いちじょう・あきよし
【生没】1605(慶長10)−1672(寛文12)
【生地】山城国
【家系】皇室
【実父】後陽成天皇
【実母】中和門院
【別称】一条兼遐
【略伝】
後陽成天皇の第九皇子。
一条内基の養子となる。朝廷に出仕して位階累進を重ね、1629(寛永6)年には関白、次いで摂政となり、1635(寛永12)年まで務める。1647(正保4)年に再び摂政、ほどなくして関白に転じ、1651(慶安4)年までこれを務めた。
【配役】
いちじょう・かねら
【生没】1402(応永9)−1481(文明13)
【生地】山城国
【家系】九条氏
【実父】一条経嗣
【実母】東坊城秀長女
【略伝】
朝廷に出仕して内大臣や摂政などを務め、1446(文33)年には太政大臣に就任。翌1447(文安4)年には関白を兼ねる。1450(宝徳2)年に太政大臣の職を辞したが、1467(応仁元)年に関白に還任。同年からの応仁の乱では各地に疎開し、乱が収まるまで京都へ戻らなかった。
なお、当時一流の文化人・教養人として名高く、『花鳥余情』や『日本書紀纂疏』などを著し、その死に際しては「五百年来この才学無し」と惜しまれた。
【配役】
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内藤武敏(68) |
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花の乱(1994・NHK) |
いちじょう・さねつね
【生没】1223(貞応2)−1284(弘安7)
【生地】山城国
【家系】九条氏
【実父】九条道家
【実母】綸子(西園寺公経女)
【略伝】
一条家の祖。
朝廷に出仕し、右大臣や左大臣などを経て1246(寛元4)年に関白に就任したが、その翌日に後嵯峨天皇が退位したため、後深草天皇の摂政に転じる。翌年、鎌倉に将軍として下向していた兄頼経が幕府により京都へ戻されると、これに連座して摂政を罷免される。
1265(文永2)年に関白に再任されたが、1267(文永4)年に辞した。
【配役】
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井上 順(54) |
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北条時宗(2001・NHK) |
いちじょう・たかよし
【生没】1176(安元2)−1198(建久9)
【生地】山城国?
【家系】藤原北家(頼宗流)
【実父】一条能保
【実母】坊門姫(源義朝女)
【略伝】
一条能保の長男。
朝廷に出仕して右兵衛督や蔵人頭などを務め、1196(建久7)には参議に任ぜられる。源頼朝の甥という縁から順調な出世を続け、翌年には従三位に進むが、翌1198(建久9)年に没した。
なお、頼朝の娘でいとこに当たる大姫との縁談が一時持ち上がったが、破談となっている。
【配役】
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三沢慎吾(29) |
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草燃える(1979・NHK) |
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木戸邑弥(30) |
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鎌倉殿の13人(2022・NHK) |
いちじょう・ただより
【生没】?−1184(元暦元)
【生地】甲斐国?
【家系】武田氏
【実父】武田信義
【実母】源義忠女
【略伝】
武田信義の次男。
甲斐一条を所領として一条を称する。父信義とともに源頼朝の平氏追討軍に属し、各地を転戦して功を立てる。
しかし、頼朝にその勢力を警戒されてか、1184(元暦元)年、頼朝の命により殺害された。
【配役】
いちじょう・てんのう
【生没】980(天元3)−1011(寛弘8)
【生地】山城国
【家系】皇室
【実父】円融天皇
【実母】詮子
【別称】懐仁
【略伝】
天皇(66代)。
円融天皇の第一皇子。984(永観2)年に花山天皇の皇太子となり、986(寛和2)年の花山帝の退位により践祚。外祖父の藤原兼家、その子でいとこの道隆・道長兄弟が朝廷の実権を握り、自らも皇后に定子(道隆の子)、中宮に彰子(道長の子)を迎え、藤原氏の権勢が大いに高まった。
【配役】
いちじょう・ながなり
【生没】
【生地】
【家系】藤原北家(道隆流)
【実父】藤原忠能
【実母】藤原長忠女
【別称】一条大蔵卿、藤原長成
【略伝】
常盤の夫。
朝廷に出仕し、1157(保元2)年に大蔵卿に任ぜられる。京都一条大路沿いに邸を構えていたため、一条大蔵卿と称された。
【配役】
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阪田半五郎 |
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大蔵卿(一条大蔵卿)(1910・吉沢) |
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市川姉蔵(42) |
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一条大蔵卿 平家物語(1920・日活) |
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3中村時蔵(60) |
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源義経(1955・映画) |
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4坂東秀調(65) |
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源義経(1966・NHK) |
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天竺五郎 |
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好色源平絵巻(1977・映画) |
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上田忠好(46) |
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草燃える(1979・NHK) |
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鈴木昭生(59) |
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武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
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水上保広(44) |
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源義経(1991・NTV) |
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村松克己(54) |
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炎立つ(1993・NHK) |
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蛭子能収(58) |
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義経(2005・NHK) |
いちじょう・のぶよし
【生没】1190(建久元)−1221(承久3)
【生地】山城国?
【家系】藤原北家(頼宗流)
【実父】一条能保
【実母】慈氏
【略伝】
一条能保の次男。
後鳥羽上皇の側近くに仕えて左近衛中将などを務め、1220(承久2)年に参議に任ぜられる。
翌年、上皇の意を受けて幕府に対し挙兵したが敗れ、捕縛された後、鎌倉への護送中に美濃岩村で殺害された。
【配役】
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徳弘夏生(31) |
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草燃える(1979・NHK) |
いちじょう・はるこ
【生没】1849(嘉永2)−1914(大正3)
【生地】山城国
【家系】九条氏
【実父】一条忠香
【実母】民子(新畑種成女)
【別称】昭憲皇太后
【略伝】
明治天皇の皇后。
1868(明治元)年に宮中に入り、皇后となる。西洋文化を積極的に取り入れ、日常的に洋服を着用するなどした一方で、社会事業に心血を注ぎ、日本赤十字社の発展に大きく寄与した。
明治天皇との間に子はなかったが、1879(明治12)年に誕生した嘉仁親王(大正天皇)を養子とする。1912(明治45)年に明治天皇が崩御し、大正天皇が践祚すると、皇太后となった。
【配役】
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高倉みゆき@(24) |
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天皇・皇后と日清戦争(1958・新東宝) |
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高倉みゆきA(25) |
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明治大帝と乃木将軍(1959・新東宝) |
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高倉みゆきB(30) |
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明治大帝御一代記(1964・映画) |
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伊藤栄子(20) |
…… |
明治天皇(第1部)(1966・YTV) |
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3花柳寿輔(32) |
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明治天皇(第2部)(1967・YTV) |
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松尾嘉代(37) |
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二百三高地(1980・東映) |
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二宮さよ子(33) |
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二百三高地(1981・TBS) |
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いしだあゆみ(44) |
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ミカドの淑女(1992・ANB) |
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原千果子(41) |
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鹿鳴館(2008・EX) 役名は王妃殿下 |
いちじょう・ゆきふさ
【生没】?−1337(建武4・延元2)
【生地】山城国
【家系】藤原北家(伊尹流)
【実父】世尊寺(一条)経尹
【略伝】
朝廷に出仕し、1331(元弘元・元徳3)年、倒幕計画が露見して山城笠置山に立て籠もった後醍醐天皇に従うが、後に帝とともに捕縛され、隠岐へ流される。
1333(元弘3・正慶2)年の幕府崩壊後の新政でも帝により重用される。1336(建武3・延元元)年、帝より離反した足利尊氏が京都を制圧すると、北陸道の鎮定を名目に新田義貞らと越前に下向するが、翌年、足利方の軍勢と戦って敗れ、自害して果てた。
【配役】
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相原一夫(31) |
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太平記(1991・NHK) |
いちじょう・よしなり
【生没】1163(長寛2)−1238(嘉禄4)
【家系】藤原北家(道隆流)
【実父】一条長成
【実母】常盤
【別称】一条良成
【略伝】
源義経の異父弟。
朝廷に出仕し、1183(寿永2)年に信濃権守に任ぜられる。しかし、義経との親密な関係から、1185(文治元)年の平氏滅亡後に義経がその兄源頼朝によって失脚させられると、頼朝の意を受けた朝廷より退けられる。
1208(承元2)年に朝政に復帰し、1218(建保6)年には従三位に進んで公卿の列に加わった。
【配役】
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中村万之助(12) |
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続源義経(1956・映画) |
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山田太郎(18) |
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源義経(1966・NHK) |
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山本昇平 |
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武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
いちじょう・よしやす
【生没】1147(久安2)−1197(建久8)
【生地】山城国?
【家系】藤原北家(頼宗流)
【実父】一条通重
【実母】藤原(徳大寺)公能女
【略伝】
源頼朝の義弟。
朝廷に出仕し、丹波守や太皇太后権亮などを務めていたが、妻に源義朝の娘で頼朝の妹坊門姫を迎えていたことから、頼朝の後ろ盾で位階累進を続けて権中納言に進み、幕府と朝廷との関係強化に尽力した。
【配役】
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2市川小太夫(54) |
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新・平家物語 静と義経(1956・映画) |
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林 成年(35) |
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源義経(1966・NHK) |
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平田昭彦(52) |
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草燃える(1979・NHK) |