しじょう・たかうた
【生没】1828(文政11)−1898(明治31)
【生地】山城国
【実父】四条隆生
【実母】
【略伝】
朝廷に出仕し、尊王攘夷派として活動。1858(安政5)年の日米通商修好条約の調印に際しては、岩倉具視ら87名の公家とともに勅許阻止に動く。1863(文久3)年2月には新設の国事寄人に任ぜられたが、同年8月18日、孝明天皇の公武合体の意思を酌んだ中川宮らによって朝廷を追放され、三条実美ら6名とともに長州へ落ち延びる。
1867(慶応3)年12月の王政復古により朝政に復帰し、翌年からの戊辰戦争では、仙台追討総督などを務める。維新後には陸軍少将(後に中将)に任ぜられ、大阪や仙台などの鎮台司令長官を歴任。その後、元老院議官や貴族院議員を務めた。
【配役】
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末広恵二郎 |
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鞍馬八天狗(1961・東映) |
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山田昭一(38) |
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勝海舟(1974・NHK) |
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坂本由英(46) |
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花神(1977・NHK) |
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藤井康次(45) |
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次郎長三国志(1991・TX) |
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吉家章人(39) |
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龍馬伝(2010・NHK) |
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河本タダオ(52) |
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花燃ゆ(2015・NHK) |
しじょう・たかすけ
【生没】1292(正応5)−1352(正平7・観応3)
【生地】山城国
【実父】四条隆実
【略伝】
後醍醐天皇の側近くに仕えて蔵人頭や大蔵卿などを務め、1330(元徳2)年に権中納言に任ぜられるが、翌年、倒幕計画が露見して山城笠置山に立て籠もった帝に従い、その落城後も各地を転戦。1333(元弘3・正慶2)年の幕府崩壊後の新政では、再び権中納言に任ぜられるが、1336(建武3・延元元)年、帝より離反した足利尊氏が京都を制圧し、これに幽閉された帝が大和吉野へ脱出するとこれに従い、北畠親房らとともに吉野朝廷(南朝)の中枢を担う。
1339(延元4・暦応2)年の帝の没後は、その後継後村上天皇を輔佐し、各地で南朝勢力の拡大に奔走。1352(正平7・観応3)年には幕府の内紛に乗じて一時京都を奪回することに成功したが、足利義詮の反撃に遭い、同年5月、山城男山より帝を奉じて撤退の途中、足利勢と戦って討死した。
【配役】
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井上倫宏(33) |
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太平記(1991・NHK) |
しじょう・よりもと
【生没】1229(寛喜元)−1296(永仁4)
【実父】四条頼員
【別称】四条金吾
【略伝】
信濃伊賀良荘の地頭。
日蓮に深く帰依し、また医学にも通じ、日蓮が死の床に臥した際にはこれを看護して投薬を施したという。
【配役】
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勝新太郎(27) |
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日蓮と蒙古大襲来(1958・大映) |
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伊吹吾郎(33) |
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日蓮(1979・松竹) |
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福田勝洋(46) |
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北条時宗(2001・NHK) |