のみ・おりえ
【生没】1822(文政5)−1906(明治39)
【生地】長門国
【実父】乃美八郎右衛門
【実母】井上六兵衛女
【略伝】
長州藩士。
長州藩(毛利家)に仕えて藩校明倫館目付役などを務め、1864(元治元)年の池田屋事件や蛤御門の変(禁門の変)の際には、京都留守居役の職にあった。
維新後は山口藩大属となり、萩部支庁などに勤めた。
【配役】
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森田 肇 |
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維新の曲(1942・大映) |
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瀬川路三郎(64) |
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新選組(1958・東映) |
のみ・たかおき
【生没】1513(永正10)−1598(慶長3)
【実父】小早川弘平
【略伝】
沼田小早川家の家臣。
毛利元就の子隆景の小早川家の家督相続に尽力した。
【配役】
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畑山東一郎(28) |
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毛利元就(1997・NHK) |
のみ・むねかつ
【生没】1527(大永7)−1592(永禄元)
【生地】
【実父】乃美賢勝
【実母】
【別称】浦宗勝
【略伝】
小早川隆景の家臣。
小早川隆景に仕え、水軍を率いて各地を転戦。1555(弘治元)年の厳島合戦では、村上水軍の合力を得る戦功を立て、毛利方の勝利に貢献する。1576(天正4)年には織田信長の攻撃を受ける本願寺への兵糧搬入のために水軍を率いて摂津木津川口に迫り、織田方の水軍と交戦して勝利を収めた(第一次木津川口の戦い)。
1592(文禄元)年からの朝鮮出兵で渡海するが、朝鮮で発病し、帰国後の同年9月に没した。
【配役】
のみ・もとのぶ
【生没】
【生地】
【実父】乃美賢勝?
【実母】
【略伝】
小早川隆景の家臣。
隆景に仕え、備中方面の攻略に加わり、対宇喜多勢の最前線宮路山城の守備に当たるが、1582(天正10)年4月、羽柴秀吉の軍勢が迫ると、開城して退去した。
【配役】
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吉野容臣(50) |
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軍師官兵衛(2014・NHK) |
のみのおおかた
【生没】?−1601(慶長6)
【実父】乃美隆興?乃美弘平?
【実母】宍戸元源女?
【略伝】
毛利元就の側室。
元就が正室を亡くした後に持った最初の側室といわれ、元就との間に秀包らをもうけた。
【配役】
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田中広子(26) |
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毛利元就(1997・NHK)役名は小夜 |