きたばたけ・あきいえ
【生没】1318(文保2)−1338(暦応元・延元3)
【生地】山城国
【家系】村上源氏
【実父】北畠親房
【実母】行子(中御門為行女)?
【略伝】
朝廷に出仕し、右近衛少将や参議などを務める。
1333(元弘3・正慶2)年、幕府の崩壊によって後醍醐天皇の新政が始まると陸奥守に任ぜられ、翌年、帝より陸奥平定の命を受け、義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥へ下る。翌1335(建武2)年、中先代の乱の鎮定のために東下していた足利尊氏が帝より離反した際には、これを討伐すべく、義良親王を奉じて西上し、一時は尊氏の軍勢を京都より追う。
その後、陸奥へ戻って足利方に属した武将らと交戦を重ね、1338(暦応元・延元3)年には足利方から京都の奪回を図るべく再び西上し、畿内各地を転戦したが、同年5月、高師直の軍勢と和泉石津に戦って討死した。なお、最後の出陣に当たり、帝に対し、その失政を批判した「顕家諫奏」を上程したことが知られている。
【配役】
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後藤久美子(17) |
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太平記(1991・NHK) |
きたばたけ・ちかふさ
【生没】1293(正応7)−1354(正平9・文和3)
【生地】山城国
【家系】村上源氏
【実父】北畠師重
【実母】藤原隆重女
【略伝】
朝廷に出仕して後醍醐天皇の信任を受け、吉田定房・万里小路宣房とともに「後の三房」と称される。
参議や権大納言を務めた一方で、帝の皇子世良親王の養育に当たるが、1330★(元徳2)年に親王が病没すると、落飾して出家。1333(元弘3・正慶2)年、幕府の崩壊によって帝の新政が始まると再び出仕したが、嫡男顕家が陸奥守に任ぜられ、義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥へ下ると、これに同道して陸奥の平定に当たった。
1335(建武2)年、中先代の乱の鎮定のために東下していた足利尊氏が帝より離反した際には、これを討伐すべく、顕家とともに義良親王を奉じて西上し、一時は足利勢を京都より追う。その後、再び足利勢に京都を制圧され、帝が京都花山院に幽閉されると、花山院からの脱出と大和吉野への動座を主導し、吉野朝廷(南朝)の指導的地位に立った。
1339(延元4・暦応2)年の帝の没後は、後村上天皇を輔佐し、各地で南朝勢力の拡大に奔走。1352(正平7・観応3)年には幕府の内紛に乗じて一時京都を奪回するなどしたが、局面を大きく転換させるには至らなかった。
なお、著書に、南朝の正統性を記した『神皇正統記』などがある。
【配役】
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高光正二郎 |
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小楠公とその母(1936・映画) |
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松本泰輔(46) |
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孤城の桜(1941・映画) |
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近藤正臣(49) |
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太平記(1991・NHK) |
きたばたけ・とものり
【生没】1528(享禄元)−1576(天正4)
【生地】
【家系】村上源氏
【実父】北畠晴具
【実母】細川高国女
【略伝】
伊勢大河内城主。
伊勢国司として伊勢の支配に当たる一方で、参議などを歴任し、1554(天文23)年には従三位に進み、中納言となる。
織田信長の侵攻を受けてこれと交戦を重ねるが、1569(永禄12)年に本拠大河内城を攻められて降伏。翌年には出家し、信長の次男を養子信雄に迎えて隠居する。
しかし、1576(天正4)年11月、信長の意を受けた旧臣に襲撃され、殺害された。
【配役】
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本田博太郎(62) |
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信長のシェフ(第1部)(2013・EX) |
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國村 隼(62) |
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忍びの国(2017・東宝) |
きたばたけ・ともふさ
【生没】1547(天文16)−1580(天正8)
【生地】
【家系】村上源氏
【実父】北畠具教
【実母】六角定頼女
【略伝】
北畠具教の子。
1563(永禄6)年、父具教の隠居により北畠家の家督を相続し、北畠氏が代々務める伊勢国司となる。
その後、伊勢侵攻を進める織田信長に具教とともに抵抗するが、1569(永禄12)年、信長の次男茶筅丸(信雄)に家督を譲るなど不利な条件で和睦。1575(天正3)年には茶筅丸に家督を譲って隠居したが、翌年には具教が殺害されると自らも幽閉の身となった(後に解放)。
【配役】
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水上剣星(29) |
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信長のシェフ(第1部)(2013・EX) |
きたばたけ・ともゆき
【生没】1290(正応3)−1332(元弘2・正慶元)
【生地】山城国
【家系】村上源氏
【実父】北畠師行
【実母】
【略伝】
後醍醐天皇の側近くに仕え、右近衛中将や蔵人頭などを務め、1330(★元徳2)年には権中納言に任ぜられるが、翌年、倒幕計画が露見して山城笠置山に立て籠もった帝に従い、その落城後に捕縛される。
翌年6月、鎌倉へ護送の途中、近江柏原で処刑された。
【配役】
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押切英樹(32) |
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太平記(1991・NHK) |
きたばたけ・のりとも
【生没】1423(応永30)−1471(文明3)
【生地】
【家系】村上源氏
【実父】北畠満雅
【実母】
【略伝】
父満雅が早くに没したため、叔父大河内顕雅の後見を受けて伊勢国司となる。
1441(嘉吉元)年の嘉吉の乱の際には、幕府に対して叛旗を翻した赤松満祐の子教康を討伐するなど、幕府との良好な関係を保つ。1467(応仁元)年からの応仁の乱では、伊勢に下った足利義視を庇護するなどした。
【配役】
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岡崎公彦(50) |
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花の乱(1994・NHK) |
きたばたけ・はるふさ
【生没】1833(天保4)−1921(大正10)
【生地】大和国
【実父】平岡久兵衛(北畠末重)
【実母】宮井伊右衛門女
【別称】平岡鳩平、平岡武夫
【略伝】
大和法隆寺の郷士の子に生まれる。
各地を歩いて次第に尊王攘夷思想に傾斜し、1863(文久3)年の大和五条での天誅組の挙兵、翌年の水戸天狗党の挙兵に加わる。1868(明治元)年からの戊辰戦争では、有栖川宮熾仁親王の軍勢に従軍した。
維新後は新政府に出仕し、後に司法省に入って大審院判事などを務めるが、1881(明治14)年の政変で下野した大隈重信と行動をともにして辞職し、翌年の立憲改進党の結成に参加した。
1887(明治20)年に復帰して再び大審院判事、大阪控訴院長などを歴任。1898(明治31)年に退職し、1908(明治41)年からは貴族院議員を務めた。
なお、生涯で24度にわたって改名したといわれ、維新後は、北畠親房の末裔を称して、北畠治房を名乗った。
【配役】
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杉田 康(33) |
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巨人 大隈重信(1963・大映) |
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西国成男(50) |
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明治の群像(陸奥宗光)(1976・NHK) |