北条顕時
ほうじょう・あきとき

【生没】1248(宝治2)−1301(正安3)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条実時
【実母】金沢殿
【別称】金沢顕時
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1269(文永6)年より幕府引付衆、1278(弘安元)年からは評定衆を務める。1285(弘安8)年、岳父安達泰盛ら安達一族が討伐されると、これにに連座して失脚したが、1293(永仁元)年に泰盛らを討った平頼綱が討伐されると、鎌倉に呼び戻されて幕政に復帰した。
【配役】
山口馬木也(28) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条貞時
ほうじょう・さだとき

【生没】1272(文永9)−1311(応長元)
【生地】相模国
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時宗
【実母】覚山尼
【略伝】
 鎌倉幕府9代執権。
 北条時宗の長男。1284(弘安7)年の時宗の死により、北条得宗家の家督を相続し、幕府9代執権に就任。翌年、乳母夫平頼綱の言を容れて外戚安達一族を掃討するが、1293(正応6)年には幕政の実権を握って専横がみられた頼綱を討伐する。さらにこの年、引付衆を廃止して得宗専制政治の基盤を再度固めたが、実際には貞時側近の発言力がますます増大し、かえって得宗家の家臣である御内人勢力の拡大を招く。1297(永仁5)年には元寇での恩賞の不十分さによる御家人救済のためにいわゆる永仁の徳政令を発布したがその2年後に撤回を余儀なくされるなど、幕政に混乱を生じさせた。
 1301(正安2)年、いとこで女婿の師時に執権職を譲って出家するが、引き続き実権を掌握したままだった。
【配役】
金子 雄(4)→小池城太朗(9)→佐保祐樹(11) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条実時
ほうじょう・さねとき

【生没】1224(元仁元)−1276(建治2)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条実泰
【実母】天野政景女
【別称】金沢実時
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1234(文暦元)年に幕府小侍所別当となり、1252(建長4)年から評定衆、1264(文永元)年からは越訴奉行を務めるなど、得宗北条時頼時宗の時代に一貫して幕府の重職にあった。
 1275(建治元)年に相模金沢に隠退する前後から熱心に和漢の書籍を蒐集、隠退後は典籍の書写・校合に注力して金沢文庫を創設した。
【配役】
若本一郎 …… 蒙古襲来 敵国降伏(1937・映画)
葛木香一(54) …… かくて神風は吹く(1944・大映)
池畑慎之介(49) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条実時の妻
ほうじょう・さねときのつま

【生没】
【生地】相模国?
【実父】安達氏
【実母】
【略伝】北条実時の妻。
【配役】
増田恵子(44) …… 北条時宗(2001・NHK) 役名は周子

北条実政
ほうじょう・さねまさ

【生没】1249(建長元)−1302(乾元元)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条実時
【実母】金沢殿
【別称】金沢実政
【略伝】
 北条実時の子。
 北条顕時の弟。1274(文永11)年の元軍の襲来の後、再度の襲来に備えて幕府により九州に派遣され、九州防衛の総司令官となる。1281(弘安4)年に元軍が再襲来した際には、各地の御家人を率いてその撃退に成功した。
 その後も1283(弘安6)年に長門探題、1296(永仁4)年には鎮西探題に任ぜられ、引き続き幕府の九州支配の中枢を担った。
【配役】
中野信成 …… 国難(1920・映画)
多岐征二 …… かくて神風は吹く(1944・大映)

北条重時
ほうじょう・しげとき

【生没】1198(建久9)−1261(弘長元)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条義時
【実母】姫の前
【略伝】
 鎌倉幕府の連署。
 北条義時の三男。1219(承久元)年、幕府に小侍所が設置された際、その別当に就任する。1230(寛喜2)年には六波羅探題(北方)となって上洛するが、1247(宝治元)年、異母兄泰時の孫に当たる執権時頼に請われて鎌倉に戻り、連署に就任して時頼を輔佐した。
【配役】
永田 靖(51) …… 日蓮と蒙古大襲来(1958・大映)
平幹二朗(68) …… 北条時宗(2001・NHK)
加藤斗真(7) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条茂時
ほうじょう・しげとき

【生没】?−1333(元弘3・正慶2)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条熙時
【実母】南殿(北条貞時女)
【略伝】
 鎌倉幕府の連署。
 1326(嘉暦元)年に幕府一番引付頭人、1330(元徳2)には幕府最後の連署に就任。1333(元弘3・正慶2)年5月の幕府崩壊により、鎌倉東勝寺で一族とともに自害した。
【配役】
神谷まさひろ(28) …… 太平記(1991・NHK)

北条高時
ほうじょう・たかとき

【生没】1303(嘉元元)−1333(正慶2・元弘3)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条貞時
【実母】覚海尼
【略伝】
 鎌倉幕府14代執権。
 1311(応長元)年、父貞時の死により北条得宗家の家督を相続し、1316(正和5)年には執権に就任するが、実権は貞時の代から幕政に大きな影響力を及ぼしていた内管領長崎高資が掌握。1324(正中元)年、後醍醐天皇による倒幕の陰謀が露見すると、その近臣日野資朝を佐渡島に配流するなどしたが、1326(嘉暦元)年に病を得て出家し、執権職を金沢貞顕に譲る。このころより政務への関心がみられなくなり、政務を全面的に高資に委ねる一方で、田楽や闘犬にふける日々を過ごしたとされ、そのため幕政の腐敗と権力基盤の弱体化が加速度的に進んだ。
 1331(元弘元)年、再び後醍醐帝による倒幕の陰謀が発覚すると、軍勢を京都へ差し向け、帝の近臣日野俊基文観などを捕らえ、俊基を鎌倉に護送してこれを斬罪に処する。その後、帝が京都脱出して山城笠置山に挙兵したため、足利高氏大仏貞直などを派遣して笠置山の攻略に当たらせ、帝を捕縛して廃立。翌年には帝を隠岐島への流罪に処したが、翌1333(正慶2・元弘3)年2月に帝が配所を脱出したため、高氏をその追討のために再び派兵した。
 しかし、高氏が反旗を翻して六波羅探題を討ち滅ぼした上、上野では新田義貞が挙兵し、同年5月22日、関東の武将が次々と馳せ参じて大軍となった新田勢が鎌倉府内へ雪崩込んだため、東勝寺に逃れ、一族とともに自害して果てた。本邦初の武家政権鎌倉幕府はここに滅亡した。
【配役】
高木永二(44) …… 大楠公(1940・映画)
片岡鶴太郎(37) …… 太平記(1991・NHK)
浅利陽介(14) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条時章
ほうじょう・ときあきら

【生没】1215(建保3)−1272(文永9)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条朝時
【実母】大友能直女
【別称】名越時章
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1246(寛元4)年の北条時頼の幕府執権就任直後、兄光時が幕府前将軍九条頼経とともに幕府転覆計画を図ったとして失脚するが、自らは時頼に忠誠を誓って赦免され、翌年には幕府評定衆となる。
 しかし、1272(文永9)年2月、弟教時が幕府に叛旗を翻すと、教時とともに執権時宗に滅ぼされた。なお、討伐後、時章の無実が判明し、時宗はその子公時と孫時家を評定衆に取り立てている。
【配役】
白 竜(49) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条時定
ほうじょう・ときさだ

【生没】1145(久安元)−1193(建久4)
【生地】
【実父】北条時兼?北条兼時?
【実母】
【別称】平六
【略伝】
 北条時政の甥ともいわれるが定かではない。
 1180(治承4)年の平氏に対する源頼朝の挙兵に加わって各地を転戦した。
【配役】
大滝秀治(41) …… 源義経(1966・NHK)
西脇礼門(39) …… 義経(2005・NHK)

北条時茂
ほうじょう・ときしげ

【生没】1240(仁治元)−1270(文永7)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条重時
【実母】治部卿(平基親女)
【略伝】
 鎌倉幕府の六波羅探題(北方)
 北条重時の三男。1254(建長6)年に幕府小侍所別当となるが、1256(康元元)年、六波羅探題(北方)の兄長時が鎌倉に戻ったのと入れ替わりに上洛し、六波羅探題北方に就任。1270(文永7)年1月、在職のまま京都に没した。
【配役】
羽賀研二(39) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条時茂の妻
ほうじょう・ときしげのつま

【生没】
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条政村
【実母】
【略伝】北条時茂の妻。
【配役】
英 由佳(24) …… 北条時宗(2001・NHK) 役名は秀子

北条時輔
ほうじょう・ときすけ

【生没】1248(宝治2)−1272(文永9)
【生地】相模国
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時頼
【実母】讃岐
【略伝】
 鎌倉幕府の六波羅探題(南方)。
 北条時頼の長男。時頼の庶子であったために北条得宗家の家督を相続することができず、1264(文永元)年、異母弟時宗の幕府連署就任に伴い、六波羅探題(南方)に就任。これを機に朝廷と接近し、1268(文永5)年の時宗執権就任時にもこれに異を唱え、その後のモンゴル(元)からの国書への返書をめぐる問題でも幕府と対立する。
 1272(文永9)年2月、謀叛の疑いを受け、時宗の命を受けた六波羅探題北方北条義宗に襲撃され、殺害された。
【配役】
明智十三郎(35)…… 風雲児時宗(1961・CX)
太田光輝(7)→東海孝之助(13)→崎本大海(15)→渡部篤郎(33)…… 北条時宗(2001・NHK) 二月騒動を生き延びて時宗(和泉元彌)の最後も看取る

北条時輔の正室
ほうじょう・ときすけのせいしつ

【生没】
【生地】
【実父】小山長村
【実母】
【略伝】北条時輔の正室。
【配役】
黒川芽以(14)→ともさかりえ(22) …… 北条時宗(2001・NHK) 役名は祥子/1272(文永9)年の二月騒動後に殺害される

北条時広
ほうじょう・ときひろ

【生没】1222(貞応元)−1275(建治元)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時村
【実母】
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1264(文永元)年に幕府引付衆、翌年には評定衆となった。
【配役】
石橋蓮司(60) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条時房
ほうじょう・ときふさ

【生没】1175(安元元)−1240(仁治元)
【生地】伊豆国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時政
【実母】足立遠元
【別称】北条時連
【略伝】
 鎌倉幕府の連署。
 北条政子義時の弟。幕府政所別当を務め、兄の執権義時を輔佐。1221(承久3)年の承久の乱では、総大将となった甥泰時に従って京都に入り、乱後は朝廷・西国の監視のために設置された六波羅探題(南方)となってそのまま京都に残った。
 1224(元仁元)年、義時の死と泰時の執権就任に伴って新たに設置された連署に就任するために鎌倉に戻り、以後、泰時を輔佐した。
【配役】
宮沢公栄(4)→武末政和→森田順平(25)…… 草燃える(1979・NHK)
瀬戸康史(34)…… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条時政
ほうじょう・ときまさ

【生没】1138(保延4)−1215(建保3)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時方?北条時家?
【実母】伴為房女
【略伝】
 鎌倉幕府初代執権。
 伊豆の豪族で、1159(平治元)年の平治の乱に敗れて伊豆に流された源頼朝の監視を命ぜられるが、後に頼朝と長女政子が婚姻したため、頼朝に従うようになる。1180(治承4)年に頼朝が平氏に対して挙兵するとこれに従って各地を転戦。その後、頼朝が平氏などの追討を弟義経らに委ねてからは鎌倉にあって頼朝を輔佐した。
 1192(建久3)年の頼朝の征夷大将軍就任後も幕政の中心にあり、1199(正治元)年の頼朝没後、その後継頼家の親政から有力御家人13人による合議制に移行するとその一員となる。その後、有力御家人の排除に動き、梶原景時の失脚や将軍頼家の正室若狭局の実家比企一族の討伐を主導し、1203(建仁3)年には政子・次男義時と謀り頼家を出家させて将軍に実朝を据え、幕政の実権を掌握した。
 1205(元久2)年には後室牧の方に煽動され、女婿平賀朝雅との間に紛争が生じた畠山一族を義時らの反対を押し切って討伐。さらには朝雅の将軍擁立を企んで実朝の暗殺を計画したため、この専横を危険視した政子と義時によって出家させられた。
【配役】
尾上松緑(32) …… 盛綱(1927・映画)
岩田祐吉(51) …… 静御前(1938・新興)
東野英治郎(48) …… 修禅寺物語(1955・松竹)
花布辰男(44) …… 新・平家物語 静と義経(1956・映画)
三島雅夫@(55) …… 富士に立つ若武者(1961・東映)
宇佐美淳也(52) …… 源九郎義経(1962・東映)
三島雅夫A(64) …… 北条政子(1970・NET)
加東大介(61) …… 新・平家物語(1972・NHK)
金田龍之介(51) …… 草燃える(1979・NHK)
内藤武敏(60) …… 武蔵坊弁慶(1986・NHK)
鈴木瑞穂(63) …… 源義経(1990・TBS)
小林昭二(61) …… 源義経(1991・NTV)
本郷功次郎(55) …… 炎立つ(1993・NHK)
小林稔侍(64) …… 義経(2005・NHK)
遠藤憲一(51) …… 平清盛(2012・NHK)
坂東弥十郎(66) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条時政の妻
ほうじょう・ときまさのつま

【生没】
【生地】伊豆国?
【実父】伊東祐親
【実母】
【略伝】北条時政の妻。
【配役】
吉田香織(33) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK) 伊東祐親(浅野和之)の娘

北条時益
ほうじょう・ときます

【生没】?−1333(元弘3・正慶2)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時敦
【実母】
【略伝】
 鎌倉幕府の六波羅探題(南方)。
 1330(元徳2)年に幕府最後の六波羅探題(南方)に就任して上洛。上洛後は後醍醐天皇に属した反幕府勢力の鎮圧に奔走するが、1333(元弘3・正慶2)年5月、幕府に叛旗を翻した足利高氏らの軍勢と交戦して敗れ、六波羅探題(北方)北条仲時らとともに鎌倉に落ち延びる途中、京都東山で野盗に襲われて落命した。
【配役】
世古陽丸(38) …… 太平記(1991・NHK)

北条時見
ほうじょう・ときみ

【生没】
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条篤時
【実母】
【別称】江馬越前
【略伝】
 鎌倉幕府の御家人。
 1331(元弘元・元徳3)年、後醍醐天皇ら反幕府勢力の討伐のため、山城笠置山・河内赤坂城攻めに加わる。1333(元弘3・正慶2)年には、楠木正成討伐のため河内千早城攻めに出陣した。
【配役】
上野 淳(34) …… 太平記(1991・NHK)

北条時宗
ほうじょう・ときむね

【生没】1251(建長3)−1284(弘安7)
【生地】相模国
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時頼
【実母】葛西殿
【別称】正寿丸
【略伝】
 鎌倉幕府8代執権。
 北条時頼の次男。1256(康元元)年の時頼の出家の際、異母兄(庶子)の時利(時輔)を差し置いて北条得宗家の家督を相続するが、幼少のために幕府執権職には北条長時が就任。1264(文永元)年の長時没後は北条一門長老の政村が執権職に就任し、それに伴って連署に就任した。
 1268(文永5)年、政村より執権職を譲り受ける。同年、モンゴル帝国の支配下にあった高麗の使者潘阜が服属を促すモンゴル皇帝フビライの国書を携えて来日したが要求を拒絶。その後も高麗、元の使者が繰り返し来日し、服属を求める国書への返書を求めたがいずれも拒否する。その一方で、元の来襲に備え、西国の御家人に沿岸防備の強化を指示。この間の1272(文永9)年には、反得宗とみなされた北条時章教時兄弟、異母兄時輔を滅ぼして幕府の権力基盤の強化を図り、国内政治の安定に努めた。
 1274(文永11)年の元軍の襲来後には九州の守護に北条一族を配するなどして防衛体制を強化。その後も元より降伏勧告の使者が来日したが、使者の斬首でもってこれに応じ、1281(弘安4)年の元軍の再襲来の際には、沿岸部にあらかじめ石塁を築いて海岸線の防衛を強化していたことが功を奏し、元軍の上陸作戦が停滞することとなった。
 その後、九州の防御体制をさらに強化し、戦後の論功行賞にも心を砕くが、1284(弘安7)年4月に病没した。
【配役】
吉岡啓太郎 …… 国難(1920・映画)
梅田芳男 …… 国を護る日蓮(1935・映画)
林長二郎(29) …… 蒙古襲来 敵国降伏(1937・映画)
片岡千恵蔵(41) …… かくて神風は吹く(1944・大映)
8市川雷蔵(27) …… 日蓮と蒙古大襲来(1958・大映)
松本錦四郎(28) …… 風雲児時宗(1961・CX)
松方弘樹(37) …… 日蓮(1979・松竹)
小池城太朗(9)→浅利陽介(14)→和泉元彌(27)…… 北条時宗(2001・NHK)

北条時頼
ほうじょう・ときより

【生没】1227(安貞元)−1263(弘長3)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時氏
【実母】松下禅尼
【略伝】
 鎌倉幕府5代執権。
 1246(寛元4)年、重病の床にあった兄の執権経時より執権職を譲り受ける。執権就任後ほどなくして、前将軍九条頼経とその側近北条(名越)光時らとの間に幕府転覆の計画があることを察知し、光時を伊豆へ流し、頼経を京都へ送還する。翌年には外祖父安達景盛を隠棲先の高野山より呼び戻して三浦泰村らを討伐し、幕府草創期からの有力御家人である三浦家を滅ぼして幕府の権力基盤を確立。1249(建長元)年には裁判の迅速化・公平化を期して、評定衆の下に引付衆を設置した。
 1252(建長4)年には将軍九条頼嗣を廃して宗尊親王を将軍に迎え、幕政の安定を図るが、1256(康元元)年に病を得て出家。執権職を北条長時に譲ったもの、その後見として引き続き実権を掌握し、北条氏の惣領である得宗による専制政治を確立した。
【配役】
2尾上松之助(43) …… 佐野源左衛門(1918・日活)
中村吉蔵 …… 国難(1920・映画)
久保春二 …… 国を護る日蓮(1935・映画)
6市川染五郎(37) …… 日蓮(1979・松竹)
渡辺 謙(42) …… 北条時宗(2001・NHK) 毒殺される最期
藤原竜也(27) …… 禅 ZEN(2009・角川)

北条朝時
ほうじょう・ともとき

【生没】1193(建久4)−1245(寛元3)
【生地】相模国
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条義時
【実母】姫の前
【別称】名越朝時
【略伝】
 北条義時の次男。
 父義時の正室の子だったため、正室の子ではない異母兄泰時を差し置いて嫡男とされていたが、1212(建暦2)年に将軍源実朝の怒りを買って失脚したため、その座を失う。翌年の和田合戦の際に赦免され、朝比奈義秀の軍勢と戦って活躍し、1221(承久3)年の承久の乱では、北陸道大将軍として大軍を率いて上洛した。
 乱後、加賀・能登などの守護を務める一方、幕府評定衆となって幕政に参画するが、執権泰時による専制政治が確立すると、次第に将軍九条頼経に接近したという。
【配役】
時任 和 …… 草燃える(1979・NHK)
高橋悠悟(11)→西本たける(31) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条仲時
ほうじょう・なかとき

【生没】1306(徳治元)−1333(元弘3・正慶2)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条基時
【実母】
【略伝】
 鎌倉幕府の六波羅探題(北方)。
 1330(元徳2)年、幕府最後の六波羅探題(北方)となって上洛。上洛後は後醍醐天皇に属した反幕府勢力の鎮圧に奔走するが、1333(元弘3・正慶2)年5月、幕府に叛旗を翻した足利高氏らの軍勢と交戦して敗れ、六波羅探題(南方)北条時益らとともに鎌倉に落ち延びる途中で進退窮まり、近江蓮華寺で自害して果てた。
【配役】
段田安則(34)→刀坂 悟(35) …… 太平記(1991・NHK)

北条長時
ほうじょう・ながとき

【生没】1230(寛喜2)−1264(文永元)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条重時
【実母】治部卿(平基親女)
【略伝】
 鎌倉幕府6代執権。
 北条重時の次男。1247(宝治元)年、執権北条時頼に請われて鎌倉へ戻り幕府連署に就任した父重時の後を受け、六波羅探題(北方)に就任。1252(建長4)年の将軍九条頼嗣の廃立、それに伴う宗尊親王の擁立に当たっては朝廷と幕府との交渉に奔走した。
 1256(建長8)年、重時の隠居により鎌倉に戻って幕府評定衆となるが、同年、時頼が病を得て出家したため、幕府6代執権に就任。しかし、ほどなくして病の癒えた時頼が引き続き実権を掌握したために幕政の主導権を得ることができず、1264(文永元)年7月には病を得て出家。執権職を叔父政村に譲り、翌8月に没した。
【配役】
佐藤和男(40) …… 日蓮(1979・松竹)
川崎麻世(38) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条業時
ほうじょう・なりとき

【生没】1241(仁治2)?−1287(弘安10)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条重時
【実母】筑前局?備後局?
【略伝】
 鎌倉幕府の連署。
 北条重時の四男。1265(文永2)年に幕府引付衆、1276(建治2)年には評定衆となる。1283(弘安6)年には連署に任ぜられ、執権北条時宗貞時父子を支えた。
【配役】
伊原史郎 …… かくて神風は吹く(1944・大映)

北条範貞
ほうじょう・のりさだ

【生没】1285(弘安8)?−1333(元弘3・正慶2)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時範
【実母】
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1315(正和4)年に幕府引付衆、1320(元応2)年に評定衆となり、その翌年には六波羅探題(北方)として上洛。1324(正中元)年に後醍醐天皇による倒幕計画が露見した際には、帝の側近の捕縛などに当たる。
 1330(元徳2)年に鎌倉へ戻るが、1333(元弘3・正慶2)年5月の幕府崩壊により、鎌倉東勝寺で一族とともに自害した。
【配役】
鶴田 忍(45) …… 太平記(1991・NHK)

北条教時
ほうじょう・のりとき

【生没】1235(嘉禎元)−1272(文永9)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条朝時
【実母】北条時房
【略伝】
 鎌倉幕府の評定衆。
 1265(文永2)年より幕府評定衆を務めていたが、1272(文永9)年2月、幕府に対して叛旗を翻し、兄時章とともに幕府によって討たれた。
【配役】
鈴木祐二(31) …… 北条時宗(2001・NHK)

北条政子
ほうじょう・まさこ

【生没】1157(保元2)−1225(嘉禄元)
【生地】伊豆国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時政
【実母】伊東祐親女
【略伝】
 源頼朝の正室。
 伊豆に流されていた頼朝に見初められ、これを嫌う父時政によって平氏方の伊豆目代山木兼隆に嫁がせられようとしたが、これを拒んで頼朝に嫁ぐ。
 1199(正治元)年の頼朝没後は落飾したが、正室若狭局の実家比企一族と結託して将軍専制を狙った頼家に対し、父時政・弟義時と謀って1203(建仁3)年に比企一族を討伐。同年の頼家出家、実朝の将軍擁立を主導するなど幕政へ積極的に介入し、1205(元久2)には専横が目立ち始めた父時政を幽閉して出家させ、義時とともに実質的に幕府の実権を掌握した。
 1219(承久元)年、実朝が暗殺されると、京都より九条道家の子三寅(九条頼経)を将軍に迎えてこれを後見。1221(承久3)年の承久の乱の際には、朝廷に弓引くことを恐れる御家人たちの面前で頼朝の恩義を説き、御家人の結束を固めたという。
 1224(元仁元)年の義時急死後は、甥泰時を執権、弟時房を連署に据えて幕政の基盤を固めた。
 なお、政子の名は後世の史料に登場するものであり、実名かどうか疑わしいと考えられている。
【配役】
歌川絹枝(25) …… 静御前(1938・新興)
日向輝子 …… 万寿姫(1941・映画)
夏川静江(46) …… 修禅寺物語(1955・松竹)
水戸光子(37) …… 新・平家物語 静と義経(1956・映画)
三田佳子(20) …… 富士に立つ若武者(1961・東映)
細川ちか子(59) …… 散る花びらに(1964・TBS)
大塚道子(36) …… 源義経(1966・NHK)
佐久間良子(31) …… 北条政子(1970・NET)
加茂さくら(34) …… 女人平家(1971・ABC)
栗原小巻(27) …… 新・平家物語(1972・NHK)
岩下志麻(38) …… 草燃える(1979・NHK)
神崎 愛(32) …… 武蔵坊弁慶(1986・NHK)
十朱幸代(48) …… 源義経(1990・TBS)
高橋ひとみ(30) …… 源義経(1991・NTV)
財前直見(39) …… 義経(2005・NHK)
杏(26) …… 平清盛(2012・NHK)
小池栄子(42) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条政範
ほうじょう・まさのり

【生没】1189(文治5)−1204(元久元)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時政
【実母】牧の方
【略伝】
 北条時政の子。
 1204(元久元)年11月、将軍源実朝の正室を鎌倉に迎えるために上洛していた京都で急死した。
【配役】
高橋 淳(22) …… 草燃える(1979・NHK)
中川 翼(17) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条政村
ほうじょう・まさむら

【生没】1205(元久2)−1273(文永10)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条義時
【実母】伊賀朝光女
【略伝】
 鎌倉幕府7代執権。
 北条義時の五男。1224(元仁元)年の父義時の急死後、母がその兄で幕府政所執事の伊賀光宗と語らって、将軍九条頼経を廃して新将軍に一条実雅、執権に政村を擁立しようとしたが、尼将軍北条政子が義時の嫡男泰時を執権に指名して陰謀は未然のうちに防がれる。母は伊豆へ流されたが、政村自身に咎めはなかった。
 1239(延応元)年に幕府評定衆となり、1249(建長元)年に引付頭人、1256(康元元)年には隠退した兄重時に代わって幕府連署に就任し、1264(文永元)年に執権北条長時が没すると、幕府7代執権に就任して1268(文永5)年まで務める。同年、北条時宗が執権に就任するに当たって連署に転じ、若年の時宗を輔佐するが、1273(文永10)年5月、元寇という未曽有の国難を前に病没した。
【配役】
香川良介(83) …… 日蓮(1979・松竹)
伊東四朗(64) …… 北条時宗(2001・NHK)
新原泰佑(22) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条宗時
ほうじょう・むねとき

【生没】?−1180(治承4)
【生地】伊豆国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時政
【実母】伊東祐親女
【略伝】
 北条時政の長男。
 1180(治承4)年8月、平氏に対して源頼朝が挙兵した際には父時政とともにこれを加わったが、平氏方との石橋山の戦いで討死した。
【配役】
岡田英次(41) …… 富士に立つ若武者(1961・東映)
中村敦夫(30) …… 北条政子(1970・NET)
鈴木 智(38) …… 新・平家物語(1972・NHK)
中山 仁(37) …… 草燃える(1979・NHK) 伊東祐之(滝田栄)により殺害
湯江健幸(26) …… 炎立つ(1993・NHK)
姫野惠二(39) …… 義経(2005・NHK)
6片岡愛之助(50) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK) 伊東家の家人善児(梶原善)により殺害

北条宗政
ほうじょう・むねまさ

【生没】1253(建長5)−1281(弘安4)
【生地】相模国
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時頼
【実母】葛西殿
【略伝】
 北条時頼の三男。北条時宗の弟。
 1272(文永9)年より幕府評定衆を務め、後に引付頭人を兼ねて執権の兄時宗を支える。1277(建治3)年には元軍の再度の襲来に備えて筑後守護に任ぜられ、1281(弘安4)年の元軍の再襲来(弘安の役)の際には奮戦したが、元軍撃退後の8月に没した。
【配役】
松川真之介(6)→川原一馬(11)→比留間由哲(25) …… 北条時宗(2001・NHK) 弘安の役での負傷がもとで没する

北条宗政の正室
ほうじょう・むねまさのせいしつ

【生没】
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条政村
【実母】
【略伝】北条宗政の妻。
【配役】
泉 沙池(15) …… 北条時宗(2001・NHK) 役名は芳子

北条泰家
ほうじょう・やすいえ

【生没】
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条貞時
【実母】覚海尼
【略伝】
 北条高時の弟。
 1326(嘉暦元)年に兄高時が幕府執権職を辞した際にその後継に目されたが、内管領長崎高資の反対で実現せず、出家する。
 1333(元弘3・正慶2)年、幕府に対し叛旗を翻した新田義貞らの軍勢が鎌倉に迫ると、これを迎え撃ったものの敗れ、高時の子時行らを逃がした後、自らも鎌倉を脱出。その後、京都に入って西園寺公宗に匿われ、後醍醐天皇の新政の転覆計画などに加わった。
【配役】
緑川 誠(32) …… 太平記(1991・NHK)

北条泰時
ほうじょう・やすとき

【生没】1183(寿永2)−1242(仁治3)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条義時
【実母】阿波局
【別称】金剛、北条頼時
【略伝】
 鎌倉幕府3代執権。
 1194(建久5)年、源頼朝を烏帽子親として元服。母は父義時の側室阿波局であったが、義時の嫡男だった異母弟朝時が将軍源実朝の怒りを買って失脚したため、義時の嫡男となる。
 1218(建保6)年には幕府侍所別当に就任し、1221(承久3)年の後鳥羽上皇方の挙兵に際しては、幕府軍の総大将を務めて京都に進撃してこれを破り、朝廷・西国の監視のために設置された六波羅探題(北方)となってそのまま京都に残った。
 1224(貞応3)年、父義時の死により、鎌倉に戻って幕府3代執権に就任。評定衆の設置、御成敗式目(貞永式目)の制定などによって幕府の基盤を磐石ならしめた。
【配役】
大山 努→尾美としのり(14)→中島久之(27)…… 草燃える(1979・NHK)
松澤禾蘭→梶谷奏陽(1)→森優理斗(8)→坂口健太郎(31)…… 鎌倉殿の13人(2022・NHK) 母は八重(新垣結衣)

北条義時
ほうじょう・よしとき

【生没】1163(長寛元)−1224(貞応3)
【生地】
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条時政
【実母】伊東祐親女
【別称】小四郎
【略伝】
 鎌倉幕府2代執権。
 北条時政の次男。1180(治承4)年の平氏に対する源頼朝の挙兵に加わり、その後の平氏追討戦などで活躍。1199(正治元)年の頼朝の没後、その後継頼家の親政から13人の有力御家人による合議制に移行すると、これに加わって幕政に参画する。しかし、専横を極める父時政と次第に対立し、1205(元久2)年には姉政子と謀って時政を隠退に追い込み、自らは幕府政所別当に就任。以後、政子とともに幕政の中心となり、1213(建保元)年には幕府侍所別当和田義盛を討伐し、政所別当に侍所別当を兼ねて権力基盤を確立した。
 1219(承久元)年、将軍源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された事件では、実朝に同行する予定だったところを当日になって取りやめたために暗殺への関与を疑われるが、新将軍に京都から三寅(九条頼経)を迎えて幕府の体制を立て直す。1221(承久3)年には後鳥羽上皇により義時追討の院宣が下されるが、長男泰時らに大軍を与えて上洛させ、上皇方を制圧。乱後、上皇らを流罪に処して朝廷に対する幕府の優位を確立し、朝廷や西国の監視のために六波羅探題を設置した。
【配役】
菊池大輔 …… 奇傑鬼鹿毛(1925・マキノ)
舟波邦之介(25) …… 静御前(1938・新興)
永田光男(41) …… 修禅寺物語(1955・松竹)
石立鉄男(28) …… 北条政子(1970・NET)
西田敏行(25) …… 新・平家物語(1972・NHK)
松平 健(26) …… 草燃える(1979・NHK)
黒樹 洋(20) …… 炎立つ(1993・NHK)
木村 昇(26) …… 義経(2005・NHK)
原田一輝(12)→中山卓也(24)…… 平清盛(2012・NHK)
小栗 旬(40) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK)

北条義時の妻
ほうじょう・よしときのつま

【生没】
【生地】
【実父】伊賀朝光
【実母】二階堂行政
【略伝】
 北条義時の妻。
 義時の後妻となって政村らをもうける。
 1224(貞応3)年6月、義時が急死すると(自身による毒殺説もある)、幕府政所執事を務める兄光宗とともに、娘婿の一条実雅を将軍、政村を執権に擁立することを企図する。三浦義村らを取り込むことにも成功するが、尼将軍政子の画策により頓挫。その後、伊豆北条で幽閉された。
【配役】
菊地凛子(41) …… 鎌倉殿の13人(2022・NHK) 役名はのえ

北条義政
ほうじょう・よしまさ

【生没】1242(仁治3)−1281(弘安4)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条重時
【実母】女房少納言局
【略伝】
 鎌倉幕府の連署。
 北条重時の五男。若年のころより将軍宗尊親王に近侍し、1265(文永2)年より幕府引付衆、1267(文永4)年より評定衆を務め、1273(文永10)年、幕府連署北条政村の死により連署に就任。若き執権北条時宗を輔佐し、元寇という未曽有の国難に対処する。
 1277(建治3)年4月、病のために連署を辞し、翌月には出家。信濃善光寺に詣でてそのまま本領信濃塩田に隠退した。
【配役】
中村吉松(37)…… 蒙古襲来 敵国降伏(1937・映画)
天野勝弘(37)→渡辺 徹(40)…… 北条時宗(2001・NHK)

北条義宗
ほうじょう・よしむね

【生没】1253(建長5)−1277(建治3)
【生地】相模国?
【家系】北条(鎌倉)氏
【実父】北条長時
【実母】北条時盛女
【別称】赤橋義宗
【略伝】
 鎌倉幕府の六波羅探題(北方)。
 1271(文永8)年、六波羅探題(北方)に任ぜられて上洛。翌年2月には執権北条時宗の命を受け、その異母兄時輔を六波羅探題(南方)に襲撃してこれを滅ぼし、幕府の権力基盤の安定に貢献した。
 1276(建治2)年に鎌倉に戻り、翌年6月には幕府評定衆となるが、同年8月に没した。
【配役】
宮迫博之(31) …… 北条時宗(2001・NHK) 自害する最期

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