金井国之丞
生没 1847(弘化4)-1865(慶応元)
生地 武蔵国
実父 金井市左衛門
実母
略伝
- 名主金井市左衛門の子。
- 儒学者桃井可堂に学び、尊王攘夷思想に傾倒する。
- 1864(元治元)年、水戸藩の尊攘派(天狗党)が筑波山で挙兵するとこれに加わる。その後、武田耕雲斎らに従って京都へ向かうが、越前で加賀藩に降伏。翌1865(慶応元)年2月、越前敦賀で処刑された。
配役
金泉丑太郎
生没 1857(安政4)-?
生地 摂津国
実父 天満屋五兵衛
実母
略伝
- 酒屋を営む天満屋五兵衛の子。
- 大阪で素人芝居の一座を率いていたが、1891(明治24)年、堺での川上音二郎一座の旗揚げに加わる。
- 1894(明治27)年に川上一座と袂を分かち、静間小次郎らとともに新たに三友会を結成し、京都を中心に興行を行った。
配役
金上盛備
生没 1527(大永7)-1589(天正17)
生地 越後国
実父 金上盛信
実母 沼沢正家女?
略伝
- 芦名家家臣金上盛信の子。
- 芦名家中最大の知行を有し、越後津川城主として上杉領との国境を守備。1578(天正6)年、上杉謙信没後の家督争い(御館の乱)に乗じ、越後安田城を攻略する。
- 1584(天正12)年、主君芦名盛隆の横死を受け、その遺児亀王丸を擁立し、伊達政宗の弟小次郎を推す一派と対立する。1586(天正14)年の亀王丸夭折後は、佐竹家より義広を迎えて当主とするが、譜代の芦名家家臣と旧佐竹家家臣の対立が激化し、家中のさらなる分裂を招いた。
- 1589(天正17)年6月、伊達勢との摺上原の戦いで討死した。
配役
金窪兵衛
略伝
- 武蔵金窪の武士で、北条義時に仕える。
- 1213(建暦3)年の和田合戦の後、義時が幕府侍所別当に就任すると、その次官にあたる所司に抜擢された。
配役
| 2市川小太夫(53) |
修禅寺物語(1955・松竹) |
金津新兵衛
略伝
- 長尾為景に仕え、虎千代(上杉謙信)が1530(享禄3)年に誕生すると、妻がその乳母を務めた縁から、虎千代の養育に関わり、その元服後も景虎(謙信)に仕えたという。
配役
| 高松英郎(40) |
天と地と(1969・NHK) |
| 小西博之(31) |
天と地と 黎明編(1990・NTV) |
| 六平直政(54) |
天と地と(2008・EX) |
神余親綱
生没 1526(大永6)?-1580(天正8)
生地 越後国?
実父 神余実綱
実母
略伝
- 長尾家家臣神余実綱の子。
- 長尾景虎(上杉謙信)に仕え、京都に駐在して朝廷や幕府との連絡役を務める。1553(天文22)年には、上洛した景虎の後奈良天皇への拝謁を成功させた。
- 1577(天正5)年、越後三条城主となる。1578(天正6)年の謙信没後に生じた上杉景勝と景虎との家督争い(御館の欄)では景虎方に属し、翌1579(天正7)年の景虎の横死後も三条城に立て籠って景勝に抗戦するが、1580(天正8)年7月、三条城内で景勝方への内応者により討たれた。
配役
鐘捲自斎
略伝
- 富田勢源とその弟景政に剣術を学んだとされ、のち自ら鐘捲流を開いた。
配役
| 瀬川路三郎①(33) |
剣難女難 前篇(1927・映画) |
| 瀬川路三郎②(33) |
剣難女難 後篇(1927・映画) |
| 阿部九州男①(41) |
剣難女難 女心伝心の巻(1951・映画) |
| 阿部九州男②(41) |
剣難女難 剣光流星の巻(1951・映画) |
| 近衛十四郎(47) |
狐雁一刀流(1963・東映) |
| 2市川小太夫(67) |
新・日本剣客伝(伊藤一刀斎)(1969・NET) |
| 山田良樹 |
宮本武蔵(1990・TX) |
| 津嘉山正種(59) |
武蔵 MUSASHI(2003・NHK) |
兼松又四郎
生没 1605(慶長10)-1674(延宝2)
生地
実父 兼松正成
実母 桑原伝右衛門女
別称 兼松正尾
略伝
- 徳川家家臣兼松正成の子。
- 1616(元和2)年、父正成が尾張藩付となって尾張へ移ったが、自らは江戸に留め置かれる。
- のちに幕府に出仕して徒頭や先手弓頭などを務め、1650(慶安3)年からは西の丸詰となる。その一方で、旗本奴白柄組の一人として知られたという。
配役
鹿野峰吉
生没 1851(嘉永4)-1918(大正7)
生地 山城国
実父 鹿野音吉
実母
別称 菊屋峰吉
略伝
- 京都の書店菊屋の主人鹿野音吉の長男。
- 中岡慎太郎が菊屋に身を寄せるようになってから中岡や坂本龍馬と交流を重ね、龍馬の依頼で団子売りに変装して新選組屯所の偵察にあたったという。
- 1867(慶応3)年11月、龍馬と中岡が京都近江屋で暗殺された際には、中岡の使いで薩摩屋に赴いたのち近江屋に戻り、さらに龍馬から軍鶏を買いに行くよう頼まれたため難を免れ、近江屋に戻ったところで事件を知り、陸援隊屯所に第一報を知らせた。
- 1877(明治10)年の西南戦争では、会計軍夫として従軍した。
配役