おぐら・しょうじゅ
【生没】1567(永禄10)−1582(天正10)
【生地】
【実父】小倉実房
【実母】なべ
【略伝】
織田家の家臣。
父実房の死後、母なべが織田信長のもとに身を寄せ、後にその側室となると、信長の小姓となる。
1582(天正10)年6月2日、信長が京都本能寺にて明智光秀の軍勢に襲われた際には京都の町宿にいたが、変を知って明智勢に紛れ本能寺に潜入し、明智勢と戦って討死した。
【配役】
おぐら・じんごろう
【生没】
【生地】
【実父】小倉実房
【実母】なべ
【略伝】
織田家の家臣。
父実房の討死後、母おべが織田信長のもとに身を寄せ、後にその側室となると、実房の遺領を継いで、信長の小姓となる。
1582(天正10)年6月の信長の横死後は、羽柴秀吉により加賀松任城を与えられたが、まもなく没したという。
【配役】
おぐら・すけひさ
【生没】
【生地】
【実父】小倉実治
【実母】
【別称】小倉内蔵助
【略伝】
今川家に仕えるが、その没落後は北条家に仕える。北条氏康が没すると出奔して武田信玄に仕え、1575(天正3)年の長篠の戦いで討死したという。
【配役】
おぐら・そうくろう
【生没】1841(天保12)−1877(明治10)
【生地】薩摩国
【実父】東郷実友
【実母】東郷益子(堀与三左衛門女)
【略伝】
東郷平八郎の兄。小倉家の養子となる。
1868(明治元)年からの戊辰戦争では東北地方まで転戦。1871(明治4)年の西郷隆盛の率兵上京に従い、陸軍大尉となるが、1873(明治6)年、征韓論に敗れて下野した西郷に従って故郷鹿児島に戻った。
1877(明治10)年の西南戦争では薩軍三番大隊九番小隊長として出陣。熊本まで進出するものの、その後は敗戦を重ね、西郷とともに鹿児島へ戻って城山に立て籠もり、同年9月24日、城山総攻撃を仕掛けた政府軍と戦い、自害して果てた。
【配役】
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静志郎(32) |
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田原坂(1987・NTV) |
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新みのる(36) |
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翔ぶが如く(1990・NHK) |