会沢正志斎
あいざわ・せいしさい

【生没】1782(天明2)−1863(文久3)
【生地】常陸国
【実父】会沢恭敬
【実母】根本重政女
【略伝】
 水戸藩士。
 藤田幽谷に水戸学を学んで次第に頭角を現し、1825(文政8)年には西洋情勢とそれへの対策を説いた『新論』を発表する。1827(文政10)年の幽谷の死により水戸藩の修史局である彰考館総裁となり、水戸学の発展に大きく貢献。1841(天保12)年には、新設された藩校弘道館の初代総裁となった。
 1829(文政12)年に生じた藩主後継問題では、幼時より近侍していた徳川斉昭の擁立に奔走し、その藩主就任後は幽谷の子藤田東湖らとともに藩政改革を推進するが、1844(弘化元)年の斉昭の隠居・謹慎に連座して免職された。
 1849(嘉永2)年の斉昭赦免とともに藩政に復帰して斉昭を輔佐。しかし、1858(安政5)年、水戸藩に幕政改革を迫る密勅が下った際には、尊王攘夷派と見られていたにもかかわらずその返納を主張したために藩内の尊王攘夷派を落胆させ、逆に彼らの批判の的となり、1862(文久2)年には、一橋慶喜に提出した『時務策』で開国論を説くに至った。
【配役】
飯沼 慧(72) …… 徳川慶喜(1998・NHK)

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