あきづき・けいたろう
【生没】1871(明治4)−1916(大正5)
【生地】名古屋藩
【実父】
【実母】
【略伝】
はじめ日本銀行に勤めるが、後に役者に転身し、1893(明治26)年、横浜蔦座で初舞台を踏む。
1896(明治29)年には喜多村緑郎らとともに成美団を結成。二枚目として活躍した。
【配役】
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若林哲行(39) |
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春の波涛(1985・NHK) |
あきづき・ていじろう
【生没】1824(文政7)−1900(明治33)
【生地】陸奥国
【実父】丸山胤道
【実母】杉本氏女
【別称】秋月胤永
【略伝】
会津藩(松平家)に仕える。
江戸や長崎などに遊学して河井継之助らと交流を深め、1862(文久2)年に藩主松平容保が京都守護職となると、これに従って上洛し、公用方として朝廷や諸藩との交渉などに奔走。翌1863(文久3)年には、薩摩藩士高崎左太郎と通じ、京都から過激な尊王攘夷思想に傾斜する長州藩勢力の駆逐を画策し、同年8月18日、長州藩に近い朝廷内の尊王攘夷派を朝廷から追放することに成功した。
1865(慶応元)年に蝦夷代官に左遷されるが、1867(慶応3)年に復帰。翌年1月の会津藩の京都撤退とともに会津に戻り、攻め寄せた新政府軍と交戦。同年9月の会津藩降伏時には手代木直右衛門とともに新政府軍への降伏の使者に立つ。
その後、終身禁錮処分を受けるが、1872(明治5)年に赦免されて新政府に出仕。1893(明治26)年からは熊本の第五高等学校で教鞭をとった(このときの同僚に小泉八雲がいる)。
【配役】
あきづき・みえ
【生没】1842(天保13)−1888(明治21)
【生地】
【実父】遠藤氏
【実母】
【略伝】秋月悌次郎の妻。
【配役】
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森村 玲(29) |
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八重の桜(2013・NHK) |