いな・あきつな
【生没】?−1600(慶長5)
【生地】
【実父】伊奈昭応
【実母】
【別称】伊奈図書
【略伝】
徳川家の家臣。
徳川家康に仕え、1590(慶長18)年の家康の関東入り後に2500石を与えられる。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの直前、上杉景勝糾問の使者として会津に派遣される。関ヶ原の戦いの後の9月20日、山城日岡の警備に当たっていたところ、自身の配下と福島正則の使者との間に争論を生じて正則の怒りを買い、家康の勘気も蒙ったことから、その責めを負って自害した。
【配役】
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横森 久(53) |
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関ヶ原(1981・TBS) |
いな・ただつぐ
【生没】1550(天文19)−1610(慶長15)
【生地】三河国
【実父】伊奈忠家
【実母】
【略伝】
徳川家の家臣。
徳川家康に仕え、その近習などを務める。
1590(天正18)年の家康の関東入りに際しては武蔵で1万3000石を与えられ、関東一円の検地、治水、交通整備などを担当し、家康の関東統治初期の民政に貢献。子孫は関東郡代を世襲した。
【配役】
いな・ただのぶ
【生没】?−1712(正徳2)
【生地】
【実父】伊奈忠常
【実母】松平玄蕃頭女
【別称】伊奈半左衛門
【略伝】
江戸幕府の旗本。
はじめ旗本稲葉正篤の養子となるが、1697(元禄10)年の兄忠篤の死により実家に復し、伊奈家が代々務める代官職(関東郡代)も継承。1707(宝永4)年の富士山噴火により被災した各地の復興事業などを指揮した。
【配役】
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水島道太郎(62) |
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水戸黄門(第5部)(1974・TBS) |
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小笠原弘 |
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水戸黄門(第21部)(1992・TBS) |
いな・ただみち
【生没】1690(元禄3)−1756(宝暦6)
【生地】
【実父】伊奈貞長
【実母】
【別称】伊奈半左衛門
【略伝】
江戸幕府の旗本。
幕府旗本伊奈家の分家に生まれるが、本家当主伊奈忠順の没後、その子が幼少だったためにその家督を相続し、関東郡代の職も継承。しかし、関東各地の代官の不祥事などにより、在職中に3度の免職処分を受ける。
1733(享保18)年には老中の支配となって勘定吟味役の首座に任ぜられた。
【配役】