西 周
にし・あまね

【生没】1829(文政12)−1897(明治30)
【生地】石見国
【実父】西時義
【実母】兼(梁田氏女)
【略伝】
 石見津和野藩校養老館に入って洋学を学ぶ。後に脱藩してその研究に没頭し、1862(文久2)年より榎本武揚らとともにオランダへ留学して国際法や経済学、統計学などを修め、1865(慶応元)年の帰国後は、幕府開成所で教壇に立ち、ヨーロッパ思想を日本に紹介したほか、学術用語の翻訳に当たり、「哲学」などの訳語を創出する。1867(慶応3)年には将軍徳川慶喜に召し出され、慶喜に国際法を講義するなどした。
 維新後は新政府に出仕して文部省などに勤め、軍人勅諭の草案作成などに当たった一方で、1873(明治6)年には福沢諭吉らとともに明六社を結成し、西洋哲学を紹介するなどして当時の思想界に大きな影響を与えた。
 1890(明治23)年の帝国議会開設時には貴族院議員となった。
【配役】
近衛十四郎(25) …… 江戸の鷹(1941・大都)
小日向文世(44) …… 徳川慶喜(1998・NHK)

西 春彦
にし・はるひこ

【生没】1893(明治26)−1986(昭和61)
【生地】鹿児島県
【実父】西多市左衛門
【実母】西ゆき
【略伝】
 東京帝大を卒業後、外務省に入り、主に対ソ連外交を担当する。1936(昭和11)年から1939(昭和14)年にかけてモスクワに駐在し、満州でのソ連との国境問題などを処理。1939(昭和14)年に帰国し、欧亜局長を務めたが、翌年、駐ソ公使としてモスクワに赴任する。
 1941(昭和15)年10月に成立した東条英機内閣で、同郷で旧知の東郷茂徳が外相に就任すると、東郷に請われて外務次官に迎えられ、東郷の下で日米開戦回避を模索するが果たせず、翌1942(昭和17)年、東郷が大東亜省の設置に反対して外相を辞任すると、これに伴って辞職。その後、駐満州国公使を務めた。
 戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として起訴された東郷の特別弁護人に選任されるが、1948(昭和23)年に公職追放処分を受ける。その解除後は、駐豪大使、駐英大使、ソ連との国交回復交渉などに携わり、1958(昭和33)年に退官。その後も、外交政策への積極的な発言を続ける一方で、軍縮や核兵器廃絶運動などにも関与した。
【配役】
加藤和夫(56) …… 山河燃ゆ(1984・NHK)役名は外務次官
沼田隆兵(49) …… あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機(2008・TBS)

大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典
inserted by FC2 system