ありすがわのみや・たかひとしんのう
【生没】1812(文化9)−1886(明治19)
【生地】山城国
【家系】皇室
【実父】有栖川宮韶仁親王
【実母】勝子(豊島勝文女)
【略伝】
1822(文政5)年に光格上皇の猶子となり、翌年に親王宣下。1845(弘化2)年、父韶仁親王の死により、有栖川宮家を相続する。
1859(安政6)年に睦仁親王(明治天皇)の習字御師範となったが、やがて朝廷内で攘夷派としての動きをみせるようになり、1864(元治元)年には国事御用掛に任ぜられたが、同年7月に起こった蛤御門の変(禁門の変)で長州藩が朝敵となると、長州藩との関係を疑われて孝明天皇の怒りを買い、子の熾仁親王とともに解任の上、謹慎させられた。
1867(慶応3)年に復帰するが、翌年には隠居し、維新後は、皇典講究所総裁などを務めた。
【配役】
|
水野 浩(58) |
…… |
朱雀門(1957・大映) 役名は大宮 |
|
青野平義(56) |
…… |
皇女和の宮(1968・NET) 役名は有栖川大宮 |
ありすがわのみや・たるひとしんのう
【生没】1835(天保6)−1895(明治28)
【生地】山城国
【家系】皇室
【実父】有栖川宮幟仁親王
【実母】祐子(佐伯祐条女)
【略伝】
1851(嘉永4)年に和宮と婚約するが、1860(万延元)年、和宮が将軍徳川家茂に降嫁することが決定したことにより解消。この間の1858(安政5)年には日米修好通商条約の調印に反対するなど、朝廷内で尊王攘夷派として活動し、過激な尊王攘夷論に傾く長州藩とも親しく交わったために幕府から警戒され、1864(元治元)年には国事御用掛に任ぜられたが、同年7月に起こった蛤御門の変(禁門の変)で長州藩が朝敵となると、長州藩との関係を疑われて孝明天皇の怒りを買い、父幟仁親王とともに解任の上、謹慎させられた。
1866(慶応2)年の帝崩御後に赦免され、朝廷内でも次第に倒幕派が主流派を形成するに至って復権。翌年12月の王政復古により新政府総裁に就任し、翌1868(明治元)年からの戊辰戦争では東征大総督となって東下する。新政府では、兵部卿、元老院議長などを務め、1877(明治10)年の西南戦争では征討総督となって乱の鎮定に当たり、戦後、陸軍大将に進む。1880(明治13)年には左大臣となって国政の中枢に加わるが、1885(明治18)年の内閣制度発足に伴い、左大臣を辞し、次いで新設の参謀総長に就任した。
1894(明治27)年に始まった日清戦争では、戦争指導の拠点となる大本営が広島に移ったことからこれに従うが、同地で発病。静養のため兵庫舞子の別邸に移ったが、翌年1月に没した。
【配役】
|
8市川雷蔵(26) |
…… |
朱雀門(1957・大映) |
|
真木康次郎 |
…… |
大東京誕生 大江戸の鐘(1958・松竹) |
|
花柳章太郎(65) |
…… |
皇女和の宮(1959・KR) |
|
本郷功次郎(24) |
…… |
長脇差忠臣蔵(1962・大映) |
|
仲谷 昇(34) |
…… |
皇女和の宮(1963・NTV) |
|
北原義郎(35) |
…… |
西郷隆盛(1964・CX) |
|
細川俊之(24) |
…… |
幕末(1964・TBS) |
|
平幹二朗(35) |
…… |
皇女和の宮(1968・NET) |
|
草薙幸二郎(47) |
…… |
明治の群像(大隈重信)(1976・NHK) |
|
清水一郎(77) |
…… |
明治の群像(陸奥宗光)(1976・NHK) |
|
寺泉哲章(36) |
…… |
大奥(1983・KTV) |
|
神山 繁(61) |
…… |
勝海舟(1990・NTV) |
|
佐藤せつじ(24) |
…… |
徳川慶喜(1998・NHK) |
|
田窪一世(48) |
…… |
大奥(2003・CX) |
|
竹財輝之助(28) |
…… |
篤姫(2008・NHK) |
|
小須田康人(57) |
…… |
西郷どん(2018・NHK) |