まつだいら・やすとし
1552(天文21)-1586(天正14)
尾張国
一色氏
【実父】久松俊勝
【実母】大
徳川家康の異父弟。
久松俊勝の三男。家康の命により駿河の今川氏真への人質となるが、後に武田家に寝返った今川家家臣により甲斐の武田信玄のもとに移される。
後に家康の手引きで甲斐から逃れ、家康に仕えて駿河久能城主を務めた。
塩崎 忍(10)→長尾謙杜(21) どうする家康(2023・NHK)
まつだいら・やすさだ
1747(延享4)-1807(文化4)
【実父】前田房長
【実母】
【別称】松平周防守
幕府旗本の子に生まれ、はじめ父の実家に当たる松井松平家の松平康瑞の養子となり、後に宗家の石見浜田藩主松平康福の婿養子となる。
1789(寛政元)年の養父康福の死によりその家督を相続して浜田藩主となり、1795(寛政7)年には奏者番に就任。1798(寛政10)年からは寺社奉行を兼帯し、1803(享和3)年までこれを務めた。
尾上多見太郎(54) 歌麿をめぐる五人の女(1946・松竹) 2沢村宗之助(41) 歌麿をめぐる五人の女(1959・大映)
まつだいら・やすひで
1830(天保元)-1904(明治37)
【実父】松平康功
【実母】
【別称】松平周防守、松平石見守、松平康直
江戸幕府の老中。
松井松平家の分家に生まれ、はじめ同じく分家の松平康済の養子となり、1847(弘化4)年に養父康済の隠居により家督を相続する。
その後、勘定奉行や大目付などを務め、1864(元治元)年に松井松平宗家の養子となってその家督を相続し、陸奥棚倉藩主となる(その後、宇都宮、陸奥白河と転封)。翌1865(慶応元)年には、奏者番・寺社奉行を経て、老中に就任し、外国事務取扱などを務めた。
1867(慶応3)年には武蔵河越に転封となり、その後、会計総裁に任ぜられるが、翌1868(明治元)年の幕府崩壊に際して罷免された。
穂高 稔(46) 唖侍 鬼一法眼(1973・NTV) 武発史郎(38) 徳川慶喜(1998・NHK) 佐藤正宏(50) 篤姫(2008・NHK) 青山伊津美(57) 八重の桜(2013・NHK)
まつだいら・やすまさ
1816(文化13)-?
【実父】松平左兵衛佐(康盛?)
【実母】
【別称】松平因幡守
江戸幕府の大目付。
兄康豊の養子となり、1857(安政4)年に家督を相続する。
1863(文久3)年に幕府大目付に就任。翌年には京都見廻役となって上洛し、1866(慶応2)年に辞するまで新選組とともに洛中の警備に当たった。
池田忠夫(60) 天皇の世紀(1971・ABC) 本田清澄(43) 徳川慶喜(1998・NHK)
まつだいら・やすまさ
1893(明治26)-1957(昭和32)
一色氏、松平氏(越前家)
【実父】松平康荘
【実母】
松平茂昭の孫。
京都帝大卒業後、明治大教授などを経て宮内省に入り、1936(昭和11)年に内大臣秘書官長、1947(昭和22)年には式部頭(後の式部官長)となり、昭和天皇の側近くに仕えた。
庄司永建(54) 日本の戦後(サンルームの2時間)(1977・NHK) 原 保美(62) 日本の戦後(審判の日)(1977・NHK)
まつだいら・やすもと
1552(天文21)-1603(慶長8)
尾張国
一色氏
【実父】久松俊勝
【実母】大
徳川家康の異父弟。
久松俊勝の次男。家康に仕えて各地を転戦。1590(天正18)年の家康の関東入りに際しては、下総関宿2万石を与えられる。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの際は江戸留守居役を務めた。
堀部隆一(57) 葵 徳川三代(2000・NHK) 志村瑛多(11) どうする家康(2023・NHK)
まつだいら・やすよし
1719(享保4)-1789(寛政元)
【実父】松平康豊
【実母】亀井矩政養女
【別称】松平周防守
江戸幕府の老中。
1736(元文元)年、前年の父康豊の死により家督を相続し、石見浜田藩主となる。
1759(宝暦9)年に寺社奉行となると下総古河に転封。翌年には大坂城代となり、1762(宝暦12)年9月には三河岡崎に移され、同年12月に寺社奉行から老中に抜擢される。1769(明和6)年には石見浜田へ戻り、1781(天明元)年には老中首座となるが、実権は同じく老中の田沼意次にあった。
田沼の失脚後も引き続き老中を務めたが、1788(天明8)年に職を免じられた。
藤間林太郎(58) 大江戸風雲絵巻 天の眼(1957・松竹) 堀 正夫(54) 紫頭巾(1958・東映) 相島一之(64) べらぼう 蔦重栄華乃夢噺(2025・NHK)
まつだいら・よしたみ
1882(明治15)-1948(昭和23)
徳川氏(一橋)
【実父】松平慶永
1896(明治29)年より英国に留学してオックスフォード大を卒業。帰国後の1912(大正元)年には宮内省に入り、侍従などを務める。
1934(昭和9)年に式部長官に就任。終戦後の1946(昭和21)年には宮内相に転じ、翌年の宮内府への改組によってその初代長官となったが、翌1948(昭和23)年5月に辞職し、同年7月に没した。
久米 明(56) 天皇の料理番(1980・TBS) 新井和夫(54) 山河燃ゆ(1984・NHK)
まつだいら・よしなが
1828(文政11)-1890(明治23)
武蔵国
徳川氏(一橋)、松平氏(越前家)
【実父】田安斉匡
【実母】礼以(木村政辰女)
【別称】松平春嶽
福井藩主。
徳川家慶のいとこ。1838(天保9)年、福井藩主松平斉善の急養子に入って家督を相続し、福井藩主となる。
藩政では、中根雪江や橋本左内などを起用して、洋式兵制整備など近代化政策を進め、島津斉彬・伊達宗城・山内容堂とともに幕末四賢侯の一に数えられた。
1853(嘉永6)年のペリー来航後、海防問題などを通じて幕政への関与を強め、子のなかった将軍徳川家定の後継問題では、一橋慶喜を擁立し、紀州藩主徳川慶福(家茂)を推した大老井伊直弼ら南紀派と激しく対立。1858(安政5)年、孝明天皇の勅許なく日米修好通商条約の調印に踏み切った井伊を詰問すべく、徳川斉昭らとともに不時登城に及んだため、登城停止となった上、幕府より隠居・謹慎を命ぜられた。
1862(文久2)年4月、赦免されて隠居のまま藩政に復帰。7月には朝廷の意向を受けて新設の政事総裁職に任ぜられ、幕政にも復帰する。公武合体を推進し、翌年の将軍家茂の上洛の際には、将軍後見職の慶喜とともに随行するが、朝廷から攘夷を迫られた慶喜らが攘夷受諾に傾斜したためこれと対立し、政事総裁職を辞するに至った。
同年8月18日の政変で朝廷より尊王攘夷派が一掃されると、朝廷の命により、慶喜・宗城・島津久光らとともに参与会議を構成し、再び政治の表舞台に復帰したが、横浜港の閉鎖をめぐってまたも慶喜と意見の齟齬を来し、会議自体が空中分解した。
1867(慶応3)年12月の王政復古により新政府議定に就任し、維新後は民部卿や大蔵卿などを歴任したが、1870(明治3)年に一切の公職を辞して文筆生活に入った。
南 光明(32) 建国史 尊王攘夷(1927・映画) 瀬良章太郎(24) 維新の京洛(1928・日活) 松村光夫 清川八郎(1930・河合) 石川秀道①(32) 井伊大老斬奸第一声 安政大獄篇(1934・右太プロ) 石川秀道②(32) 井伊大老斬奸第一声 稲田重蔵篇(1934・右太プロ) 川柳春光 橋本左内(1938・映画) 大国一公(42) 維新の曲(1942・大映) 明石 潮(55) 花の生涯(1953・映画) 今村原兵(51) 新選組始末記(1961・TBS) 山口幸生(38) 花の生涯(1963・NHK) 金子信雄(41) 幕末(1964・TBS) 品川隆二(34) 鞍馬天狗(1967・MBS) 森源太郎 大奥(1968・KTV) 渡辺文雄(39) 竜馬がゆく(1968・NHK) 御木本伸介①(40) 天皇の世紀(1971・ABC) 井上孝雄(39) 勝海舟(1974・NHK) 御木本伸介②(51) 竜馬がゆく(1982・TX) 氏家 修(31) 花の生涯(1988・TX) 磯部 勉(40) 翔ぶが如く(1990・NHK) 平野 稔(53) 必殺スペシャル・新春(横浜異人屋敷の決闘)(1990・ABC) 井上高志(48) 尾張幕末風雲録(1998・TX) 小沢和義(34) 勝海舟が最も恐れた男 サムライ小栗上野介(1998・ANB) 林 隆三(55) 徳川慶喜(1998・NHK) 9松本幸四郎(62) 竜馬がゆく(2004・TX) 矢島健一(52) 篤姫(2008・NHK) 小久保丈二①(43) JIN 仁(2009・TBS) 池内博之(34) 桜田門外ノ変(2010・東映) 夏八木勲(71) 龍馬伝(2010・NHK) 小久保丈二②(45) JIN 仁 完結編(2011・TBS) 村上弘明(57) 八重の桜(2013・NHK) 磯崎竜一(39) 花燃ゆ(2015・NHK) 筒井道隆①(46) 龍馬 最後の30日(2017・NHK) 筒井道隆②(47) 龍馬の遺言(2018・NHK) 津田寛治(53) 西郷どん(2018・NHK) 要 潤(40) 青天を衝け(2021・NHK) 松村 武(51) 燃えよ剣(2021・東宝)
まつだいら・よしはる
?-1556(弘治2)
三河国?
徳川氏(宗家)
【実父】松平長親
【実母】
松平清康の叔父。
父長親より三河青野を与えられて別家。後に吉良義藤の養子となる。
1556(弘治2)年2月、松平元信(徳川家康)の名代として、今川方に通じた三河日近城主奥平貞直の攻撃に向かい、これと戦って討死したとされるが、これは義春の子忠茂の事跡と混同されたものという。
瀬川路三郎①(31) 疾風迅雷(1925・帝キネ) 瀬川路三郎②(31) 美勇士(1925・帝キネ)
まつだいら・よしゆき
1656(明暦2)-1715(正徳5)
武蔵国
徳川氏(尾張家)
【実父】徳川光友
【実母】千代
美濃高須藩主。
徳川光友の次男。1681(天和元)年に美濃高取3万石を与えられ、1700(元禄13)年には同国高須に転じる。
1699(元禄12)年の兄綱誠の没後、吉通・五郎太・継友と本家当主を支えた。
村松克巳(56) 八代将軍吉宗(1995・NHK)
まつだいら・よりかつ
1668(寛文8)-1718(享保3)
武蔵国
徳川氏(紀州家)
【実父】松平頼純
【実母】本多忠義女
松平頼純の四男。
徳川吉宗のいとこ。1699(元禄12)年、前年に没した兄頼路の死により父頼純の嫡男となるが、1705(宝永2)年、頼純の命により廃嫡されて蟄居させられた。
寺泉 憲(48) 八代将軍吉宗(1995・NHK) キリシタンであったために廃嫡
まつだいら・よりさだ
1664(寛文4)-1744(延享元)
武蔵国
徳川氏(水戸家)
【実父】松平頼元
【実母】嘉禰(小笠原忠真女)
【別称】松平大学頭
陸奥守山藩主。
1693(元禄6)年、父頼元の死により家督を相続して常陸額田藩主となるが、1700(元禄13)年に陸奥守山へ転封となる。水戸藩分家として宗家を支え、とりわけ若くして藩主となった宗堯・宗翰をよく輔佐した。
なお、1739(元文4)年には、尾張藩主徳川宗春に隠居を命ずる上使を務めている。
小田真士 徳川おんな絵巻(1970・KTV) 守田比呂也(71) 八代将軍吉宗(1995・NHK)
まつだいら・よりしげ
1622(元和8)-1695(元禄8)
武蔵国
徳川氏(宗家)、徳川氏(水戸家)
【実父】徳川頼房
【実母】久
【別称】
讃岐高松藩主。
徳川頼房の長男。父頼房が御三家の中で最も年少で長男を得ることをはばかり、母久は堕胎を命じられるが、家臣三木仁兵衛に匿われて出産し、これに養育される(後に京都に移される)。
その後、弟光圀が誕生したために光圀が頼房の嫡男となり、自らは不遇をかこつが、1639(寛永16)年、将軍徳川家光より常陸下館5万石を与えられ、大名に取り立てられる。
1642(寛永19)年には讃岐高松12万石へ移され、御三家の分家としては異例の厚遇を受け、1673(延宝元)年に隠居した。
水上保広(45) 天下の副将軍 水戸光圀 徳川御三家の激闘(1992・TX)
まつだいら・よりずみ
1641(寛永18)-1711(正徳元)
武蔵国
徳川氏(宗家)、徳川氏(紀州家)
【実父】徳川頼宣
【実母】越智喜清女
【別称】松平左京大夫
伊予西条藩主。
徳川頼宣の三男。徳川吉宗の叔父。1670(寛文10)年、伊予西条で3万石を与えられる。
藩主在任中は数度の天災に襲われて財政が傾き、幕府や紀州藩より多額の援助を受けた。
阪東太郎(32) 安兵衛十八番斬り(1936・映画) 片岡松燕(42) 決闘高田の馬場(1937・日活) 役名は松平右京太夫 中村幸二 紅だすき喧嘩状(1959・映画) 武井三二(32) 喧嘩安兵衛 決闘高田ノ馬場(1989・NTV) 役名は松平右京大夫 三浦竜也 長七郎江戸日記(第3部)(1990・NTV) 藤岡琢也(65) 八代将軍吉宗(1995・NHK) 中村祐一 忠臣蔵(1996・CX)
まつだいら・よりただ
1706(宝永3)-1738(元文3)
徳川氏(紀州家)
【実父】松平頼純
【実母】佐藤氏女
【別称】松平左京大夫
伊予西条藩主。
松平頼純の七男。徳川吉宗のいとこ。1716(享保元)年、紀州藩主吉宗が幕府8代将軍に就任すると、これに伴って兄頼致(徳川宗直)が紀州藩主に転じたため、その後を受けて西条藩主となる。
藩政では、窮乏する藩財政の立て直しをめざして、塩田の築造などを進めた。
片岡市女蔵 天下御免(1960・松竹) 薄田研二(63) 新吾二十番勝負 第二部(1961・映画) 有島淳平(66) 暴れん坊将軍 V(1993・ANB)役名は松平和泉守 中崎達也(13) 八代将軍吉宗(1995・NHK)
まつだいら・よりたね
1810(文化7)-1879(明治12)
武蔵国
徳川氏(水戸家)
【実父】松平頼儀
【実母】時(藤木氏女)
讃岐高松藩主。
1842(天保13)年、養父(義兄)頼恕(徳川斉昭の兄)の死により家督を相続し、高松藩主となる。
1844(弘化元)年、水戸藩主斉昭が幕府より隠居・謹慎を命じられると、親戚筋として、その後継となった慶篤の後見を務めたが、1858(安政5)年に表面化した将軍徳川家定の後継問題では、大老井伊直弼に同調して水戸藩と対立。井伊の横死後、幕府が公武合体に傾くと立場を失い、1861(文久元)年に幕府より隠居・謹慎させられるに至った。
阪東橘之助(29) 江戸の青空(1936・映画) 山田良樹 花の生涯(1988・TX) 石田尚巳(45) 青天を衝け(2021・NHK)
まつだいら・よりつぐ
1805(文化2)-1884(明治17)
徳川氏(水戸家)
【実父】松平頼説
【実母】曽我氏女
常陸府中藩主。
1833(天保4)年、父頼説の死により家督を相続して府中藩主となる。1844(弘化元)年、水戸藩主徳川斉昭が幕府より隠居・謹慎を命じられた際には、親戚筋として、その後継となった慶篤の後見を務めた。
林田直樹(44) 青天を衝け(2021・NHK)
まつだいら・よりのぶ
1803(享和3)-1862(文久2)
徳川氏(水戸家)
【実父】松平頼慎
【実母】徳川治保女
陸奥守山藩主。
1830(天保元)年、父頼慎の死により家督を相続して守山藩主となったが、藩財政の悪化に伴う領民の負担増等により領内に騒動が頻発した。
なお、1844(弘化元)年、水戸藩主徳川斉昭が幕府より隠居・謹慎を命じられた際、親戚筋として、その後継となった慶篤の後見を務めている。
中松俊哉(48) 青天を衝け(2021・NHK)
まつだいら・よりのり
1831(天保2)-1864(元治元)
徳川氏(水戸家)
【実父】松平頼位
【実母】絲(松平保福女)
【別称】松平大炊頭
常陸宍戸藩主。
1846(弘化3)年、父頼位の隠居により家督を相続し、宍戸藩主となる。
1864(元治元)年に本家水戸藩内の急進的尊王攘夷派(天狗党)が挙兵すると、同年8月、幕府の命を受け、水戸藩主徳川慶篤の名代としてその鎮圧のために出陣。しかし、保守派が拠る水戸城への入城を拒否され、那珂湊で保守派と戦火を交えるに至る。そのため、幕府よりその責任を問われ、同年10月に切腹させられた。なお、このとき宍戸藩も改易となったが、維新後に頼位が宍戸藩を再興している。
柳永二郎(67) …… 斬る(1962・大映) 大目付として水戸激派の鎮撫に下向するが水戸で暗殺 入江正徳(44) 天皇の世紀(1971・ABC)