源 方理
生没
生地
実母 行明親王女
別称 (名の読み「のりまさ」)
略伝
源重光の子。
朝廷に出仕し、民部大夫、中務大輔などを務める。
1009(寛弘6)年、藤原道長とその娘中宮彰子の呪詛に関与した疑いで一時官位を剥奪された(なお、道長と対立していた藤原伊周とは妻どうしが姉妹で、義理の兄弟に当たる)。
配役
源 兼綱
生没 ?-1180(治承4)
生地
実父 源頼行
実母
略伝
源頼行の子。伯父源頼政の養子となる。
1180(治承4)年5月、頼政が以仁王とともに平氏に対して挙兵するとこれに従うが、宇治平等院に押し寄せた平氏方の軍勢と戦って討死した。
配役
源 国盛
生没 ?-996(長徳2)?
生地
実父 源信明
実母
略伝
陸奥守などを務めた源信明の子。
朝廷に出仕し、但馬守、常陸守などを歴任する。
996(長徳2)年1月にいったん越前守に任ぜられるが、直後に藤原為時に差し替えとなる。その後、体調を崩し、同年秋には播磨守に任ぜられたものの、赴任しないまま没したという。
配役
源 伊陟
生没 938(天慶元)-995(長徳元)
生地 山城国
実父 兼明親王
実母 源衆望女
略伝
醍醐天皇の第11皇子兼明親王の子。
朝廷に出仕し、侍従、民部少輔などを経て、977(貞元2)年に参議となり、公卿に列する。
その後、播磨守などを兼務し、989(永延3)年には権中納言に任ぜられた。
配役
源 惟正
生没 929(延長7)-980(天元3)
生地 山城国?
実父 源相職
実母 源当平女
略伝
右大弁などを務めた源相職の三男。
朝廷に出仕し、蔵人頭、修理大夫などを経て、974(天延2)年に参議となり、公卿に列する。
その後、975(天延3)年には備前守、978(貞元元)年には大和権守に任ぜられた。
配役