かさい・さんせい(みつみ)
【生没】1898(明治31)−1970(昭和45)
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
慶応大を中退し、時事新報社を経て、1929(昭和4)年にNHKに入局してアナウンサーとなる。1936(昭和11)年のベルリン五輪では競技実況を担当し、200m平泳ぎでは「前畑がんばれ」を繰り返し、話題となった。
その後、NHK理事、日本放送出版協会社長などを務めた。
【配役】
かさい・まさえ
【生没】1933(昭和8)−2013(平成25)
【生地】山梨県
【実父】河西栄一
【実母】河西まさ代
【別称】中村昌枝
【略伝】
1964(昭和39)年東京五輪の金メダリスト(バレーボール)。
山梨県立巨摩高卒業後、日紡に入り、大松博文監督の下、後に「東洋の魔女」と称された日紡貝塚バレーボールチームで活躍。1962(昭和37)年の世界選手権、1964(昭和39)年の東京五輪(コーチ兼主将)での日本代表チームの優勝に貢献した。
翌年1月に現役引退を表明し、翌2月に大松が退任すると他のメンバーとともに退社。同年5月には首相佐藤栄作夫人寛子の仲立ちで中村和夫と見合い結婚し、佐藤夫妻が媒酌人となった。
その後もバレーボールの指導に携わり、2003(平成15)年からは日本バレーボール協会女子強化副委員長を務め、翌年のアテネ五輪には全日本女子バレーボールチーム団長として参加した。
【配役】