きん・せいいち
【生没】1538(天文7)−1593(文禄2)
【実父】金[王進]
【略伝】
朝鮮通信使。
1590(天正18)年に朝鮮通信使(副使)として来日。帰国後、正使黄允吉が豊臣秀吉による朝鮮出兵の恐れを説くと、これと反対の見解を示したという。
【配役】
きん・ほうけい
【生没】1212(建暦2)−1300(正安2)
【生地】高麗?
【略伝】
日本に来襲した高麗の武将。
1271(文永8)年、高麗国内に三別抄の叛乱が起こるとその鎮圧に活躍。1274(文永11)年、1281(弘安4)年には、元軍とともに高麗軍を率いて日本に来襲したが、いずれも暴風雨に遭って退却を余儀なくされた。
なお、同じ高麗人の洪茶丘とは不仲であったらしく、1277(建治3)年には茶丘の讒言により一時投獄されるが、高麗国王忠烈王の介入により赦免されている。
【配役】
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戴 書華(51) |
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北条時宗(2001・NHK) |
きん・ゆうせい
【略伝】
来日したモンゴル・高麗の使者。
1269(文永6)年にモンゴル(元)と高麗の国書を携えて高柔とともに対馬に来島。1292(正応5)年にも皇帝フビライの命により日本へ使者として派遣されたが、そのまま日本にとどまって帰国しなかったという。
【配役】