こじま・かずえ
【生没】1916(大正5)−1992(平成4)
【生地】和歌山県
【実父】
【実母】
【別称】城一枝
【略伝】
椙山女学園高在学中の1932(昭和7)年、同郷の前畑秀子とともにロサンゼルス五輪に出場し、水泳400mリレーで4位入賞。1936(昭和11)年のベルリン五輪でも、400m自由型で6位入賞を果たす。
椙山女学園卒業後は故郷の和歌山橋本で小学校教員を務め、1939(昭和14)年には城芳一と結婚。その後、開拓移民として満州に渡った。
【配役】
こじま・ごろうざえもん
【略伝】
村上家の家臣。
村上義清に仕えた。
【配役】
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高田延彦(45) |
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風林火山(2007・NHK) |
こじま・さぶろう
【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】明治大在学中の1920(大正9)年に開催された第1回箱根駅伝に出場し、第4区を走った。
【配役】
こじま・しかのすけ
【生没】1830(文政13)−1900(明治33)
【生地】武蔵国
【実父】小島角左衛門
【実母】
【略伝】
代々武蔵小野路村の名主を務めた家柄で、自らも小野路村の名主となる。
1848(嘉永元)年に天然理心流近藤周助に入門して剣術を学び、日野宿の名主佐藤彦五郎や後の近藤勇らと交流があり、後に近藤らが京都で新選組を結成した後も活発な手紙のやり取りがあった。
1868(明治元)年に新選組が甲陽鎮撫隊と名を改めて甲斐へ出陣した際、民兵組織を率いてこれを後方より支援しようとするが、鎮撫隊の敗北により解散。維新後は地域住民の教育などに携わる一方で、自由民権運動にも身を投じた。
【配役】
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小野武彦(62) |
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新選組!(2004・NHK) |
こじま・ひょうごのすけ
【生没】?−1553(天文22)
【略伝】
村上家の家臣。
村上義清に仕え、信濃狐楽城を守備していたが、1553(天文22)年に北進する武田晴信に内応した大須賀久兵衛に狐楽城を攻略され、討死した。
【配役】