までのこうじ・すえふさ
【生没】?−1333(元弘3)
【生地】山城国
【実父】万里小路宣房
【略伝】
父宣房・兄藤房とともに後醍醐天皇の信任を得てその側近となり、備前守や参議などを務めたが、1331(元弘元・元徳3)年に帝の倒幕計画が露見した際、幕府に捕縛される。
その後、下野へ流されたが、1333(元弘3・正慶2)年5月、同地で没した(殺害されたとも)。
【配役】
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渕野俊太(34)
滝沢英行(31) |
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太平記(1991・NHK) |
までのこうじ・なおふさ
【生没】1802(享和2)−1859(安政6)
【生地】山城国
【実父】万里小路建房
【実母】勧修寺経逸女
【別称】万里小路寿房
【略伝】
朝廷に出仕し、侍従、蔵人頭などを経て、1838(天保9)年に参議、1857(安政4)年に権大納言となる。
翌年には武家伝奏となり、日米修好通商条約の調印、勅許問題などで朝廷・幕府間の周旋に当たる。同年8月には、水戸藩に幕政改革を迫る密勅が下された際にも関与し、これを水戸藩の鵜飼吉左衛門に伝達。12月には江戸に下って徳川家茂に将軍宣下を伝える使者を務めた。
翌1859(安政6)年1月、いわゆる安政の大獄による処罰に先んじて武家伝奏を辞職した。
【配役】
までのこうじ・のぶふさ
【生没】1258(正嘉2)−1348(貞和4・正平3)
【生地】山城国
【実父】万里小路資通
【略伝】
朝廷に出仕して蔵人頭や参議などを務める。
後醍醐天皇の即位後は帝の信任を得てその側近となり、吉田定房・北畠親房とともに「後の三房」と称されたが、1331(元弘元・元徳3)年に帝の倒幕計画が露見した際、幕府に捕縛され、しばらく拘禁された。
1333(元弘3・正慶2)年の幕府崩壊後の帝の新政では、雑訴決断所頭人などの要職を務めたが、1336(建武3)年に失政を咎められて出家した。
【配役】
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新井量大(61) |
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太平記(1991・NHK) |
までのこうじ・ひろふさ
【生没】1824(文政7)−1884(明治17)
【生地】山城国
【実父】万里小路正房
【実母】藤波寛忠女
【略伝】
朝廷に出仕し、蔵人頭や参議などを歴任する。1862(文久2)年に国事御用掛に任ぜられ、翌年には国事参政となるが、同年8月18日の政変で失脚し、1867(慶応3)年1月まで差控えの身となる。
同年12月の王政復古後は参与、1869(明治2)年には宮内卿(後に宮内大輔)となり、1877(明治10)年には皇太后宮大夫に転じた。
【配役】
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川井つと(53) |
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西郷どん(2018・NHK) |
までのこうじ・ふじふさ
【生没】1296(永仁4)−1380(康暦2・天授6)?
【生地】山城国
【実父】万里小路宣房
【略伝】
父宣房とともに後醍醐天皇の信任を得てその側近となり、参議や右衛門督などを務めたが、1331(元弘元・元徳3)年に帝の倒幕計画が露見した際、帝に従って山城笠置山に立て籠もり、その落城後、幕府に捕縛されて解官された。
1333(元弘3・正慶2)年の幕府崩壊後は帝の新政に加わったが、論功行賞の不公平さなど新政の問題を帝に直諫して容れられず、やがて出家して隠棲した。
【配役】
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月形龍之介(38) |
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大楠公(1940・映画) |
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藤木錦之助(28) |
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大楠公(1959・MBS) |
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大和田獏(41) |
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太平記(1991・NHK) |