大友氏時
おおとも・うじとき

【生没】?−1368(正平23・応安元)
【生地】豊後国?
【家系】大友氏
【実父】大友貞宗
【実母】持正傑尼(少弐盛経女)?少弐貞経女?
【略伝】
 豊後の守護。
 足利尊氏の寵愛を受け、その猶子となる。
 1348(正平3・貞和4)年に兄氏泰より家督を継承し、豊後の守護となるが、翌年に表面化した幕府の内紛の影響により、一族が南朝方と北朝方に分裂するなど、家中が混乱した。
【配役】
速見 領(37) …… 太平記(1991・NHK)

大友近江守
おおとも・おうみのかみ

【生没】1641(寛永18)−1711(正徳元)
【生地】
【家系】大友氏
【実父】松野正照
【実母】
【別称】大友義孝
【略伝】
 江戸幕府の旗本(高家)。
 大友義統の孫。伯母の佐子の局(和子付侍女)の養子となる。1689(元禄2)年に高家となり、1697(元禄10)年には高家肝煎となるが、1701(元禄14)年8月に解任された(この年3月に江戸城内で刃傷を受けた高家吉良上野介との親交が原因ともいう)。
 翌年12月、高家末座に列することを許され、1704(宝永元)年に隠居した。
【配役】
中村吉松(32) …… 忠臣蔵(1932・映画)
久米 譲(39) …… 忠臣蔵(1938・日活)
2市川朝太郎(38) …… 忠臣蔵(1939・映画)
立松 晃(46) …… 忠臣蔵(1959・東映)
瀬川路三郎(67) …… 赤穂浪士(1961・東映)
夏川大二郎(58) …… 大忠臣蔵(1971・NET)
高松政雄(66) …… 元禄太平記(1975・NHK)
加藤正之(50) …… 峠の群像(1982・NHK)

大友宗麟
おおとも・そうりん

【生没】1530(享禄3)?−1587(天正15)
【生地】豊後国
【家系】大友氏
【実父】大友義鑑
【実母】坊城氏女?大内義興女?
【別称】大友義鎮
【略伝】
 豊後などの守護。
 1550(天文19)年、自身の擁立を図る家臣津久見美作らによって父義鑑が殺害されたため、家督を相続。翌年、大内義隆が家臣陶隆房(晴賢)の謀叛に斃れると、弟晴英(大内義長)を大内家の養子に送り込み、かつて大内家と争っていた北九州の支配を次第に確立する。その後、肥前を押さえてその守護に任ぜられ、1557(弘治2)年には大内家の滅亡に端を発して叛旗を翻した筑前の秋月文種や筑紫惟門などを追って筑前を完全に掌握し、1559(永禄2)年、筑前・筑後・豊前の守護、さらに九州探題に任ぜられた。この間の1551(天文20)年にはザビエルが豊後に来航し、これを契機にキリスト教の布教を許可。以後、本拠豊後府内ではキリシタン信仰が拡大し(自身も1578[天正6]年に受洗)、外国との貿易により大いに繁栄した。
 しかし、その後、筑前では大内家を滅ぼした毛利勢やこれに呼応する筑前の国人衆の叛乱、肥前では龍造寺隆信の独立やこれに影響を受けた隣国筑後の国人衆の離反などに加えて、信仰をめぐる家臣団の深刻な対立もあり、次第に家中の統率を失う。1576(天正4)年に隠居して家督を嫡男義統に譲ったが、これが二元政治を生んでさらに家中の混乱を深めることとなる。
 1578(天正6)年には北進する島津勢に対し、多くの家臣の反対を押し切って出兵を強行。日向高城川原に対戦したものの(自らは後方で滞陣)、軍勢の統率を欠いて大敗し(耳川の戦い)、衰勢が加速する。その後、龍造寺勢や島津勢による領土の侵食が進む一方で、自身のキリスト教信仰への過度の傾斜により、寺社仏閣の焼討ちなど国内の荒廃も深刻化した。
 1584(天正12)年に島津勢が肥前沖田畷に龍造寺隆信を討ち取って事実上九州の覇権を握るに至り、豊後への圧力がさらに増すと、1586(天正14)年3月に上坂して豊臣秀吉に謁見し、九州への下向を懇請。しかし、島津勢の北進は止まらず、同年10月には豊後国内に進出し、同年12月、秀吉の援軍として豊後に入った仙石秀久や長宗我部信親などの大軍も戸次川に撃破される。自身は丹生島(臼杵)城に立て籠もって、「国崩し」と称された大砲をもって島津勢に激しく抗戦したが、豊後は島津勢によってほぼ平定された。
 翌1587(天正15)3月に秀吉が九州に入り、同年5月に島津家がこれに降ると、秀吉により義統に豊後一国が与えられ(自身にも日向一国が宛てがわれたがこれを辞退したとされる)、同月23日、大友家の本領回復を見届け、豊後に没した。
【配役】
実川延松(32) …… 丹生島(1926・マキノ)
松村光夫@ …… 神変不知火冠者 前篇(1936・映画)
松村光夫A …… 神変不知火冠者 後篇(1936・映画)
高橋幸治(43) …… もう一人の不龍獅子虎 大友宗麟(1978・NHK)
隆 大介(28) …… 国東物語(1985・映画)
松平 健(51) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK)
上條恒彦(74) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

大友宗麟の正室
おおとも・そうりんのせいしつ

【生没】?−1587(天正15)
【生地】豊後国?
【実父】奈多鑑基
【実母】田北親員女?
【略伝】
 大友宗麟の正室。
 大友義鎮(宗麟)の正室となり、義統らをもうけるが、信仰をめぐる不和から1578(天正6)年に離縁された。
【配役】
藤村志保(39) …… もう一人の不龍獅子虎 大友宗麟(1978・NHK)
財前直見(38) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK) 役名は矢乃

大友宗麟の側室
おおとも・そうりんのそくしつ

【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
 大友宗麟の側室。
 キリシタンで、ユスタ(ジュリア)という洗礼名を持つ。宗麟の正室に仕える侍女頭であったらしく、宗麟が正室と離別した後、その側に上がった。
【配役】
宮本真希(27) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK) 役名は露

大友義鑑
おおとも・よしあき

【生没】1502(文亀2)−1550(天文19)
【生地】豊後国?
【家系】大友氏
【実父】大友義長
【実母】阿蘇惟乗女
【略伝】
 豊後などの守護。
 大友宗麟の父。1515(永正12)年、父義長の隠居により家督と豊後などの守護職を相続するが、若年であったため、はじめ義長、その死後は祖父親治の後見を受ける。
 肥後方面では、菊池家に養子に入った弟義武(重治)と対立して激しくこれと争った一方で、筑前方面からは北九州へ勢力を拡大していた大内勢の南進を受け、1534(天文3)年、豊後勢場ヶ原で激戦の末大内勢を撤退に追い込む(1538[天文7]年に大内家とは和睦)。その後、肥後への影響力をさらに強め、1543(天文12)年には肥後守護に任ぜられた。
 1550(天文19)年2月10日、三男塩市丸への家督継承を危惧し嫡男義鎮(宗麟)の擁立を企図する家臣津久見美作らに居館を襲撃されて重傷を負い、その2日後に没した。
【配役】
滝田裕介(55) …… 国東物語(1985・映画)
細川俊之(64) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK)

大友義鑑の側室
おおとも・よしあきのそくしつ

【生没】
【生地】
【実父】
【実母】
【略伝】
 大友義鑑の側室。
 義鑑の側室となり、義鑑との間に塩市丸をもうけた。
【配役】
北川えり(29) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK) 役名は小少将

大友義統
おおとも・よしむね

【生没】1558(永禄元)−1610(慶長15)
【家系】大友氏
【実父】大友宗麟
【実母】奈多鑑基女
【別称】大友吉統
【略伝】
 大友宗麟の長男。
 1576(天正4)年、父宗麟の隠居により家督を相続するが、引き続き宗麟が実権を握っていたために二元政治を生じ、家中の混乱が深まる。
 折からの島津勢の北進により、1587(天正15)年には島津勢に豊後をほぼ平定されるが、同年の豊臣秀吉の九州攻めにより島津家がこれに降伏し、秀吉より豊後一国を安堵され、大友家の本領を回復した。
 1592(文禄元)年からの朝鮮出兵では、軍勢を率いて渡海したが、翌年、敵勢に包囲されて劣勢となった小西行長の救援に向かわなかったため、秀吉の怒りに触れて改易され、佐竹義宣に預けられる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに際しては、旧領回復を企図して豊後に進出し、徳川方の黒田如水と交戦するが、敗れて降伏し、戦後、秋田実季に預けられた。
【配役】
仁科克基(22) …… 大友宗麟 心の王国を求めて(2004・NHK)
増田修一朗(34) …… 軍師官兵衛(2014・NHK)

大友頼泰
おおとも・よりやす

【生没】1222(貞応元)−1300(正安2)
【生地】
【家系】大友氏
【実父】大友親秀
【実母】佐原(三浦)家連女
【略伝】
 豊後の守護。
 豊後守護や鎮西奉行を務め、1274(文永11)年と1281(弘安4)年の2度の元軍襲来では、九州の御家人らを指揮してこれと交戦する。しかし、1274(文永11)年の文永の役の際、戦況不利を悟って筑前箱崎浜から撤退したために元軍の上陸を許し、八幡神誕生の聖地の一に数えられる筥崎八幡宮を元軍に焼討ちされたために民衆の反感を買い、翌1275(文永12)年、これを重く見た幕府よりに文書で厳重注意を受けた。
 元寇後は豊後に土着した。
【配役】
飯島大介(51) …… 北条時宗(2001・NHK)

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