おおこうち・げんざぶろう
【生没】?−1584(天正12)
【生地】三河国
【実父】大河内元綱?
【実母】
【別称】大河内政局
【略伝】
松平・徳川家の家臣。
華陽院の甥。華陽院が、駿府で今川家の人質となっていた松平竹千代(徳川家康)の養育に当たっていた際、竹千代に近侍。後に家康が今川家より独立すると、これに仕える。
1574(天正2)年、軍目付として遠江高天神城に在城中、城主小笠原長忠が武田方に寝返ったため、これに抗して石牢に幽閉され、1581(天正9)年の高天神城落城時にようやく救出された。
その後、剃髪したが、1584(天正12)年、羽柴勢との小牧・長久手の戦いに出陣して討死した。
【配役】
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平田 守(34)
斎藤英雄(40) |
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徳川家康(1964・NET) |
おおこうち・まさとし
【生没】1878(明治11)−1952(昭和27)
【生地】東京府
【家系】大河内(松平)氏
【実父】松平正質
【実母】
【略伝】
東京帝大卒業後、そのまま大学に残って教壇に立つ。
1921(大正10)年から理化学研究所所長を務め、太平洋戦争中は理研コンツェルンの総帥として多数の関連企業の重役を務める。その一方で、貴族院議員、海軍政務次官などを歴任した。
太平洋戦争終結後、戦犯容疑者として逮捕され、釈放されたが、その後、公職追放処分を受ける。1951(昭和26)年に追放処分が解除されたが、翌年に没した。
【配役】
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寺田 農(46) |
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帝都物語(1988・東宝) |