くまがい・だいぜん
【生没】?−1595(文禄4)
【生地】
【実父】
【実母】
【別称】熊谷直之
【略伝】
豊臣家の家臣。
はじめ若狭武田家に仕えていたと思われ、その織田信長への従属後は織田家に、信長の横死後は羽柴(豊臣)秀吉に仕える。
後に秀吉によりその甥秀次の家老に任ぜられたが、1595(文禄4)年、秀次の失脚に連座し、切腹させられた。
【配役】
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生井健夫(41) |
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春の坂道(1971・NHK) |
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信実一徳(40) |
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徳川家康(1983・NHK) |
くまがい・なおいえ
【生没】1169(嘉応元)−1221(承久3)
【生地】
【実父】熊谷直実
【実母】
【別称】熊谷小次郎
【略伝】
熊谷直実の長男。
父直実とともに平氏追討軍に属して各地を転戦。その後も源頼朝の陸奥出陣などで活躍し、1221(承久3)年の承久の乱でも幕府方として出陣したが、同年8月に没した。
【配役】
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片岡松燕(29) |
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戦後の須磨(1924・日活) |
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巽秀太郎(29) |
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源義経(1966・NHK) |
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太田定雄 |
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新・平家物語(1972・NHK) |
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内海光司(22) |
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源義経(1990・TBS) |
くまがい・なおざね
【生没】1138(保延4)?−1208(承元2)?
【生地】武蔵国
【実父】熊谷直貞
【実母】
【別称】熊谷次郎
【略伝】
源頼朝の家臣。
1156(保元元)年の保元の乱、1159(平治元)年の平治の乱では源氏方に属したが、後に平氏に仕える。
1180(治承4)年、伊豆にて源頼朝が平氏に対し挙兵すると、はじめ平氏方に属してこれと戦ったが、後に頼朝に従って平氏追討軍に加わり、1184(元暦元)年の一ノ谷の戦いでは、平敦盛と一騎討ちの末にこれを討ち取る戦功を挙げる。その様子は『平家物語』に描写され、後に能の演目「敦盛」などさまざまに脚色された。
若年の敦盛を討ち取ったことや身内での所領争いなどから世の無常を感じたとされ、1193(建久4)年ごろ、法然の弟子となって出家。その後は多くの寺院を開くなどした。
【配役】
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5沢村四郎五郎(40) |
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熊谷陣屋(1917・天活) |
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2尾上松之助(49) |
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戦後の須磨(1924・日活) |
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大友柳太朗(43) |
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笛吹若武者(1955・映画) |
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中村竹弥(48) |
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源義経(1966・NHK) |
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沖 時男 |
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女人平家(1971・ABC) |
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岡田英次(52) |
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新・平家物語(1972・NHK) |
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長沢 大(39) |
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草燃える(1979・NHK) |
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川地民夫(52) |
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源義経(1990・TBS) |
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勝野 洋(42) |
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源義経(1991・NTV) |
くまがい・のぶなお
【生没】1507(永正4)−1593(文禄2)
【生地】安芸国
【実父】熊谷元直
【実母】宮光信女
【略伝】
安芸三入高松城主。
父元直は武田元繁に従って1517(永正14)年に毛利元就らの軍勢と戦って討死したが、家督継承後は毛利家と通じ、やがて元就に協力して各地を転戦。その後、娘を元就の次男元春に嫁がせて毛利家との関係を強化し、元春に属して山陰道の平定などに当たった。
【配役】
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綿引勝彦(52) |
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毛利元就(1997・NHK) |
くまがい・もとなお
【生没】?−1517(永正14)
【実父】熊谷膳直
【略伝】
安芸三入高松城主。
はじめ大内義興に属し、1508(永正5)年、前将軍足利義稙を奉じて上洛した義興の軍勢に加わるが、安芸国内の混乱を収めるべく義興の命を受けて帰国した武田元繁が義興より離反するとこれに属する。
しかし、1517(永正14)年10月、元繁に従い、安芸有田に大内方の毛利元就らの軍勢と戦って討死した。
【配役】
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石田登星(37) |
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毛利元就(1997・NHK) |