かじゅうじ・つねあき
【生没】1298(永仁6)−1373(応安6・文中2)
【生地】山城国
【実父】坊城定資
【実母】四辻隆氏女
【略伝】
朝廷に出仕して光厳天皇の信任を得、参議や権中納言などを務める。
1370(応安3・建徳元)年には内大臣に任ぜられ、翌年までこれを務めた。
【配役】
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草薙幸二郎(62) |
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太平記(1991・NHK) |
かじゅうじ・のりひで
【生没】1426(応永33)−1496(明応5)
【生地】山城国
【実父】勧修寺経興(経成)
【実母】飛鳥井雅永女
【略伝】
朝廷に出仕し、参議や権大納言などを務める。
1496(明応5)年には准大臣に任ぜられたが、この年7月に没した。
【配役】
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水野強彦(28) |
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花の乱(1994・NHK) |
かじゅうじ・はるこ
【生没】1553(天文22)−1620(元和6)
【生地】
【実父】勧修寺晴右
【実母】元子(粟屋氏女)
【別称】新上東門院
【略伝】
後陽成天皇の母。
1567(永禄10)年より誠仁親王に仕え、親王との間に和仁親王(後陽成帝)をもうける。
1586(天正14)年に和仁親王が即位すると准三后となり、1600(慶長5)年には院号宣下あって、以後、新上東門院を称した。
【配役】
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栗山千明(32) |
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信長燃ゆ(2016・TX) |
かじゅうじ・はれとよ
【生没】1544(天文13)−1602(慶長7)
【生地】山城国
【実父】勧修寺晴右(晴秀)
【実母】元子(粟屋氏女)
【略伝】
朝廷に出仕し、参議などを経て、1577(天正5)年より武家伝奏を務める。その在職中には織田信長や豊臣秀吉といった天下人とのさかんな交流があり、その日記である「晴豊公記」は当時の世情を知る上で貴重な史料として広く知られている。
1601(慶長6)年には准大臣に任ぜられた。
【配役】
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堀内正美(42) |
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信長(1992・NHK) |
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渡部豪太(30) |
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信長燃ゆ(2016・TX) |
かじゅうじ・みつとよ
【生没】1575(天正3)−1612(慶長17)
【生地】山城国
【実父】勧修寺晴豊
【実母】土御門有脩女
【略伝】
朝廷に出仕し、右大弁や参議などを経て、1603(慶長8)年より武家伝奏を務め、同年には徳川家康の将軍宣下の勅使として伏見城に派遣された。
1612(慶長17)年10月25日には権大納言に任ぜられたが、翌日に没した。
【配役】