ちょうそかべ・もとちか
【生没】1539(天文8)−1599(慶長4)
【生地】土佐国
【実父】長宗我部国親
【実母】斎藤氏女
【略伝】
土佐浦戸城主。
幼少のころは「姫若子」と呼ばれたほど虚弱であったというが、1560(永禄3)年5月の初陣で活躍。同年6月の父国親の死により家督を相続して土佐岡豊城主となる。その後、土佐の統一を進め、1575(天正3)年には土佐をほぼ平定することに成功し、「土佐の出来人」と称される。
「一領具足」と呼ばれた兵農未分離の強兵を率いて、さらに隣国の阿波や讃岐へ進出し、四国の大部分を平定するが、海を挟んで織田信長と境を接するに至ってこれと次第に対立。しかし、四国侵攻を目前にした1582(天正10)年6月に信長が京都本能寺に横死すると、再び四国の平定を進め、同年、阿波を掌握。1584(天正12)年には讃岐、翌年には伊予を平定して、四国のほぼ全土を掌中に収めた。
しかし、同年、羽柴秀吉による四国侵攻を受け、はじめこれに抵抗するもほどなくして降伏して土佐一国を安堵される。1586(天正14)年には秀吉の九州侵攻の先鋒としてともに豊後に渡った嫡男信親が島津勢と戸次川に戦って討死したため、家中の反対を押し切って世子に四男盛親を据えたが、元親の期待を一身に受けた信親の死はその後の元親の人格を変質させたといわれるほどであったという。
その後、居城を岡豊から浦戸に移し、1592(文禄元)年からの朝鮮出兵では2度とも渡海して奮戦した。
【配役】
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庄司永建(55) |
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黄金の日日(1978・NHK) |
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ダイヤモンド勝田(59) |
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軍師官兵衛(2014・NHK) |
ちょうそかべ・もりちか
【生没】1575(天正3)−1615(元和元)
【生地】土佐国
【実父】長宗我部元親
【実母】石谷光政女
【略伝】
大坂の陣で豊臣方に属した武将。
1586(天正14)年、九州に出陣中の長兄信親が豊後戸次川で討死すると、他家に養子に出ていた2人の兄を差し置いて元親の嫡男となり、1599(慶長4)年、元親の死により家督を相続して土佐浦戸城主となる。
翌年の関ヶ原の戦いでは石田三成に属し、9月15日の本戦では毛利秀元らとともに関ヶ原の南宮山麓に布陣したが、既に徳川方に内通していた吉川広家の妨害に遭い、戦わずして撤退。戦後、土佐に戻り、井伊直政を通じて徳川家康に謝罪したが、家臣の讒言を受けて兄津野親忠を殺したために家康の怒りを買って所領を没収された。
その後、京都で寺子屋を営んでいたが、1614(慶長19)年、豊臣秀頼に招かれて大坂城に入城し、翌年の夏の陣では豊臣方の主力として奮戦。5月8日の大坂城の落城後は山城男山に潜伏したが捕縛され、5月15日に京都六条河原で斬首された。ここに長宗我部家は滅亡した。
【配役】
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大村義郎 |
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修羅城(1929・日活) |
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山内 明(45) |
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真田幸村(1966・TBS) |
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有川正治(49) |
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真田幸村の謀略(1979・東映) |
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大久保正信(61) |
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徳川家康(1983・NHK) |
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久富惟晴(50) |
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真田太平記(1985・NHK) |
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冨家規政(38) |
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葵 徳川三代(2000・NHK) |
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中丸新将(58) |
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茶々 天涯の貴妃(2007・東映) |
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川野誠一(37) |
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天地人(2009・NHK) |
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阿南健治(54) |
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真田丸(2016・NHK) |
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吉永秀平(43) |
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真田十勇士(2016・松竹) |
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火野蜂三(46) |
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どうする家康(2023・NHK) |