だいまつ・ひろぶみ
【生没】1921(大正10)−1978(昭和53)
【生地】香川県
【実父】
【実母】大松ふく
【略伝】
関西学院高商卒業後、日紡(ニチボー)に入社。1942(昭和17)年に出征し、フィリピン、シンガポール、ビルマなどを転戦。ビルマではインパール作戦に加わって生還する。1945(昭和20)年8月の終戦後はイギリスの捕虜となった。
戦後、日紡貝塚のバレーボール部監督に就任。厳しい指導で、「東洋の魔女」と呼ばれた選手を率いて1962(昭和37)年の世界選手権で優勝。1964(昭和39)年の東京五輪でも女子バレーボール日本代表監督を務め、優勝に導いた。
翌1965(昭和40)年に退社。1968(昭和43)年、自由民主党の公認を受け、参議院議員選挙に全国区から出馬して当選を果たすが、1974(昭和49)年の参議院議員選挙では落選。その後各地でバレーボールの指導に携わっていたが、1978(昭和53)年11月、訪問先の岡山井原で急逝した。
【配役】
だいまつ・みちよ
【生没】1931(昭和6)?−2016(平成28)
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
大松博文の妻。
大阪府立泉陽高卒業後、1951(昭和26)年に大松博文と結婚し、博文との間に美文、緑の二女をもうけた。
【配役】