按司志良礼)(葛氏女)
【略伝】
琉球王尚清の孫。
琉球王尚寧王に仕えて、伊江島の地頭職などを務めるが、薩摩藩の琉球侵攻後の1612(慶長17)年に人質として薩摩へ連行された。
【配役】
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大木 聡(33) |
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琉球の風(1993・NHK) |
こう・じゅう
【生地】高麗?
【略伝】
来日したモンゴル・高麗の使者。
1269(文永6)年にモンゴル(元)・高麗の使者が対馬に来島した際に連れ帰った島民を返還することを口実に、同年、高麗の使者として対馬に来島し、モンゴル・高麗の国書を送り届けた。
【配役】
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木村公一(38) |
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北条時宗(2001・NHK) |
こうの・もろうじ
【生没】?−1301(承安3)
【家系】高氏
【実父】高重氏
【略伝】
足利家の家臣。
足利泰氏ら足利家当主に仕えてその執事を務めた。
【配役】
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安部 徹(74) |
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太平記(1991・NHK) |
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江原真二郎(65) |
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北条時宗(2001・NHK) |
こうの・もろしげ
【生没】?−1336(建武3・延元元)?
【家系】高氏
【実父】高師氏
【略伝】
足利家の家臣。
足利貞氏・尊氏に仕える。1336(建武3・延元元)年6月、摂津湊川で楠木正成らを破って入洛した後、比叡山に籠った後醍醐天皇方の軍勢と戦って討死したというが、1343(康永2・興国4)年に没したとするものもある。
【配役】
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辻 萬長(47) |
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太平記(1991・NHK) |
こうの・もろなお
【生没】?−1351(正平6・観応2)
【家系】高氏
【実父】高師重
【略伝】
足利家の家臣。
足利尊氏に仕えて各地を転戦。1338(延元3・暦応元)年の尊氏の征夷大将軍就任後も南朝方との最前線で戦闘を繰り返し、1348(正平3・貞和4)年には兄師泰とともに河内四條畷に楠木正行を破り、その勢いを駆って南朝方の本拠大和吉野を占領するなどしたが、幕政の主導権をめぐって足利直義との対立を深め、翌年には直義を隠退に追い込むことに成功した。
しかし、直義が南朝方に帰順するなど勢力を盛り返し、1351(正平6・観応2)年2月には尊氏とともに摂津打出浜に直義勢と戦って敗戦。戦後、和睦の条件として師泰とともに出家したが、京都へ護送中の武庫川付近で直義方の上杉能憲に師泰ととも殺害された。
なお、『太平記』は、皇室への冒涜発言をはじめとして、塩冶高貞の妻二条の君に横恋慕した上、口実をつけて高貞らを討伐した逸話など、悪役の印象をもって師直の事跡を記している。そのため、後年の『仮名手本忠臣蔵』では吉良上野介が師直に擬せられるなどした。
【配役】
「仮名手本忠臣蔵」での登場は採録していない。
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浪花五郎 |
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大楠公(1959・MBS) |
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小沢栄太郎(56) |
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悪党(1965・映画) |
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柄本 明(43) |
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太平記(1991・NHK) |
こうの・もろやす
【生没】?−1351(正平6・観応2)
【家系】高氏
【実父】高師重
【略伝】
足利家の家臣。
高師直の兄。足利尊氏に仕えて各地を転戦し、室町幕府の成立に大きく貢献。その後も対南朝方との最前線に立ち、1348(正平3・貞和4)年には師直とともに河内四條畷に楠木正行を破るなどしたが、幕政の主導権をめぐって師直と足利直義との対立が次第に深まると、師直とともに直義の排斥に動いてこれを成功させた。
しかし、直義が南朝方に帰順するなどして勢力を盛り返し、1351(正平6・観応2)年2月には尊氏・師直とともに摂津打出浜に直義勢と戦って敗戦。戦後、和睦の条件として師直とともに出家したが、京都へ護送中の武庫川付近で直義方の上杉能憲に師直ととも殺害された。
【配役】
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武内伸一郎
塩見三省(40) |
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太平記(1991・NHK) |
こうの・もろゆき
【家系】高氏
【実父】高師氏
【略伝】
足利家の家臣。
足利貞氏に仕え、足利家の記録を残したという。
【配役】
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左右田一平(61) |
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太平記(1991・NHK) |