源 雅定
生没 1094(嘉保元)-1162(応保2)
生地
実父 源雅実
実母 田上二郎女?藤原経生女?
別称
略伝
太政大臣などを務めた源雅実の次男。
朝廷に出仕し、右近衛中将、備中介などを経て、1119(元永2)年に参議となり、公卿に列する。
その後、権中納言や権大納言を務め、1149(久安5)年に内大臣、翌年には右大臣となった。
配役
源 雅信
生没 920(延喜20)-993(正暦4)
生地 山城国
実父 敦実親王
実母 藤原時平女
略伝
宇多天皇の第8皇子敦実親王の三男。
936(承平6)年に臣籍降下。以後、侍従、蔵人頭などを経て、951(天暦5)年に参議となり、公卿に列する。
その後、治部卿、大納言などを歴任し、977(貞元2)年に右大臣、翌年には左大臣に転じ、朝廷の事実上のトップとして朝政に重きをなした。
なお、娘の倫子は栄達前の藤原道長に嫁ぎ、孫が後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇をもうけた。
配役
源 護
略伝
常陸大掾を務めて筑波山西麓に勢力を拡大。しかし、平将門との間で紛争が生じてこれと対立する。
935(承平5)年、子3人がが将門を襲撃したが、返り討ちに遭い、3人とも討死するという敗北を喫した。
配役
源 道方
生没 968(安和元)-1044(長久5)
生地 山城国?
実母 源高明女
略伝
源重信の五男。
朝廷に出仕し、侍従、蔵人頭などを経て、1012(寛弘9)年に参議となり、公卿に列する。
その後、権中納言、民部卿などを歴任した。
配役
源 光保
生没 ?-1160(永暦元)
生地
実父 源光国
実母 大中臣輔清女
略伝
出羽守などを務めた源光国の三男。
北面の武士として鳥羽院に仕え、娘が法皇の寵愛を受けたことから、院の側近となる。
1159(平治元)年の平治の乱でははじめ源義朝に属して信西を討ち取る功を立てるがが、後に平清盛方に転じる。しかし、翌年、謀叛の疑いを受けて薩摩に流され、同地で殺害された。
配役
田中幸太朗(30) |
平清盛(2012・NHK) 役名は光康 |