麻 阿
生没 1572(元亀3)-1605(慶長10)
生地
別称 加賀殿
略伝
前田利家の三女。
はじめ柴田勝家の家臣佐久間十蔵と婚約し、勝家の本拠越前北ノ庄城に入っていたが、1583(天正11)年の北ノ庄城の落城の際、脱出に成功し、前田家に戻る。
その後、羽柴秀吉の側室となって加賀殿と称されたが、病弱だったため、前田邸で過ごすことが多かったという。1598(慶長3)年の秀吉の没後は万里小路充房に再嫁して利定をもうけたが、後に充房とも離別。兄利長を頼って金沢へ移った。
配役
マーガレット・ボラディル
生没 1834(天保5)-1870(明治3)
生地
実父 マックリーン
実母
略伝
イギリス商人トマス・ボラディルと結婚する。
1862(文久2)年、横浜に住む姉クレメンティナの家族を訪ねて来日。同年8月、義兄ウィリアムらとともに川崎大師へ観光へ向かう途中、武蔵生麦で島津久光の行列を乗馬したまま横切ったため、薩摩藩士奈良原喜左衛門に斬りつけられたが、無傷で難を逃れた。
その後、香港に戻るが、事件の影響で精神に変調を来たしたといわれている。
配役
エミリー・サクセン |
翔ぶが如く(1990・NHK) |
ハルカ・オース(27) |
篤姫(2008・NHK) |
舞 兵庫
生没 1560(永禄3)-1600(慶長5)?
生地
実父
実母
別称 前野忠康、前野兵庫助
略伝
豊臣秀次に仕えていたが、1595(文禄4)年の秀次切腹後は浪人する。
その後、石田三成に仕え、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで三成に従って出陣。9月15日の本戦で討死したという。
配役
石田英二(52) |
おんな太閤記(1981・NHK) |
草薙幸二郎(52) |
関ヶ原(1981・TBS) |
池上尚吾(47) |
葵 徳川三代(2000・NHK) |
北岡龍貴(46) |
関ヶ原(2017・東宝) |
舞兵庫の妻
略伝
前野将右衛門の子。舞兵庫の妻。
配役
藤倉みのり(44) |
関ヶ原(2017・東宝) 役名は前野舞 |
蒔田広孝
生没 1849(嘉永2)-1918(大正7)
生地
実父 蒔田広胖
実母 田沼意清女
別称 蒔田相模守
略伝
備中浅尾藩主。
幕府旗本蒔田広運の養子となる。1858(安政5)年に家督を相続し、1863(文久3)年、功績による高直しを受けて備中浅尾1万石の大名となる。翌年には京都見廻役となって京都の治安維持に努め、1864(元治元)年の蛤御門の変(禁門の変)では、京都からの長州藩勢力の掃討に当たる。そのため、1866(慶応2)年4月、長州藩の第二奇兵隊によって浅尾の陣屋を襲撃されるなどした。
1869(明治2)年の版籍奉還により浅尾藩知事となるが、1871(明治4)年の廃藩置県により罷免。その後は浅尾村長、総社町長などを務めた。
配役
前川荘司
生没 1829(文政12)-1875(明治8)
生地 山城国
実父 前川五郎左衛門
実母
略伝
京都壬生の郷士。
1863(文久3)年に浪士組が上洛した際、芹沢鴨や近藤勇らの宿舎として自邸を提供したが、隊士たちの傍若無人な振る舞いに耐えかねて邸を出たという。
なお、父の正妻勝子は、京都西陣の菱屋(木南)太兵衛の娘で、その弟太兵衛とはきょうだい関係にある。
配役
北見唯一(55) |
壬生の恋歌(1983・NHK) |
谷本 一(57) |
新選組!(2004・NHK) |
前沢誠助
生没 1880(明治13)-1923(大正12)
生地 長野県
実父
実母
略伝
長野県師範学校を卒業後、故郷長野の小学校や東京俳優養成所などで教師を務める。
1908(明治41)年に小林まさ子(松井須磨子)と結婚したが、1910(明治43)年に離婚。その後も教職を続けていたが、東京都本所区立双葉小学校長を務めていた1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災の際に殉職した。
配役
せんだみつお(38) |
春の波涛(1985・NHK) |
前島 密
生没 1835(天保6)-1919(大正8)
生地 越後国
実父 助右衛門
実母 てい
略伝
越後の豪農の子に生まれる。
江戸に出て医学や航海術などを学び、後に幕臣前島家を継承する。
維新後は静岡藩に仕えた後、新政府に出仕し、駅逓頭として郵便制度の確立に尽力。1881(明治14)年の政変により辞職し、大隈重信と行動をともにして立憲改進党の結党に加わり、後に大隈の創立した東京専門学校の校長に就任した。
1888(明治21)年に逓信次官として政府に復帰。1891(明治24)年に退職し、後に貴族院議員を務めた。
配役
岡部雅郎(27) |
あすをつげる鐘(前島密伝)(1961 ・NHK) |
三浦誠己(46) |
青天を衝け(2021・NHK) |
前波新八郎
略伝
朝倉義景に仕える。
1570(元亀元)年6月の織田・徳川連合軍との姉川の戦いでは朝倉勢の第二陣を務めたが、徳川勢と戦って討死した。
配役
前原伊助
生没 1664(寛文4)-1703(元禄16)
生地 武蔵国
実父 前原自久
実母
別称 前原宗房
略伝
播磨赤穂藩士前原自久の長男。
赤穂藩(浅野家)に仕え、金奉行などを務める。
1701(元禄14)年、主君浅野長矩が江戸城内で高家吉良義央に刃傷に及んだ際には江戸にあったが、その後も赤穂には戻らず、単独で仇討ちを考えていたといわれ、吉良邸に程近い日本橋富沢町で古着屋を開業。後に仇討ちの義盟に加わり、移転した吉良邸裏門に近い本所相生町に呉服店を開き、吉良方の探索に努める。
1702(元禄15)年12月の吉良邸への討入り直前に病を得て、それが癒えぬまま、裏門隊に属して奮戦。討入り後は長門長府藩主毛利綱元に預けられ、翌1703(元禄16)年2月、幕府の命により江戸長府藩邸にて切腹した。
なお、仇討ちの顛末を記した『国難始末』を遺している。この文書では吉良を徹底して悪人に描くことで長矩を擁護しており、後に神崎与五郎の『絶纓自解』とともに『赤城盟伝』として編纂され、現在に伝わっている。
配役
中田暁美① |
実録忠臣蔵(1926・映画) |
中田暁美② |
増補改訂忠臣蔵(1927・映画) |
橘 正明 |
忠魂義烈 実録忠臣蔵(1928・映画) |
団 徳麿(29) |
前原伊助(1929・映画) |
刀根 正 |
元禄快挙 大忠臣蔵(1930・日活) |
前田邦彦 |
口笛を吹く武士(1932・映画) |
河津清三郎(24) |
元禄奴太平記(1932・新興) |
岩見柳水 |
新釈清水一角 浪人祭(1933・映画) |
香川良介(37) |
堀田隼人(1933・映画) |
市川百々之助(28) |
忠臣蔵(1934・映画) |
葛木香一(46) |
小平太何処へ行く(1936・松竹) |
若水春郎 |
元禄快挙余譚 土屋主税 雪解の巻(1937・映画) |
原聖四郎①(33) |
安兵衛侠の唄(1937・映画) |
長田仁宏(37) |
赤垣源蔵(1938・日活) |
原聖四郎②(35) |
忠臣蔵(1939・映画) |
前田静男 |
元禄武士道(1940・日活) |
大国一公(41) |
討入前夜(1941・日活) |
青山 宏(31) |
忠臣蔵(1954・映画) |
永田光男(41) |
元禄美少年記(1955・映画) |
上代悠司(51) |
赤穂浪士(1956・東映) |
6坂東簑助(50) |
忠臣蔵の人々(1956・KR) |
伊沢一郎(46) |
忠臣蔵(1958・大映) |
南郷京之助(22) |
忠臣蔵(1959・東映) |
林 成年(33) |
赤穂浪士(1964・NHK) |
西沢利明(31) |
剣(吉良の用心棒)(1967・NTV) |
大塚国夫(35) |
お庭番(元禄十四年・元禄十五年)(1968・NTV) |
唐沢民賢(32) |
あゝ忠臣蔵(1969・KTV) |
蜷川幸雄(35) |
男は度胸(1970・NHK) |
若林 豪(32) |
大忠臣蔵(1971・NET) |
原口 剛(35) |
編笠十兵衛(1974・CX) |
福田豊土(41) |
元禄太平記(1975・NHK) |
森次晃嗣(36) |
赤穂浪士(1979・ANB) |
粟津 號(37) |
峠の群像(1982・NHK) |
本田博太郎(34) |
忠臣蔵(1985・NTV) |
小林稔侍(46) |
忠臣蔵 女たち・愛(1987・TBS) |
新 克利(48) |
忠臣蔵 いのちの刻(1988・TBS) |
松井範雄(38) |
大忠臣蔵(1989・TX) |
大川ひろし(39) |
忠臣蔵(1991・CX) |
田中洋介 |
腕におぼえあり(1992・NHK) |
永妻 晃(47) |
四十七人の刺客(1994・東宝) |
京本政樹(35) |
大忠臣蔵(1994・TBS) |
篠塚 勝(38) |
忠臣蔵(1996・CX) |
加藤正記(41) |
炎の奉行 大岡越前守(1997・TX) |
田畑利治(33) |
編笠十兵衛(1997・TX) |
菅原加織(29) |
赤穂浪士(1999・TX) |
小倉久寛(45) |
元禄繚乱(1999・NHK) |
新井康弘(45) |
忠臣蔵 1/47(2001・CX) |
尾美としのり(38) |
忠臣蔵 決断の時(2003・TX) |
村尾英文(38) |
最後の忠臣蔵(2004・NHK) |
志村東吾(35) |
忠臣蔵(2004・EX) |
高川裕也(45) |
忠臣蔵 瑤泉院の陰謀(2007・TX) |
川鶴晃裕(46) |
忠臣蔵 その男、大石内蔵助(2010・EX) |
関 貴昭(43) |
忠臣蔵 その義 その愛(2012・TX) |
水月駿一郎(46) |
薄桜記(2012・NHK) |
山本浩司(42) |
忠臣蔵の恋 四十八人目の忠臣(2016・NHK) |
鈴木卓爾(52) |
決算!忠臣蔵(2019・松竹) |
前原一誠
生没 1834(天保5)-1876(明治9)
生地 長門国
実父 佐世彦七
実母 末子(鷲津盛任女)
別称 佐世八十郎
略伝
長州藩士佐世彦七の長男。
1857(安政4)年に吉田松陰の松下村塾に入門し、後に長崎に遊学する。尊王攘夷派として活動し、1862(文久2)年には開国派の長井雅楽の暗殺を計画して脱藩。その後、復帰して、右筆、七卿用掛などを務め、1865(慶応元)年の高杉晋作らによる藩内の保守派排斥などに貢献した。
1868(明治元)年からの戊辰戦争では北越に転戦。翌年7月には新政府参議、同年12月には大村益次郎の後任として兵部大輔となるが、政府内での意見の対立などから、1年ほどで辞職して故郷に戻った。
その後、萩で不平士族の中心的存在となり、1876(明治9)年10月に挙兵するもほどなくして鎮圧され(萩の乱)、捕縛されて処刑された。
配役
真壁治次
略伝
宇喜多直家の家臣。
配役
牧
生没 ?-1579(天正7)
生地
実父 武田(若狭)氏?山岸貞秀?
実母
別称 美
略伝
明智光綱の妻。
明智光秀の母。1579(天正7)年、光秀が丹波八上城を攻撃した際、人質として城主波多野秀治のもとに赴くが、磔にされて殺害されたという。
配役
村瀬幸子(55) |
敵は本能寺にあり(1960・松竹) 役名は園枝 |
阿部寿美子(43) |
国盗り物語(1973・NHK) 役名はお国 |
山川弘乃(64) |
おんな太閤記(1981・NHK) 役名は光秀の母 |
野際陽子(60) |
秀吉(1996・NHK) 役名は美 |
石川さゆり(62) |
麒麟がくる(2020・NHK) |
真 喜
生没 ?-1571(元亀2)
生地 三河国
実父 戸田康光
実母
略伝
三河田原城主戸田康光の子。
1545(天文14)年、正室大と離縁した松平広忠の後室としてその本拠三河岡崎城に輿入れしたが、広忠との間に子はなかったという。
1549(天文18)年の広忠没後も引き続き岡崎に暮らした。
配役
堀みどり |
徳川家康(1964・NET) 役名は真喜→花慶院 |
冨士真奈美(32) |
竹千代と母(1970・NTV)
役名は真喜姫→田原御前/竹千代が織田方に奪われた際に自害 |
大城えりか(23) |
徳川家康(1983・NHK) 役名は真喜姫→田原御前 |
真木島昭光
生没 ?-1646(正保3)
生地
実父 一色輝元(輝光)
実母
別称 槙島昭光
略伝
室町幕府の奉公衆一色輝元(輝光)の子。
足利義昭の側近くに仕え、山城槙島城主を務める。1573(天正元)年7月、織田信長との対立が深まった義昭を槙島城に招き入れ、義昭はここで挙兵。しかし、信長の包囲によりほどなくして降伏し、義昭に従って毛利家などに身を寄せた。
義昭が豊臣秀吉より槙島1万石を与えられた後もこれに仕え、義昭の死後は豊臣家に仕えて2000石を与えられる。1614(慶長19)年からの大坂の陣でも豊臣方に属したが、翌年の豊臣家の滅亡後は出家。その後、細川家に仕えて、豊前中津城の留守居役などを務めた。
配役
小久保丈二(48) |
軍師官兵衛(2014・NHK) |
槙村正直
生没 1834(天保5)-1896(明治29)
生地 長門国
実父 羽仁正純
実母 常(福間内蔵之介女)
別称 槇村半九郎
略伝
長州藩士羽仁正純の次男。
長州藩士槙村満久の養子となる。長州藩(毛利家)に仕え、密用方聞次役や祐筆などを務める。
維新後は京都府に出仕し、1871(明治4)年に大参事、1877(明治10)年には知事となって、初期の京都府政を主導。特に教育や産業の振興に尽力。1881(明治14)年に元老院議官に転じ、その後は行政裁判所長官、貴族院議員などを務めた。
配役
森田 肇 |
大村益次郎(1942・新興) |
池田 鴻(38) |
花神(1977・NHK) |
斉藤洋介(30) |
ポーツマスの旗(1981・NHK) |
高嶋政宏(48) |
八重の桜(2013・NHK) |
まごめ
略伝
鷲尾三郎の妹。村上元三『源義経』の創作人物。
配役
瑳峨三智子(31) |
源義経(1966・NHK) |
神保美喜(31) |
源義経(1991・NTV) |
高野志穂(26) |
義経(2005・NHK) |
間崎哲馬
生没 1834(天保5)-1863(文久3)
生地 土佐国
実父 間崎則忠
実母 田尾(田岡?)氏女
略伝
高知の医師間崎則忠の子。
江戸で安積艮斎に学んでその塾頭を務め、土佐への帰国後は高知城下で私塾を開いて坂本龍馬をはじめ多くの門人を育てる。
1861(文久元)年には、武市半平太が結成した土佐勤王党に加盟し、しばしば藩政改革のための提言を行う。しかし、中川宮を通じて急激な藩政改革を推進しようとしたため、土佐藩隠居山内容堂の怒りに触れ、1863(文久2)年6月、切腹させられた。
配役
和 子
生没 1607(慶長12)-1678(延宝6)
生地 武蔵国
別称 東福門院
略伝
徳川秀忠の五女。
1620(元和6)年に入内して後水尾天皇の女御、後に中宮となり、帝との間に2男5女をもうけたが、皇子はいずれも夭折する。
1629(寛永6)年の後水尾帝の退位により院号宣下を受け、以後、東福門院を称した。
配役
昌 子
生没 1834(天保5)-1885(明治18)
生地
実父 松平信豪
実母 采(酒井忠実女)
別称 貞鏡院
略伝
丹波亀山藩主松平信豪の次女。
1846(弘化3)年にこの年近江彦根藩世子となった井伊直弼に嫁ぐが、直弼との間には子はなかった。
配役
環 歌子(23) |
桜田快挙録(1924・マキノ) |
小松みどり(33) |
建国史 尊王攘夷(1927・映画) |
山下澄子(33) |
井伊大老勤王党殺戮史 安政大獄(1932・富国) |
大塚田鶴子①(22) |
井伊大老斬奸第一声 安政大獄篇(1934・右太プロ) 役名は井伊大老奥方 |
大塚田鶴子②(22) |
井伊大老斬奸第一声 稲田重蔵篇(1934・右太プロ) 役名は井伊大老奥方 |
琴 糸路(25) |
水戸浪士(1936・大都) |
北見礼子(38) |
花の生涯(1953・映画) |
真山くみ子(40) |
勤王?佐幕?女人曼陀羅(1956・新東宝) 役名は井伊直弼の奥方 |
高峰三枝子(43) |
桜田門(1961・大映) |
八千草薫(32) |
花の生涯(1963・NHK) |
柳川慶子(27) |
怒涛日本史(井伊大老)(1966・MBS) |
三宅邦子(52) |
大奥(1968・KTV) 役名はお浦の方 |
武原英子(28) |
花の生涯(1974・NTV) |
久仁亮子(37) |
花の生涯(1988・TX) |
吉沢梨絵(39) |
花燃ゆ(2015・NHK) |
理子女王
生没 1691(元禄4)-1710(宝永7)
生地 山城国
実父 貞致親王
別称 真宮
略伝
貞致親王(伏見宮)の子。
徳川家綱の正室顕子、徳川光貞の正室天真院の姪。1706(宝永3)年、紀州藩主だった徳川吉宗に正室として輿入れする。
1709(宝永6)年に懐妊するが、翌年5月に死産となり、その後ほどなくして没した。
配役
吉行和子(33) |
大奥(1968・KTV) |
樫山文枝(29) |
男は度胸(1970・NHK) |
山崎直子(23) |
八代将軍吉宗(1995・NHK) |
木内晶子(27) |
徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008・TX) |
増子金八
生没 1823(文政6)-1881(明治14)
生地 常陸国?
実父 増子甚八(甚八郎?)
実母 宇佐美久秀妹
別称 増子誠
略伝
水戸藩士増子甚八(甚八郎とも)の次男。
水戸徳川家に仕えるが、1846(弘化3)年に浪人となる。
後に幕府大老井伊直弼の暗殺計画に加わり、1860(万延元)年3月3日、江戸城桜田門外に井伊を襲撃し、その殺害に加担。その後、常陸で潜伏した。
配役
清家三彦(31) |
花の生涯(1988・TX) |
福井 晋(47) |
桜田門外ノ変(2010・東映) |
間島彦太郎
略伝
赤松家に仕える。
1441(嘉吉元)年の嘉吉の乱で主家が没落すると、その再興に奔走。1457(長禄元)年、先年日野有光らにより奪われた神璽を他の旧臣とともに奪回し、念願の主家再興を果たす。
その後は幼い主君赤松政則を支え、赤松家の勢力拡大に奔走したが、1467(応仁元)年、応仁の乱での戦闘で討死したという。
配役
増山正利
生没 1623(元和9)-1662(寛文2)
生地 下野国
実父 青木利長?朝倉惣兵衛(一色庄右衛門)?
別称 弁之助
略伝
徳川家光の側室楽の弟。
1643(寛永20)年、楽の縁から将軍徳川家光に仕える。
1647(正保4)年に1万石を与えられて大名に列し、1659(万治2)年には1万石の加増で三河西尾に転じた。
配役
辻村重樹 |
徳川の女たち(華麗春日局)(1980・CX) |
美木良介(28)
柴田一幸(11) |
花のこころ(1985・TBS) |
加藤純平(29) |
春日局(1989・NHK) |
マシュー・ペリー
生没 1794(寛政6)-1858(安政5)
生地 アメリカ合衆国
実父 Christopher Raymond Perry
実母 Sarah Wallace Alexander
略伝
1809(文化6)年にアメリカ海軍に入り、1812(文化9)年からの米英戦争などに従軍。その後、アメリカ海軍の要職を歴任し、1852(嘉永5)年に東インド艦隊司令長官に就任する。
翌年6月、アメリカ大統領フィルモアの国書を携行して軍艦(黒船)4隻を率いて相模浦賀に来航。翌年1月に再来日した際には、軍艦で江戸湾内にまで進入して開国を要求、日米和親条約の締結に漕ぎ着け、日本を200年に及ぶ鎖国から開国へと転ぜしめた。
配役
レスター・ラテイル |
天皇の世紀(1971・ABC) |
フレッド・ボサート |
花神(1977・NHK) |
ディック・バターワース |
花の生涯(1988・TX) |
ガーフィールド・チャールズ |
炎の如く 吉田松陰(1991・KRY=山口放送) |
ジェームズ・R・バワーズ |
徳川慶喜(1998・NHK) |
ダン・ケニー(64) |
蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦(2000・NHK) |
ニーノA |
篤姫(2008・NHK) |
ティモシー・ハリス(64) |
龍馬伝(2010・NHK) |
リチャード・アレン |
テンペスト(2011・NHK) |
スティーブン・アシュトン |
八重の桜(2013・NHK) |
JOY(33) |
坂本龍馬(2018・時代劇専門チャンネル) |
モーリー・ロバートソン(58) |
青天を衝け(2021・NHK) |
培子女王
生没 1711(正徳元)-1733(享保18)
生地 山城国
実父 邦永親王
実母 藤江(近藤氏女)
別称 比宮
略伝
邦永親王(伏見宮)の子。
徳川吉宗の正室理子の姪。1731(享保16)年、徳川家重の正室として江戸城西の丸に輿入れしたが、1733(享保18)年の出産後(死産)ほどなくして没した。
配役
益永繁斎
略伝
土佐藩に茶道方として務める。
1861(文久元)年3月、知人の祝宴の帰途、同道していた上士山田広衛が下士中平忠次郎を斬殺。これを知って駆け付けた中平の兄池田寅之進に山田とともに殺害された。
配役
青山 宏(47) |
幕末(1970・東宝) 役名は弁斎 |
不知火艶 |
竜馬がゆく(1982・TX) 役名は弁斉 |
蜂須賀智隆 |
龍馬伝(2010・NHK) |
益満休之助
生没 1841(天保12)-1868(明治元)
生地 薩摩国
実父 益満行充
実母
略伝
薩摩藩士益満行充の次男。
西郷吉之助の命を受け、1867(慶応3)年の大政奉還の前後から江戸で騒擾を繰り返し、これが同年末の幕府方による江戸薩摩藩邸の焼討ちにつながる。その後、幕府方に捕縛されて勝海舟に預けられたが、江戸城総攻撃を前に、西郷と山岡鉄舟の会談を実現させ、江戸城の無血開城に貢献する。
同年5月、江戸上野での旧幕府方(彰義隊)との戦いで討死した。
配役
草間 実(28) |
江戸城総攻め(1930・帝キネ) |
高光正二郎 |
清川八郎(1930・河合) |
東条 猛(34) |
かげらう噺(1930・マキノ) |
羅門光三郎①(30) |
南国太平記 第一・第二篇(1931・東亜) |
羅門光三郎②(30) |
南国太平記 双竜篇(1931・東亜) |
羅門光三郎③(30) |
南国太平記 爆発篇(1931・東亜) |
河津清三郎(24) |
益満休之助(1932・映画) |
堀川浪之助(45) |
大江戸闇の炎(新門辰五郎 血染の纏)(1933・阪妻プロ) |
阪東妻三郎(32) |
鉄血団快挙録 暁の日本(1933・阪妻プロ) |
阪東要二郎 |
かげろう噺(1934・映画) |
羅門光三郎④(34) |
益満休之助 比叡の巻(1935・映画) |
羅門光三郎⑤(34) |
益満休之助 江戸の巻(1935・映画) |
志村 喬(31)
杉山昌三九(30) |
快傑黒頭巾(1936・新興) |
大幡一平 |
忍術 戸隠八剣士(1937・映画) |
大河内伝次郎(39) |
南国太平記(1937・映画) |
斯波快輔 |
怪童三銃士(1938・全勝) |
仏光寺袈裟麿 |
怪傑虎 前篇 虎狼八荒の巻(1938・極東) |
綾小路絃三郎(27) |
鞍馬八萬騎(1938・極東) |
根岸東一郎①(40) |
鞍馬天狗 復讐篇(1939・日活) |
根岸東一郎②(40) |
鞍馬天狗 恐怖篇(1939・日活) |
羅門光三郎⑥(38) |
西郷と益満(1939・映画) |
大国一公(39) |
鍔鳴浪人(1939・映画) |
志村 喬(35) |
鞍馬天狗捕はる(1940・日活) |
市川寿三郎(35) |
勤王恩讐峠(1940・帝キネ) |
4沢村国太郎①(36) |
英雄峠(1941・日活) |
上田吉二郎(37) |
江戸最後の日(1941・日活) |
仁礼功太郎(40) |
鞍馬天狗 薩摩の密使(1941・日活) |
立松 晃(41) |
快傑まぼろし頭巾(1954・東映) |
片岡千恵蔵①(51) |
南国太平記 前篇(1954・映画) |
片岡千恵蔵②(51) |
続南国太平記 薩南の嵐(1954・東映) |
加賀邦男①(42) |
快傑黒頭巾 マグナの瞳(1955・映画) |
田崎 潤(42) |
恋天狗(1955・映画) |
加賀邦男②(42) |
御存じ快傑黒頭巾 危機一髪(1955・映画) |
4沢村国太郎②(50) |
六人の暗殺者(1955・日活) |
佐々木孝丸(58) |
鞍馬天狗 御用盗異変(1956・映画) |
加賀邦男③(43) |
御存じ快傑黒頭巾 神出鬼没(1956・映画) |
近衛十四郎(40) |
女難屋敷(1956・映画) |
加賀邦男④(43) |
鍔鳴浪人(1956・映画) |
阿部九州男(47) |
鞍馬天狗 御用盗異聞(1957・映画) |
龍崎一郎(45) |
美男剣競録(1957・映画) |
青木義朗(29) |
快傑黒頭巾(1958・NTV) |
加賀邦男⑤(45) |
快傑黒頭巾(1958・東映) |
名和 宏(26) |
大東京誕生 大江戸の鐘(1958・松竹) |
加賀邦男⑥(46) |
快傑黒頭巾 爆発篇(1959・東映) |
黒川弥太郎①(50) |
南国太平記 比叡の血煙り(1960・映画) |
黒川弥太郎②(50) |
南国太平記 薩摩の狼煙(1960・東映) |
中村錦司(40) |
月形半平太(1961・東映) |
那須伸太朗(42) |
鞍馬八天狗(1961・東映) |
江田島隆 |
明治天皇(第1部)(1966・YTV) |
室田日出男(30) |
三姉妹(1967・NHK) |
近藤洋介(36) |
鞍馬天狗(1969・NHK) |
浜畑賢吉(32) |
勝海舟(1974・NHK) |
扇田喜久一 |
必殺からくり人 血風編(1976・ABC) |
西田敏行(32)
中村秀和(20) |
風の隼人(1979・NHK) |
山田吾一(46) |
江戸の激斗(1979・CX) |
佐藤 允(45) |
半七捕物帳(1979・ANB) |
赤羽 明 |
快傑黒頭巾(1981・CX) |
唐 十郎(46) |
ジャズ大名(1986・松竹) |
田中弘史(52) |
田原坂(1987・NTV) |
平泉 成(44) |
五稜郭(1988・NTV) |
石倉英彦(43) |
鞍馬天狗(1990・TX) |
船越栄一郎(30) |
勝海舟(1990・NTV) |
桝屋清右衛門
略伝
備後鞆の商人。
土佐藩と取引があったといわれ、1867(慶応3)年4月、鞆の浦沖で、紀州藩軍艦軍艦明光丸と、坂本龍馬らが乗船した軍艦いろは丸とが衝突する事故が発生した際には、自邸を龍馬らの宿に提供した。
配役
町 子
生没 ?-1724(享保9)
生地 山城国
実父 正親町実豊
実母 田中賀純女
略伝
権大納言などを務めた正親町実豊の子。
京都より江戸に下向した右衛門佐を通じて江戸城大奥に出仕し、将軍徳川綱吉の正室信子に部屋子として仕える。
後に信子の斡旋によって柳沢吉保の側室となり、経隆、時睦をもうけ、後に2人とも大名に取り立てられる。才媛として知られ、源氏物語になぞらえて吉保の栄華を描いた「松蔭日記(東源氏)」を著した。
なお、正式な幕府の系図類では、正親町家の娘ではなく旗本田中之政養女の名目で記録されており、側室の子のためか正親町家の正式な系図にもその名がない。
配役
松
略伝
毛利弘元の子。
毛利元就の異母妹。吉川元経に嫁いだ。
配役
梓真悠子(21)
安積玲奈(8) |
毛利元就(1997・NHK) |
ま つ
生没 1547(天文16)-1617(元和3)
生地 尾張国
別称 芳春院
略伝
篠原主計の子。
1550(天文19)年、父主計の没後、母が尾張守護斯波家の家臣高畠直吉に再嫁する際、前田利家の父利昌に引き取られる。
1558(永禄元)年ごろ利家に嫁ぎ、利家との間に利長をはじめ11人の子女に恵まれ、その出世を支える。また、利家の朋輩であった豊臣秀吉の正室ねね(高台院)とは特に親密な関係であったという。
1599(慶長4)年の利家の没後は落飾して芳春院を称し、翌年には徳川家康より謀叛の疑いをかけられた利長の人質として、前田家の本拠金沢から江戸へ移り、1614(慶長19)年の利長の没後にようやく金沢へ戻った。
配役
松
生没 1561(永禄4)-1616(元和2)
生地 甲斐国
別称 信松尼
略伝
武田信玄の六女。
1567(永禄10)年、武田家・織田家の関係強化のため、織田信忠と婚約。しかし、その後の信玄が西上を企図して織田家と断絶すると、破談となる。
1573(天正元)年の信玄没後は実兄の信濃高遠城主仁科盛信のもとに身を寄せ、1582(天正10)年、高遠城が織田勢の攻勢にさらされると、高遠を離れる。武田家の滅亡後は、武田家の旧臣大久保長安の庇護を受け、武蔵八王子に暮らした。
配役
鈴木保奈美(20)
佐藤由紀絵(11) |
おんな風林火山(1986・TBS) |
香川沙美(9)
上田愛美(6) |
武田信玄(1988・NHK) |
原知佐子(53) |
春日局(1989・NHK) |
村上聡美(27) |
織田信長(1994・TX) 武田家滅亡に殉じる |
剛力彩芽(21) |
清須会議(2013・東宝) 信忠の妻で三法師の母 |
松
生没 1565(永禄8)-1588(天正16)
生地 尾張国
略伝
久松俊勝の三女。
徳川家康の異父妹。松平康長に嫁いだ。
配役
松
生没 1585(天正13)-1605(慶長10)
生地
略伝
直江兼続の長女。
1604(慶長9)年に本多政重を婿に迎えたが、翌年に没した。
配役
逢沢りな(18)
堤 望綺(9)
松本春姫(6)
遠藤璃菜(4) |
天地人(2009・NHK) |
松
生没 1699(元禄12)-1720(享保5)
生地
実母
別称 利清院(上村氏女)
略伝
徳川綱誠の十七女。
父綱誠の死から半年後に誕生する。1708(宝永5)年、将軍徳川綱吉の養女となって江戸城に入り、同年、加賀藩世子だった前田吉徳に嫁いだ。
配役
峰 由樹(11) |
八代将軍吉宗(1995・NHK) |
佐藤江梨子(22) |
水戸黄門(第32部)(2003・TBS) |
松内則三
生没 1890(明治23)-1972(昭和47)
生地 東京府
実父 松内則定
実母
略伝
東京地裁判事などを務めた松内則定の三男。
慶応大卒業後、日本電灯に勤めるが、1925(大正14)年にNHKに入り、アナウンサーとして活躍。特に野球中継、相撲中継の実況で知られた。
1946(昭和21)年にNHKを退職し、その後は後進の育成などに当たった。
配役
松浦安左衛門
略伝
江戸北町奉行井戸対馬守配下の与力。
幕府に捕縛された佐久間象山の取調べを担当し、その記録を残した。
配役
松尾相永
生没 1828(文政11)-1877(明治10)
生地 山城国
実父 松尾相村
実母
略伝
京都松尾大社の神主松尾相村の子。
洛北岩倉に隠棲中の岩倉具視に情報を提供するなど討幕派として活動し、1868(明治元)年からの戊辰戦争にも新政府軍に属して出陣。維新後は新政府に出仕し、参与などを務めた。
配役
松木新左衛門
略伝
駿府ではじめ今川氏真、後に徳川家康の庇護を受け、長崎の生糸貿易なども取り扱って大きな利益を得る。
1616(元和2)年の家康の死後に各種の特権は廃止されたが、子孫も代々新左衛門を称して駿府の豪商としてその名を知られた。
配役
マックス・フォン・ブラント
生没 1835(天保6)-1920(大正11)
生地 プロイセン王国
実父 ハインリッヒ・ブラント
実母
略伝
はじめプロイセン陸軍に入り、後に外交官に転身する。
1860(万延元)年、日普修好通商条約締結のために来日したプロイセン使節オイレンブルクの随行員として初来日。1862(文久2)年に駐日領事となって再来日し、1867(慶応3)年に代理公使、翌年には北ドイツ連邦総領事に任ぜられる。その後、一時帰国するが、1872(明治5)年にはドイツ帝国の建国に伴い駐日公使となって三たび来日し、1878(明治11)年まで在任した。
その後、駐清公使に転じ、清国総理衙門外交顧問などを務め、1896(明治28)年にドイツに帰国した。
配役
フランツ・スターク |
徳川慶喜(1998・NHK) 役名はプロシア公使 |
松坂局
生没 1598(慶長3)-1688(元禄元)
生地
実父 畠山義継(右京)?
実母
別称 おちょぼ
略伝
江戸から大坂城に輿入れした千に仕え、1615(元和元)年の大坂城落城、豊臣家滅亡後も千に近侍する。
後に将軍徳川家光の次男綱重の乳母となり、その養育に当たった。
配役
歌川絹枝(24) |
吉田御殿(1937・新興) |
井上久栄(22) |
大坂夏の陣(1937・松竹) |
峰 幸子(19) |
千姫(1954・大映) |
南 悠子(45) |
千姫(1966・MBS) |
服部妙子(22) |
春の坂道(1971・NHK) |
岡島艶子(63) |
忍法かげろう斬り(1972・KTV) |
双葉弘子 |
運命峠(1974・KTV) |
野際陽子(42) |
柳生一族の陰謀(1978・KTV) |
星野美恵子(45) |
大奥(1983・KTV) |
高崎晃子①(25) |
徳川家康(1983・NHK) |
高崎晃子②(31) |
春日局(1989・NHK) |
佐野アツ子(42) |
将軍家光忍び旅(1990・ANB) |
佐藤さつき |
徳川無頼帳(1992・TX) |
一柳みる(43) |
姫将軍大あばれ(1995・TX) |
松永香織(24) |
葵 徳川三代(2000・NHK) |
松波基宗
略伝
斎藤道三の父ともいわれるが、定かではない。
配役
松野重元
生没 ?-1655(明暦元)
生地
実父 松野平八
実母
別称 松野主馬
略伝
豊臣家家臣松野平八の子。
はじめ豊臣秀吉に仕えていたが、後に小早川秀秋に付属させられる。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは、秀秋に属して出陣したが、合戦中の秀秋の寝返りに反発して戦場を離脱した。
戦後は田中吉政や徳川忠長に仕えたが、いずれも主家が改易されたために浪人し、各地を流浪した。
配役
中田譲治(35) |
春日局(1989・NHK) |
草見潤平(44) |
葵 徳川三代(2000・NHK) |
マテオ・ポーロ
生没 1230(寛喜2)?-1309(延慶2)?
生地
実父 アンドレア・ポーロ
実母
別称 マッフェオ(Maffeo)
略伝
マルコ・ポーロの叔父。
兄ニコロ・ポーロと東方貿易に従事した。
配役
トニー・ボーゲル |
マルコ・ポーロ シルクロードの冒険(1982・TBS) |
克 来刻 |
北条時宗(2001・NHK) |
真野頼包
生没
生地
実父 大橋長将?真野助宗?
実母 真野蔵人、真野豊後守
略伝
豊臣秀吉の旗本衆七手組に属する。
1614(慶長19)年からの大坂の陣では豊臣方の主力として活躍し、翌年の豊臣家滅亡後は、藤堂高虎に仕えたともいう。
配役
真 理
生没 1550(天文19)-1647(正保4)
生地
別称
略伝
武田信玄の三女。
1555(天文23)年、父晴信(信玄)が木曽を平定すると、木曽の当主義康の嫡男義昌に嫁ぎ、義昌との間に義利らをもうける。
1582(天正10)年、甲斐侵攻を企てる織田信長に義昌が内応すると、兄勝頼にこれを密告し、義昌と離別して木曽に隠棲した。
配役
比企理恵(21)
小川範子(13) |
おんな風林火山(1986・TBS) |
山内亜美(7)
北村燦來(5) |
風林火山(2007・NHK) |
マリア
略伝
小西行長の子。
父行長の影響で洗礼を受ける。宗義智に嫁ぎ、義智もキリシタンとなるが、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い後に義智が棄教。自らも棄教を迫られて家を追われ、長崎で生涯を終えたという。
配役
丸岡朴庵
略伝
大仏次郎『赤穂浪士』に登場する犬医者(創作人物)。
配役
村田宏寿(30) |
赤穂浪士 第一篇 堀田隼人の巻(1929・日活) |
林誠之助 |
堀田隼人(1933・映画) |
三島雅夫(50) |
赤穂浪士(1956・東映) |
伴淳三郎(56) |
赤穂浪士(1964・NHK) |
山城新伍(41) |
赤穂浪士(1979・ANB) |
鶴田 忍(53) |
赤穂浪士(1999・TX) |
マルコ・ポーロ
生没 1254(建長7)-1324(正中元)
生地 ヴェネツィア共和国
実母
略伝
父ニコロはその弟マテオとともに東方貿易に従事していた貿易商で、1271(文永8)年、父らとともに元(モンゴル)へ向け出発し、1275(建治元)年に首都大都に至って皇帝フビライと謁見し、以後、元に仕える。
1295(永仁2)年、ヴェネツィアへ帰国。その後、ヴェネツィアとジェノヴァの戦争に出征し、ジェノヴァに捕縛される。その獄中で作家ルスティケロに語った思い出話が『東方見聞録(世界の記述)』の素材となり、ルスティケロが1299(正安元)年ごろに完成させ、当時のヨーロッパ人の東洋への関心を掻き立てたという。
1299(正安元)年に釈放され、没するまでヴェネツィアに過ごした。
配役
月岡一樹 |
国難(1920・映画) |
吉岡 厳 |
恋のマルコ・ポーロ(1959・NHK) |
ケン・マーシャル(32)
アレクザンダー・ピッコロ |
マルコ・ポーロ シルクロードの冒険(1982・TBS) |
ダリオ・ポニッシィ(42) |
北条時宗(2001・NHK) |
マルタ・ゲネンゲル
生没 1911(明治44)-1995(平成7)
生地
実父
実母
別称 マルタ・エングフェルト
略伝
1936(昭和11)年、ベルリン五輪にドイツ代表として出場し、200m平泳ぎで銀メダルを獲得した(金メダルは前畑秀子)。
配役
丸山蔵人
生没 1876(明治9)-1899(明治32)
生地 長野県
実父
実母
略伝
川上音二郎一座で立女形を務める。
1899(明治32)年、音二郎らとともにアメリカに渡って各地で公演したが、ボストンで病死した。
配役
万
生没 1548(天文17)-1619(元和5)
生地 三河国
実父 永見吉英
別称 長勝院
略伝
三河の国人永見吉英の子。
はじめ徳川家康の正室瀬名に仕えていたが、後に家康の目に留まってその側室となる。(結城)秀康を懐妊した際には瀬名に激しい折檻を受けて放逐されたといわれ、浜松城下の村で秀康を出産した。実はこのときの出産したのは双子で、一人は実家の永見家を継承した貞愛であるという。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの後は、越前北ノ庄城主となった秀康に従って北ノ庄へ移り、1607(慶長12)年の秀康没後は落飾して長勝院を称した。
配役
万
生没 1573(天正元)-1595(文禄4)
生地
実母
略伝
多羅尾光俊の子。
近江八幡山城主時代の羽柴(豊臣)秀次に召し出されてその側室となるが、1595(文禄4)年の秀次自害に連座して処刑された。
配役
北見礼子(38) |
魔剣(1953・大映) |
上月 晃(29) |
春の坂道(1971・NHK) |
弥生みつき(24) |
独眼竜政宗(1987・NHK) |
万
生没 1577(天正5)-1653(承応2)
生地 上総国
実父 正木頼忠
実母 北条氏堯女
別称 養珠院
略伝
安房里見家の家臣正木頼忠の子。
母が父頼忠と離別した後、北条家の家臣蔭山氏広に再嫁したためその養女となる。
その後、関東に入った徳川家康の目に留まってその側室となって家康との間に頼宣・頼房をもうけ、1616(元和2)年の家康の没後は落飾して養珠院を称した。
配役
ま ん
略伝
稲葉正成の子。
堀田正吉の妻。母が早くに亡くなったため、父正成の後室お福(春日局)に養育されたものと思われる。
配役
麻生真宮子(24)
広瀬珠実(13)
中野美穂(7) |
春日局(1989・NHK) |
ま ん
略伝
真田信之の子。高力忠房の妻。
配役
万
生没 1624(寛永元)-1711(正徳元)
生地
実父 六条有純
実母
別称 永光院、慶光院
略伝
参議などを務めた六条有純の子。
伊勢山田の尼寺慶光院の住持を務めていたが、江戸城に上って将軍徳川家光に謁見した際に家光に見初められ、後に還俗してその側室となる。
家光との間に子はなく、1651(慶安4)年の家光没後は落飾して永光院を称した。
配役
万
生没 1614(慶長19)-1683(天和3)
生地
実父 蜂須賀至鎮
実母 敬台院(小笠原秀政女)
別称 正徳院
略伝
徳島藩主蜂須賀至鎮の次女。
蜂須賀家政の孫。三保の妹。幕府旗本水野成貞に嫁ぎ、十郎左衛門らをもうける。
1664(寛文4)年に十郎左衛門が改易されると、実家の蜂須賀家に預けられた。
配役
万見仙千代
生没 ?-1578(天正6)
生地
実父 神子田長門守
実母
別称 万見重元
略伝
神子田長門守の子。
織田信長に仕えてその小姓を務める。
1578(天正6)年12月、荒木村重が立て籠る摂津有岡城攻撃で討死した。
配役
田中幸太朗(32) |
軍師官兵衛(2014・NHK) |