塚田 攻
生没 1886(明治19)-1942(昭和17)
生地 茨城県
実父
実母
略伝
陸軍士官学校(19期)、陸軍大学校(26期)を卒業し、参謀次長や南方軍総参謀長などを歴任する。
1941(昭和16)年12月の日米開戦から戦争初期における戦争計画の立案・実行に関与。1942(昭和17)年7月、第11軍司令官に任ぜられ、中国華中方面に展開したが、同年12月、中国での飛行機事故で殉職した。
配役
塚原昌義
生没 1825(文政8)-1888(明治21)
生地 武蔵国
実父 塚原昌常(江戸幕府旗本)
実母
別称 武田昌次
略伝
幕府に出仕し、外国奉行の下で外交に携わり、1860(万延元)年には日米修好通商条約の批准書交換使節に随行して渡米。帰国後の1862(文久2)年には目付となり、1865(慶応元)年には大目付、翌年には外国奉行・勘定奉行、さらにその翌年には若年寄並・外国総奉行と出世を続け、幕府外交の最前線に立つ。
1868(明治元)年1月の鳥羽伏見の戦いでは、松平豊前守の下で幕府軍の副将として新政府軍と交戦するも敗れる。しかし、新政府に対してなお強硬策を唱えたため、翌月に罷免。同年4月、新政府による処罰の対象となるが、旧知のアメリカ商人を頼って横浜からアメリカに逃れた。
1870(明治3)年に帰国し、旧主徳川家(静岡藩)の東京藩邸で謹慎させられ、1872(明治5)年に赦免。その後、武田昌次と改名して新政府に出仕し、博覧会事務官としてイギリスに派遣されるなど各国に出張し、勧業政策に携わった。
配役
塚本真彦
生没 1832(天保3)-1868(明治元)
生地 武蔵国
実父
実母 実岳貞心大姉(法名)
略伝
播磨林田藩(建部家)に仕え、藩主建部政醇の小姓を務めるが、政醇の娘道子が小栗忠順に嫁ぐ際、その付人として小栗家に入る。忠順が1860(万延元)年には幕府遣米使節として渡米した際にはこれに従って渡海した。
1868(明治元)年2月の幕府崩壊後、忠順に従ってその所領の上野に戻って帰農。閏4月、高崎に達した新政府軍のもとに、忠順の養子忠道とともに忠順の使者として赴くが、捕縛され、処刑された。
配役
月岡治右衛門
生没
生地
実父
実母
別称 月岡治左衛門(誤伝)
略伝
播磨赤穂藩(浅野家)に仕える。
1701(元禄14)年、主君浅野内匠頭が江戸城内で高家吉良上野介に刃傷に及んで赤穂藩が改易されると、家老大石内蔵助が赤穂城受取の目付役荒木十左衛門と榊原采女に宛てた陳情書(いわゆる鬱憤の書付け)を届けるために多川九左衛門とともに江戸へ下向。しかし、行き違いとなり、江戸家老安井彦右衛門にこれを差し出したため、これを見てあわてた安井が内匠頭のいとこ戸田采女正に相談し、結果的にその書付けが幕府の目付に知れるに至り、内蔵助の嘆願が無に帰すという失態を犯した。
その後、采女正の諭告書を持って赤穂へ戻り、仇討ちの義盟に加わったが、翌年7月に仇討ちの決行が決まった後、内蔵助が同志の真意を探るべく行った義盟の血判状返却(神文返し)に応じ、脱盟した。
配役
榊田敬二(39) |
忠臣蔵(1939・映画) |
小堀明男①(32) |
赤穂城(1952・映画) |
小堀明男②(32) |
続赤穂城(1952・映画) |
水村天竜 |
忠臣蔵(1954・映画) |
永井秀明(50) |
大忠臣蔵(1971・NET) |
五十嵐義弘(37) |
赤穂浪士(1979・ANB) |
関 保之(36) |
峠の群像(1982・NHK) |
佐戸井けん太(42) |
元禄繚乱(1999・NHK) |
中田博久(61) |
最後の忠臣蔵(2004・NHK) |
柴 俊夫(63) |
最後の忠臣蔵(2010・ワーナー) |
月形 潔
生没 1847(弘化4)-1894(明治27)
生地 筑前国
実父 月形健(福岡藩士)
実母 竹(宮崎省庵女)
略伝
1874(明治7)年ごろに司法省に出仕し、少検事などを務める。
1881(明治14)年、北海道に建設された樺戸集治監の初代典獄に就任。囚人たちとともに現地の開拓に当たった。
配役
南 光明(54) |
わが恋は燃えぬ(1949・映画) |
内田良平(46) |
監獄人別帳(1970・東映) |
有川 博(40) |
獅子の時代(1980・NHK) |
仲代達矢(52) |
北の蛍(1984・東映) 役名は月潟剛史 |
柘植三之丞
生没 1540(天文9)-1629(寛永6)
生地
実父 柘植宗家
実母
別称 柘植清広
略伝
伊賀の国人で、1582(天正10)年6月、堺で織田信長の横死を知った徳川家康が三河へ遁走する途中、伊賀の山中を案内する。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの後に家康より300石を与えられ、1614(慶長19)年の大坂冬の陣にも幕府方として出陣した。
配役
植村謙二郎(59) |
国盗り物語(1973・NHK) |
野口貴史(45) |
徳川家康(1983・NHK) |
都甲斧太郎
略伝
幕府に出仕し、御馬乗役などを務める。
小関三英に蘭学を学び、隠居中には若き日の勝麟太郎に蘭学を教授したという。
配役
子母澤寛原作の作品には「都甲市郎左衛門」の名で登場する。 |
有島一郎①(37) |
あばれ獅子(1953・映画) |
岡 譲司(62) |
父子鷹(1964・TBS) |
岩田直二(51) |
勝海舟(1965・MBS) 役名は都甲老人 |
有島一郎②(56) |
父子鷹(1972・KTV) |
有島一郎③(56) |
おとこ鷹(1972・KTV) |
中村伸郎(66) |
勝海舟(1974・NHK) |
金子信雄(71) |
父子鷹(1994・NTV) |
風間杜夫(72) |
小吉の女房2(2021・NHK) |
辻 将曹
生没 1823(文政6)-1894(明治27)
生地 安芸国
実父 辻維棋
実母
別称 辻維岳
略伝
広島藩(浅野家)に仕える。
1853(嘉永6)年の黒船来航を受け、藩内で改革派として活動するが、保守派に阻まれて失敗を重ねる。1858(安政5)年に広島藩主となった浅野茂長が藩政改革に着手し、次第に改革派が台頭すると、1862(文久2)年には年寄役(執政)に起用され、藩政改革に着手して軍備強化を図ったが、1866(慶応2)年の第二次長州征伐の際、幕府に対し長州への寛大な処置を求め、広島藩の出兵を拒んだため、幕府より謹慎を命じられた(ほどなくして赦免される)。
その後、薩摩・長州との倒幕同盟に加わる一方で、土佐藩士後藤象二郎の大政奉還論に賛同し、1867(慶応3)年10月6日、土佐藩に続いて大政奉還建白書を幕府に提出。同年12月9日の王政復古により新政府参与となり、同日の小御所会議では、山内容堂と岩倉具視の問答を契機に対立を深めた土佐藩と薩摩藩との周旋に奔走した。
維新後は新政府に出仕して元老院議官などを務めた。
配役
水野 浩(43) |
維新の曲(1942・大映) |
瀬良 明(56) |
竜馬がゆく(1968・NHK) |
大宮悌二(46) |
勝海舟(1974・NHK) |
辻 殿
(実名は未詳)
略伝
源頼家の妻。公暁の母であるともいう。
配役
北 香那(25) |
鎌倉殿の13人(2022・NHK) 役名はつつじ/頼家(金子大地)の正室 |
辻風典馬
略伝
宮本武蔵に殺害されたならず者。吉川英治『宮本武蔵』の創作人物。
配役
玉島愛造(46) |
宮本武蔵(1936・新興) |
尾上華丈(39) |
宮本武蔵(1937・日活) |
阿部九州男(44) |
宮本武蔵(1954・東宝) |
加賀邦男(48) |
宮本武蔵(1961・東映) |
小松方正(39) |
宮本武蔵(1965・NTV) |
今橋 恒(35) |
宮本武蔵(1970・NET) |
尾形伸之介(41) |
真剣勝負(1971・東宝) |
藤岡重慶(42) |
宮本武蔵(1975・CX) |
八名信夫(49) |
宮本武蔵(1984・NHK) |
岩尾正隆(48) |
宮本武蔵(1990・TX) |
立川三貴(52) |
宮本武蔵(2001・TX) |
永澤俊矢(42) |
武蔵 MUSASHI(2003・NHK) |
蔦屋重三郎
生没 1750(寛延3)-1797(寛政9)
生地 武蔵国
実父 丸山重助
実母 津与(広瀬氏女)
略伝
江戸吉原に生まれ、吉原大門前に書店を開く。
後に版元として各種の書籍の企画・刊行に携わったほか、山東京伝、喜多川歌麿、東洲斎写楽など多数の芸術家の作品の出版を引き受け、これらが世に出るのを後援したが、1791(寛政3)年、老中松平定信による寛政の改革で倹約や風紀取締りが徹底される中、山東京伝の作品が罪に問われると、これに連座して財産没収などの処分を受けた。
配役
蔦屋重三郎の妻
略伝
蔦屋重三郎の妻。
配役
土持政照
生没 1834(天保5)-1902(明治35)
生地 薩摩国
実父 土持叶之丞(綱政)
略伝
沖永良部島の役人で、1862(文久2)年に西郷吉之助が沖永良部島に流された際に監視役を務め、吹きさらしとなっていた西郷の牢の修築や、体調不良となった西郷を自邸で看病するなど、西郷の世話に尽力。維新後、その縁を頼りに上京し、西郷に沖永良部島のことで陳情に及んで快諾を得たエピソードが伝わっている。
1875(明治8)年からは沖永良部島で戸長を務めた。
配役
都築荘蔵
生没 1845(弘化2)-1885(明治18)
生地 伊予国
実父 末広双竹
実母
別称 都築温
略伝
伊予宇和島藩の儒者都築燧洋の養子となる。
宇和島藩(伊達家)に仕え、藩主伊達宗城の命を受けて京都での情勢探索を担当。1867(慶応3)年10月、将軍徳川慶喜が京都二条城にて上洛中の諸藩重臣に大政奉還の諮問を行った際には、宇和島藩を代表してこれに列席し、土佐藩の後藤象二郎らとともに大政奉還を進言した。
維新後は、外国官権判事などを務めたが、やがて故郷宇和島に戻り、愛媛県議会議員などを務める一方で、後進の教育などに当たった。
配役
水野 浩(43) |
維新の曲(1942・大映) |
瀬良 明(56) |
竜馬がゆく(1968・NHK) |
大宮悌二(46) |
勝海舟(1974・NHK) |
堤 信遠
生没 ?-1180(治承4)
生地
実父
実母
別称 堤権守
略伝
伊豆田方郡を本拠とし、伊豆目代となった山木兼隆の後見を務める。
1180(治承4)年8月、平氏に対し挙兵した源頼朝の攻撃を受け、兼隆とともに討ち取られた。
配役
黒葛原源助
略伝
薩摩藩(島津家)に仕える。
1862(文久2)年、西郷吉之助が沖永良部島へ流された当時、同島の代官を務めていた。
配役
経 子
略伝
平重盛の妻。
配役
森口瑤子(39) |
義経(2005・NHK) |
高橋 愛(26)
大出菜々子(12) |
平清盛(2012・NHK) |
常子内親王
生没 1642(寛永19)-1702(元禄15)
生地 山城国
実母 国子(園基音女)
略伝
後水尾天皇の第15皇女。霊元天皇の同母姉。
1664(寛文4)年に近衛基熙に嫁ぎ、家熙との間に、家熙、熙子(天英院)らをもうけた。
配役
吉川満子(67) |
大奥(1968・KTV) 役名は基子 |
恒良親王
生没 ?-1338(延元3・暦応元)
生地 山城国
略伝
後醍醐天皇の皇子。
1331(元弘元・元徳3)年、父帝の倒幕計画が幕府に露見すると、幕府により捕縛され、但馬へ配流されるが、1333(元弘3・正慶2)年5月の足利高氏(尊氏)らの京都六波羅探題攻撃に加わり、幕府崩壊後の翌年正月には帝の皇太子となる。
1336(延元元・建武3)年、帝より離反した尊氏の軍勢が上洛すると、尊良親王や新田義貞などとともに北陸道の鎮定を名目として越前金ヶ崎城に入るが、翌年、足利方の高師泰らの攻撃を受けて落城し、捕縛される。その後、京都へ護送されたが、翌年に没した。毒殺ともいう。
配役
円谷幸吉
生没 1940(昭和15)-1968(昭和43)
生地 福島県
実父 円谷幸七
実母 円谷ミツ
略伝
福島県立須賀川高卒業後、陸上自衛隊に入る。1962(昭和37)年の日本陸上競技選手権大会に出場して5000m、10000mで優勝。1964(昭和39)年の東京五輪では日本代表に選出され、10000mで6位入賞、マラソンでは銅メダルを獲得した。
その後、足腰の負傷で成績不振に陥り、1968(昭和43)年1月、「もう走れない」との趣旨の遺書を残して自死した。
配役
つ よ
略伝
江戸城大奥に出仕する。
はじめ将軍徳川家定に御中臈として仕えていたが、後に篤姫(天璋院)付となった。
配役
鶴
生没 1575(天正3)-1588(天正16)
生地 豊前国?
略伝
宇都宮鎮房の子。
1588(天正16)年4月、父鎮房が黒田長政により豊後中津城で謀殺されると捕縛され、中津で処刑された(生存説もある)。
配役
大佛次郎『乞食大将』では父鎮房らの横死後も生存する設定となっている。 |
中村芳子(25) |
乞食大将(1952・大映) 製作は1945年 |
朝風みどり |
武士(1963・NHK) |
藤由紀子(22) |
乞食大将(1964・大映) |
野添ひとみ(32) |
新・日本剣客伝(後藤又兵衛)(1969・NET) |
市川由衣(28) |
軍師官兵衛(2014・NHK) |
鶴
生没 1677(延宝5)-1704(宝永元)
生地 武蔵国
略伝
徳川綱吉の長女。
1685(貞享2)年、当時紀州藩世子だった徳川綱教に嫁ぎ、子のなかった綱吉が綱教を将軍継嗣に考えたともいう。しかし、綱教との間に子のないまま、1704(宝永元)年4月に没した。
配役
武原英子(22)
中島敬子 |
大奥(1968・KTV) |
津川千緒 |
男は度胸(1970・NHK) |
川上 茜 |
大奥(1983・KTV) |
斉藤由貴(29) |
八代将軍吉宗(1995・NHK) |
伊藤 翠
鮎川まなみ
西澤美優(5) |
元禄繚乱(1999・NHK) |
梅原真子(6) |
大奥 華の乱(2005・CX) |
高橋由美子(34) |
徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008・TX) |
つ る
略伝
薩摩から代官として沖永良部島にやってきた土持叶之丞(綱政)の島妻となり、叶之丞との間に政照をもうけた。
配役
鶴 松
生没 1837(天保8)?-1876(明治9)
生地
実父
実母
別称 川井又五郎
略伝
伊豆下田で舟大工を生業とする。
1857(安政4)年にアメリカ総領事ハリスの看護という名目で幕府によりハリスのもとへ差し出された吉とは当時許婚の間柄であったという。
維新後にお吉と結婚したが、4年ほどで離婚した。
配役
河合菊三郎 |
唐人お吉(1930・河合) |
島 耕二(29) |
唐人お吉(1930・日活) |
高田浩吉(20) |
唐人お吉(1931・松竹) |
5沢村田之助(33) |
唐人お吉(1935・新興) |
尾上菊太郎(30) |
唐人お吉 黒船情話(1937・日活) |
高田浩吉(28) |
新釈 唐人お吉 焚身篇(1939・松竹) |
下元 勉(37) |
唐人お吉(1954・映画) |
島ひろし(45) |
歌う弥次喜多黄金道中(1957・松竹) |
中村竜三郎(32) |
日本ロマンス旅行(1959・新東宝) |
河野秋武(48) |
女人哀詞(1959・NHK) |
鶴見丈二(29) |
桜田門(1961・大映) |
和田 孝(34) |
唐人お吉(1963・NHK) |
長門裕之(29) |
花の生涯(1963・NHK) |
天野新二(32) |
唐人お吉(1965・TBS) |
地井武男(32) |
花の生涯(1974・NTV) |
細川俊之(40) |
愛は海鳴りのごとく(1980・YTV) |
光石 研(27) |
花の生涯(1988・TX) |
鶴見内蔵助
生没 ?-1694(元禄7)
生地
実父 鶴見内蔵助
実母
別称 鶴見良直
略伝
備中松山藩(水谷家)に仕え、家老を務める。
1693(元禄6)年、主君水谷勝美が子のないまま没したために松山藩が改易される。松山城の明渡しに際し、収城使となった播磨赤穂藩家老大石内蔵助が小物や足軽が使う通路を丸腰で歩いてくるのを城中から観察してその思慮深さに感心したといわれ、これが2人の内蔵助のエピソードとして今日に伝わる。
配役
山形 勲(60) |
元禄太平記(1975・NHK) |
丹波哲郎(60) |
峠の群像(1982・NHK) |
佐藤 允(65) |
元禄繚乱(1999・NHK) |