おやま・ともまさ
【生没】1158(保元3)?−1238(暦仁元)
【生地】下野国?
【実父】小山政光
【実母】寒河尼(八田宗綱女)?
【略伝】
鎌倉幕府の御家人。
長沼宗政・結城朝光の兄。1180(治承4)年、源頼朝の挙兵に応じて下野で挙兵。その後、平氏追討軍に加わって各地を転戦するが、1185(文治元)年の平氏滅亡後、以前に頼朝の許可なく朝廷より兵衛尉に任ぜられていたことから、頼朝の怒りに触れ、一時は関東への帰国を頼朝より禁じられる(ほどなくして赦免)。
1192(建久3)年の頼朝の征夷大将軍就任後も播磨守護などを務める一方で、幕政に参画して幕府権力基盤の確立にも尽力。1221(承久3)年の承久の乱に際しては軍議に加わったが、長老の一人として大江広元らとともに鎌倉にとどまった。
【配役】
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大河内稔(48) |
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草燃える(1979・NHK) |
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中村 敦(45) |
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鎌倉殿の13人(2022・NHK) |
おりた・ようぞう
【生没】1825(文政8)−1897(明治30)
【生地】薩摩藩
【実父】
【実母】
【略伝】
祖父田中玄淵の養子となる。
薩摩藩(島津家)に出仕し、江戸の昌平黌などで蘭学や砲術などを学ぶ。1863(文久3)年の薩英戦争に際しては、イギリス軍の攻撃に備えて大砲鋳造などに当たり、その後も薩摩藩の海防策に携わった(この時期、一橋家家臣だった渋沢篤太夫が内偵のため、内弟子となっている)。
1868(明治元)年からの戊辰戦争では山陰道鎮撫総督に随行して但馬生野代官所などの接収を担当。その後、新政府に出仕して都城県大典事などを務めたが、1870(明治3)年に辞職。京都で銃砲店を営んだ後、自らの進言で創建された湊川神社の宮司に転じた。
【配役】
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徳井 優(62) |
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青天を衝け(2021・NHK) |
おんち・さこん
【生没】
【生地】
【実父】恩地満俊
【実母】
【別称】恩地正俊?恩地満一?
【略伝】
河内恩智神社の神官で、楠木正成に属して各地を転戦。1336(延元元・建武3)年の正成討死後はその後継正行に従い、1348(正平3・貞和4)年の幕府方との四條畷の戦いで討死したとも、その前後に病死したともいう。
なお、実在に疑問を呈する見解もある。
【配役】
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高山 晃 |
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大楠公(1926・映画) |
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浅香新八郎(27) |
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楠公父子(1933・太秦) |
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天野 栄 |
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小楠公とその母(1936・映画) |
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香川良介(44) |
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大楠公(1940・映画) |
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高島敏郎 |
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悲願千早城(1943・映画) |
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瀬川哲也(58) |
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太平記(1991・NHK) |
おんなにのみや
【生没】1625(寛永2)−1651(慶安4)
【生地】山城国
【家系】皇室
【実父】後水尾天皇
【実母】和子
【略伝】
後水尾天皇の皇女。明正天皇の妹。
近衛尚嗣に嫁いだ。
【配役】