木下家定
生没 1543(天文12)-1608(慶長13)
生地 尾張国
実父 杉原定利
略伝
織田家家臣杉原定利の長男。
ねね(高台院)の兄。小早川秀秋の父。妹ねね(高台院)の夫羽柴秀吉に仕え、木下を称する。
1587(天正15)年、播磨で1万1341石を与えられ、1595(文禄4)年には同国姫路2万5000石に転じる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際しては京都で高台院の警護に当たり、戦後、備中足守2万5000石に移された。
配役
| 千代田勝太郎 |
宮本武蔵(1938・新興) 役名は姫路城主木下若狭守 |
| 小林一三(20) |
おんな太閤記(1981・NHK) |
木下勝俊
生没 1569(永禄12)-1649(慶安2)
生地
実母
別称 木下長嘯子
略伝
木下家定の長男。
ねね(高台院)の甥。小早川秀秋の兄。幼少のころより叔母ねねの夫豊臣秀吉に仕え、後に若狭小浜6万2000石を与えられる。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際しては徳川家康より伏見城の守備を委ねられるが、これを放棄して高台院のもとへ走ったため、戦後、家康の不興を買って京都東山に隠棲。1608(慶長13)年に赦され、次弟利房とともに父家定の遺領を相続するが、利房と遺領をめぐって紛争となったため、翌年、改易される。
その後、多くの文人と交わり、とりわけ和歌ではその才を発揮して多くの歌を残した。
配役
木下㒶定
生没 1653(承応2)-1730(享保15)
生地
実父 木下利定
実母 金森重頼女
別称 木下肥後守
略伝
備中足守藩主木下利貞の長男。
1679(延宝7)年、父利定の死により家督を相続し、足守藩主となる。
1701(元禄14)年、播磨赤穂藩主浅野長矩が江戸城内で吉良義央に刃傷に及んで赤穂藩が改易されると、播磨龍野藩主脇坂安照らとともに赤穂城収公の受城使役を務めた。
配役
| 遠山金次郎(41) |
編笠十兵衛(1974・CX) |
| 宮田 光(52) |
峠の群像(1982・NHK) |
| 鳥木元博(41) |
元禄繚乱(1999・NHK) |
木下慎之助
生没 1849(嘉永2)-1864(元治元)
生地 土佐国
実父 木下定行
実母
略伝
土佐野根山岩佐関の番長などを務めた木下定行の子。
1864(元治元)年、土佐藩内尊王攘夷派の弾圧に反発する清岡道之助らによる野根山での蜂起に参加したが失敗。いったん阿波に逃れたものの捕縛され、同年9月、土佐奈半利河原で処刑された。参加者の中では最年少の16歳だった。
配役
| 矢野間啓二(21) |
竜馬がゆく(1968・NHK) |
木下利匡
生没 ?-1584(天正12)
生地
実父 杉原家利
実母
略伝
杉原家利の子。
姪ねね(高台院)の夫羽柴秀吉に仕える。
1584(天正12)年4月、小牧長久手の戦いで、三好秀次に属して徳川家康の本拠三河を突く別働隊として進発したが、徳川方にその動きを察知されて逆に襲われ、討死した。
配役
木下利忠
生没 1738(元文3)-1809(文化6)
生地
実父 木下利潔
実母 木下㒶福女
別称 木下肥後守
略伝
備中足守藩主木下利潔の長男。
1740(元文5)年、父利潔の死により3歳で家督を相続し、足守藩主となる。
1784(天明4)年に隠居した。
配役
| 西田 健(67) |
剣客商売(御老中暗殺)(2012・CX) 秋山小兵衛の庇護者 |
木下延由
生没 1610(慶長15)?-1658(万治元)
生地
実父 木下延俊
実母
別称 木下延次
略伝
豊後日出藩主木下延俊の三男。
1642(寛永19)年、父延俊の死により豊後国内5000石の所領を相続した。
配役
木下頼継
生没 1586(天正14)?-1600(慶長5)
生地
実母
略伝
大谷吉継の次男。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで、父吉継とともに石田三成に属して出陣。敗戦後は逃亡したが、ほどなくして病没した。
配役