おおた・ぎゅういち
【生没】1527(大永7)−1613(慶長18)
【生地】尾張国
【実父】
【実母】
【略伝】
はじめ尾張成願寺の僧であったが、後に織田信長に仕え、弓をもって浅野又右衛門らとともに信長の側近くに仕えて各地を転戦した。
信長の横死後は羽柴秀吉に仕え、奉行職などを務める。秀吉の死後はその後継秀頼に仕えるが、やがて隠居した。
なお、『信長公記』の著者としてよく知られている。
【配役】
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9松本幸四郎(64) |
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信長の棺(2006・EX) |
おおた・こうたろう
【生没】1848(嘉永元)−1869(明治2)
【生地】長門国
【実父】
【実母】
【別称】太田瑞穂(変名)
【略伝】
大村益次郎の襲撃犯。
長州藩(毛利家)に仕えていたものと思われる。1869(明治2)年9月、洋式兵制の整備を進める大村益次郎を京都木屋町に襲撃し、重傷を負わせたが、その後、捕縛され、同年12月に処刑された。
【配役】
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三木本真 |
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大村益次郎(1942・新興) |
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鈴木誠一(30) |
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花神(1977・NHK) |
おおた・すけとも
【生没】1799(寛政11)−1867(慶応3)
【生地】
【実父】堀田正穀
【実母】
【別称】太田備後守、太田備中守
【略伝】
江戸幕府の老中。
遠江掛川藩主太田資言の女婿となり、1810(文化7)年の資言の死により家督を相続し、掛川藩主となる。
その後、大坂城代や京都所司代などを務め、1834(天保5)年には老中に任ぜられたが、老中首座水野忠邦のいわゆる天保の改革に反対して1841(天保12)年に辞職し、そのまま隠居する。
1858(安政5)年、隠居のまま再び老中に任じられ、外交を担当。しかし、将軍徳川家定の後継問題で一橋慶喜を推すなどした水戸藩の処遇問題で大老井伊直弼と対立したため、翌1859(安政6)年に老中を罷免され、謹慎を命ぜられる。1863(文久3)年には三たび老中に就任するが、ほどなくして辞職した。
【配役】
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嵐璃左衛門 |
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建国史 尊王攘夷(1927・映画) |
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村上冬樹(42) |
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天晴れ一番手柄 青春銭形平次(1953・東宝) |
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荒木 忍(63) |
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怪盗まだら蜘蛛(1954・映画) |
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高島敏郎 |
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あやつり組由来記(1958・NHK) |
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西山辰夫(35) |
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花の生涯(1963・NHK) |
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村居京之輔 |
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十一人の侍(1967・東映) |
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佐々木孝丸(69) |
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風(1967・TBS) |
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中村錦司(47) |
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大奥(1968・KTV) |
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高松政雄(62) |
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天皇の世紀(1971・ABC) |
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増田順司(57) |
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世なおし奉行(1972・NET) |
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大山克己(42) |
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浮世絵女ねずみ小僧(第2部)(1972・CX) |
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高野真二(63) |
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花の生涯(1988・TX) |
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ト字たかお(42) |
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翔ぶが如く(1990・NHK) |
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村上幹夫(66) |
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徳川慶喜(1998・NHK) |
おおた・すけはる
【生没】1695(元禄8)−1740(元文2)
【生地】
【実父】太田資直
【実母】板倉氏女
【別称】太田備中守
【略伝】
1705(宝永2)年、父資直の死により家督を相続し、駿河田中藩主となるが、すぐに陸奥棚倉へ移される。
若年寄となった1728(享保13)年には上野館林へ移され、1734(享保19)年には大坂城代となった(このとき所領を摂津・河内などに移される)。
【配役】
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明石 潮(62) |
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新吾十番勝負 第三部(1960・東映) |
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真木康次郎 |
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天下御免(1960・松竹) |
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小沢栄太郎(52) |
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新吾二十番勝負(1961・映画) |
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香川良介(65) |
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新吾二十番勝負 第二部(1961・映画) |
おおた・すけまさ
【生没】1522(大永2)−1591(天正19)
【生地】
【実父】太田資頼
【実母】太田下野守女
【別称】太田三楽斎
【略伝】
武蔵岩付城主。
扇谷上杉家に仕え、北進する北条家としばしば交戦し、1546(天文15)年の扇谷上杉家滅亡後も岩付城を本拠に北条勢に抗したが、1548(天文17)年に降伏。しかし、1560(永禄3)年に長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵攻するとこれに従属する。
景虎の越後帰国後は、攻め寄せる北条勢に頑強に抵抗したが、1564(永禄7)年、北条家に通じた嫡男氏資により岩付城を追われ、その後は常陸の佐竹家に仕えて片野城主を務めた。
【配役】
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藤田 進@(53) |
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風来忍法帖(1965・映画) |
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藤田 進A(56) |
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風来忍法帖 八方破れ(1968・東宝) |
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成田三樹夫(48) |
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里見八犬伝(1983・東映) |
おおた・すけむね
【生没】1600(慶長5)−1680(延宝8)
【生地】
【実父】太田重正
【実母】都築秀綱女
【別称】太田備中守
【略伝】
六人衆の一。
1610(慶長15)年の父重正の死により家督を相続。1633(寛永10)年、松平信綱らとともに六人衆(後の若年寄)に任ぜられて幕政に加わり、1635(慶長12)年には1万石の加増を受けて大名に列する。
1638(慶長15)年、島原・天草一揆(島原の乱)の戦後処理の功により、三河西尾3万5000石に加増転封となり、1644(正保元)年には遠江浜松に転じる。この間、家光の命を受け、「寛永諸家系図伝」の編纂に当たった。
【配役】