吉川興経
きっかわ・おきつね

【生没】1508(永正5)?−1550(天文19)
【生地】安芸国
【実父】吉川元経
【実母】
【略伝】
 安芸小倉山城主。
 はじめ尼子経久に属していたが、後に大内義隆の下に転じる。1542(天文11)年には義隆に従い、親族毛利元就らとともに尼子家の本拠出雲月山富田城を囲むが、翌年、尼子勢の反撃を受けると尼子方に寝返り、これが大内勢の大敗の一因となった。
 その後、元就を通じて大内方へ帰参するなど不安定な外交姿勢が続き、ついには家臣間の対立につけこんだ元就によってその子元春を養子に迎え入れるに至り、家中の主導権を奪われる。1549(天文18)年には、元春に家督を譲って隠居させられた上、翌年には元就によって安芸布川に幽閉され、同年9月、元就の意を受けた熊谷信直らによって殺害された。
【配役】
三觜要介(8)→京本政樹(38) …… 毛利元就(1997・NHK)

吉川国経
きっかわ・くにつね

【生没】1443(嘉吉3)−1531(享禄4)
【生地】安芸国
【実父】吉川経基
【略伝】
 安芸小倉山城主。
 1509(永正6)年、父経基の隠居により67歳の高齢で家督を相続。1511(永正8)年には上洛した大内義興に従って京都船岡山に戦うが、義兄弟に当たる尼子経久が義興に先んじて帰国するとこれと行動をともにし、やがて経久が義興より離反すると、尼子方に寝返る。
 その後、毛利弘元の娘を嫡男元経の妻に迎え、毛利元就に嫁がせるなど毛利家や他の近隣領主との連携を強めた。
【配役】
草薙幸二郎(68) …… 毛利元就(1997・NHK)

吉川監物
きっかわ・けんもつ

【生没】1829(文政12)−1867(慶応3)
【生地】
【家系】毛利氏
【実父】吉川経章
【実母】梅(長井元簡女)
【別称】吉川経幹
【略伝】
 周防岩国領主。
 1844(弘化元)年、父経章の死により家督を相続し、岩国領主となる。主君で本家筋に当たる長州藩(毛利家)との関係改善に努め、1864(元治元)年の第一次長州征伐では、幕府への恭順を主張して幕府との交渉を担当。1866(慶応2)年の第二次長州征伐では幕府への対決姿勢に転じ、芸州口で幕府軍を破る戦功を立てた。
 1867(慶応3)年3月に病没したが、長州藩主毛利敬親の意向によりその死は伏せられ、1869(明治2)年に公にされた。この間の1868(明治元)年3月には大名に列している。
【配役】
嵐 広次 …… 燃ゆる若武者(1926・帝キネ)
滝田裕介@(34) …… 西郷隆盛(1964・CX)
滝田裕介A(59) …… 奇兵隊(1989・NTV)
寺十 吾(51) …… 花燃ゆ(2015・NHK)
猪野 学(46) …… 西郷どん(2018・NHK)

吉川千法師
きっかわ・せんほうし

【生没】?−1550(天文19)
【生地】安芸国
【実父】吉川興経
【実母】宍戸元源
【略伝】
 吉川興経の子。
 1550(天文19)年、毛利元就によって父興経らとともに安芸布川に幽閉され、同年9月、元就の意を受けた熊谷信直らによって殺害された。
【配役】
平野一真 …… 毛利元就(1997・NHK)

吉川経家
きっかわ・つねいえ

【生没】1547(天文16)−1581(天正9)
【生地】
【実父】吉川経安
【実母】吉川経典女
【略伝】
 毛利家の家臣。
 1581(天正9)年2月、山陰へ進出した羽柴秀吉への抑えとして鳥取城に入り、羽柴勢の鳥取城包囲が完了した同年6月より籠城策をとったが、秀吉の包囲が長期に及んで兵糧が尽きたため、同年10月、城兵の助命を引き換えに降伏して開城し、切腹した。
【配役】
御木本伸介(34) …… 太閤記(1965・NHK)
浜畑賢吉(36) …… 黄金の日日(1978・NHK)

吉川経世
きっかわ・つねよ

【実父】吉川国経
【略伝】
 吉川国経の子。
 兄元経・父国経の死後、家督を継いだ甥興経を輔佐するが、家臣大塩右衛門尉が家中の実権を掌握して専横を極めたため、1547(天文16)年にこれを殺害。さらに老臣森脇祐有と画策して姉(妹)毛利元就との間の次男元春を興経の養子に迎え入れ、後にこれを当主に据えた。
【配役】
大森 博(34) …… 毛利元就(1997・NHK)

吉川広家
きっかわ・ひろいえ

【生没】1561(永禄4)−1625(寛永2)
【生地】安芸国
【家系】毛利氏
【実父】吉川元春
【実母】新庄局
【略伝】
 毛利家の家臣。
 吉川元春の三男。いとこ毛利輝元に従って各地を転戦。1583(天正11)年、輝元が羽柴秀吉と講和した際、その人質として秀吉の下に移るが、1586(天正14)年に父元春が没し、翌年に長兄元長も没すると、吉川家の家督を相続し、安芸日野山城主となる。以後も秀吉に従い、1591(天正19)年には出雲月山富田城主に転じ、翌1592(文禄元)年からの朝鮮出兵では2度とも渡海して奮戦した。
 1598(慶長3)年の秀吉没後、石田三成徳川家康との対立が深まると、輝元に徳川方への加担を説き、石田方に属した安国寺恵瓊、いとこ毛利秀元らと毛利家中の主導権をめぐって激しく対立する。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際しては、輝元が石田方の総大将にまつり上げられるのを防ぐことができなかったが、毛利本家の安泰を図るため黒田長政を通じて家康に内通し、輝元の所領安堵を約される。9月15日の本戦には、秀元とともに石田方として出陣するも傍観に終始。石田方の再三の出撃要請にも動かず、秀元の出兵をも妨害し、徳川方の勝利に側面から貢献した。
 しかし、戦後、輝元の改易が取りざたされ、自らに周防・長門の2か国を与えるとされたため、毛利本家の存続を要求してこれに激しく抵抗。結局、防長2か国は輝元に与えられることとなり、自らは周防岩国城主となるが、こうした経緯から毛利家中での立場は極めて微妙なものとなったといわれ、1614(慶長18)年、関ヶ原の戦いの前後から続いていた秀元らとの対立などが高じて隠居した。
【配役】
西沢利明(35) …… 春の坂道(1971・NHK)
勝部演之(43) …… 関ヶ原(1981・TBS)
相原巨典(56) …… 徳川家康(1983・NHK)
関 篤 …… 真田太平記(1985・NHK)
なべおさみ(61) …… 葵 徳川三代(2000・NHK)
モロ師岡(47) …… 功名が辻(2006・NHK)
加藤 頼(34) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)
井上賢嗣(41) …… どうする家康(2023・NHK)

吉川元経
きっかわ・もとつね

【生没】1459(長禄3)−1522(大永2)
【生地】安芸国
【実父】吉川国経
【実母】高橋直信女
【略伝】
 安芸小倉山城主。
 父国経に従って1511(永正8)年の京都船岡山の戦いなどに出陣。祖父経基・父国経とも長命だったため、家督を相続した際には高齢だったと思われ、1522(大永2)年3月、国経に先立って64歳で没した。
【配役】
ダンカン(38) …… 毛利元就(1997・NHK)

吉川元長
きっかわ・もとなが

【生没】1548(天文17)−1587(天正15)
【生地】安芸国
【家系】毛利氏
【実父】吉川元春
【実母】新庄局
【別称】吉川元資
【略伝】
 吉川元春の長男。
 父元春に従って各地を転戦し、1582(天正10)年、父元春の隠居により家督を相続し、安芸日野山城主となる。
 1586(天正14)年には豊臣秀吉の命を受けて元春とともに九州攻めのために出陣するが、同年末の元春の陣没から半年後の1587(天正15)年6月、元春の後を追うように、日向の陣中で病没した。
【配役】
田中充貴(32) …… 秀吉(1996・NHK)
仁科拓海→清水 伸(25)……毛利元就(1997・NHK)
出合正幸(33) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

吉川元春
きっかわ・もとはる

【生没】1530(享禄3)−1586(天正14)
【生地】安芸国
【家系】毛利氏
【実父】毛利元就
【実母】吉川国経女
【略伝】
 毛利元就の次男。
 1547(天文16)年、父元就の策によって母の実家吉川家に入り、同年、吉川興経より家督を継承。小早川家に入った弟隆景とともに元就・兄隆元を支え、毛利家の領土拡大に大きく貢献。主に山陰道の平定に当たり、1566(永禄9)年の尼子家滅亡に主要な役割を果たした。
 1571(元亀2)年の元就没後は、当主となった甥の輝元を輔佐。引き続き山陰道を委ねられ、織田信長の後援を受ける尼子家の残党との交戦を続け、1578(天正6)年には、信長の家臣羽柴秀吉の後援を受けて抵抗を続けた尼子勝久山中鹿之介などが籠る播磨上月城を攻略してこれを滅ぼしたが、その後、羽柴勢の山陰道への攻勢が強まり、1581(天正9)年には鳥取城を落とされるなど苦戦を強いられる。翌1582(天正10)年には、秀吉の攻撃を受けた備中高松城の清水宗治を救援したが、京都での信長の横死を知らぬまま秀吉と和睦。変を知って秀吉の追撃を主張したが、隆景に諭されて翻意したという。
 その後、ほどなくして隠居。1586(天正14)年、秀吉に請われ、病の身を押してその九州侵攻に参陣するが、同年11月、豊前小倉城の陣中に没した。
【配役】
二本柳寛(48) …… 太閤記(1965・NHK)
安藤一志(16)→松重 豊(34)……毛利元就(1997・NHK)
大友康平(55) …… 戦国疾風伝 二人の軍師(2011・TX)
吉見一豊(48) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

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