おおしま・けんきち
【生没】1908(明治41)−1985(昭和60)
【生地】石川県
【実父】
【実母】
【略伝】
1932(昭和7)年ロサンゼルス五輪の銅メダリスト(陸上)。
金沢商時代から三段跳で活躍し、関西大在学中の1932(昭和7)年にはロサンゼルス五輪の日本代表に選出され、三段跳で銅メダルを獲得。1936(昭和11)年のベルリン五輪では陸上日本代表の主将を務め、三段跳では6位に入賞した。
この間の1934(昭和9)年に毎日新聞社に入り、1939(昭和14)年にウィ−ンで国際学生陸上大会に監督として参加した後、そのままベルリン特派員として、1945(昭和20)年5月のドイツ敗戦まで同国にとどまった。
戦後は、日本オリンピック委員会常任委員などを務め、1964(昭和39)年の東京五輪に際しては日本体育協会選手強化対策本部長に就任してスポ−ツ科学の観点からのトレ−ニングを主導し、日本選手団の団長も務めた。
晩年は反核運動に携わり、1982(昭和57)年には日本初のオリンピック平和賞を受賞した。
【配役】
おおしま・ばんろく
【略伝】
紀州藩士。
徳川綱教が藩主だったころの紀州徳川家に仕え、勘定奉行を務めた。
【配役】