にかいどう・しづま
【生没】
【生地】
【実父】諏訪伴兼
【実母】
【別称】二階堂行健
【略伝】
薩摩藩(島津家)の家老。
二階堂行完の養子となる。薩摩藩に仕え、1848(嘉永元)年に大目付となったが、翌年2月、免職の上、謹慎を命ぜられた。
【配役】
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飯田和平(54) |
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翔ぶが如く(1990・NHK) |
にかいどう・どううん
【生没】1267(文永4)−1334(建武元)
【生地】
【家系】二階堂氏
【実父】二階堂行藤
【実母】
【別称】二階堂貞藤
【略伝】
鎌倉幕府の政所執事。
引付頭人など幕府の要職を務め、1332(正慶元・元弘2)年には政所執事となる。
翌年の幕府崩壊後は、後醍醐天皇の新政に加わり、雑訴決断所に出仕したが、翌1334(建武元)年、西園寺公宗らの新政転覆計画に加担したことを咎められ、京都六条河原で処刑された。
【配役】
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北九州男(57) |
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太平記(1991・NHK) |
にかいどう・とくよ
【生没】1880(明治13)−1941(昭和16)
【生地】宮城県
【実父】二階堂保治
【実母】二階堂キン(小梁川正之助女)
【略伝】
東京女子高等師範学校を卒業後、各地の学校で体育の教員として勤務し、1912(大正元)年に母校の助教授に就任(後に教授)。翌年からはイギリスに留学し、ダンスなどを学ぶ。
1921(大正10)年に東京女高師を退職し、翌年、女子のための体操塾(後の日本女子体育大)を開き、ここに人見絹枝など多くの逸材が育つ。1936(昭和11)年には、招致が決定した東京五輪に備えて日本婦人体育連盟を結成するなど女子体育の振興に尽力し、「日本女子体育の母」と呼ばれた。
【配役】
にかいどう・まさゆき
【生没】
【生地】
【家系】二階堂氏
【実父】二階堂忠行
【実母】
【略伝】
将軍足利義稙の近臣であったという。
歌人として著名で、『和歌打聞集』などの撰者を務めた。
【配役】
にかいどう・ゆきつな
【生没】1216(建保4)−1281(弘安4)
【生地】
【家系】二階堂氏
【実父】二階堂行盛
【実母】
【略伝】
鎌倉幕府の政所執事。
1249(建長元)年から幕府引付衆を務め、1256(康元元)年に執権北条時頼が出家するとこれとともに出家したが、1264(文永元)年より評定衆となり、後に政所執事として執権時宗を支え、元寇という未曽有の国難に対処した。
【配役】
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高松錦之助(39) |
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蒙古襲来 敵国降伏(1937・映画) |
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青野 武(65) |
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北条時宗(2001・NHK) |
にかいどう・ゆきまさ
【生没】
【生地】
【家系】二階堂氏
【実父】藤原(工藤)行遠
【実母】藤原季兼女
【別称】藤原行政
【略伝】
鎌倉幕府の政所執事。
母が源頼朝の母方の大叔母である縁から頼朝に仕える。1192(建久3)年の頼朝の征夷大将軍就任後は幕府政所執事を務め、1199(正治元)年の頼朝没後、その後継頼家の親政から有力御家人13人による合議制に移行すると、これに加わった。
【配役】
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谷津 勲(50) |
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草燃える(1979・NHK) |
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本多 隆(42) |
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義経(2005・NHK) |
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野仲イサオ(63) |
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鎌倉殿の13人(2022・NHK) |
にかいどう・ゆきむら
【生没】1155(久寿2)−1238(嘉禎4)
【生地】
【家系】二階堂氏
【実父】二階堂行政
【実母】
【略伝】
鎌倉幕府の評定衆。
幕府侍所検断奉行などを務める。朝廷からは検非違使に任ぜられ、山城判官と称されたが、1219(承久元)年の将軍源実朝の暗殺後に出家。しかし、引き続き幕政に参画し、1225(嘉禄元)年に評定衆が新たに設置されるとその一員となった。
【配役】
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林 邦明(35) |
…… |
草燃える(1979・NHK) |