飯泉喜内
生没 1805(文化2)-1859(安政6)
生地 山城国
実父
実母
略伝
京都に生まれ、後に江戸に出て商家の手代などを務めたが、やがて尊王攘夷思想に傾斜し、京都に戻って公家の三条家に仕える。
将軍徳川家定の後継問題では一橋慶喜を擁立する一派に属して活動し、幕府の失政を批判するなどしたため幕府の嫌疑を受け、1858(安政5)年9月に捕縛される。幕府の厳しい取調べを受け、翌1859(安政6)年10月、吉田松陰らとともに処刑された。
配役
飯岡助五郎
生没 1792(寛政4)-1859(安政6)
生地 相模国
実父 石渡助右衛門
実母
略伝
半農半漁の家に生まれる。
力士を志して江戸に出たが果たせず、その後、上総に移って漁師で生計を立てるが、やがて博徒銚子の五郎蔵の子分となり、1822(文政5)年に五郎蔵より下総飯岡の縄張りを譲られる。後に岡っ引きとなって勢力を拡大するが、縄張りを接する旧知の笹川繁蔵との対立が次第に深まった。
1844(天保15)年、関東取締出役より繁蔵の召捕状が出たためその捕縛に向かうが、用心棒として平手造酒らを取り込むなどした繁蔵の反撃に遭って失敗(後世に「大利根河原の決闘」と称される)。ようやく1847(弘化4)年になって子分が繁蔵を討ち取ったが、これが闇討ちであったこともあり、助五郎と繁蔵との抗争を描いた「天保水滸伝」では助五郎が悪役として位置づけられることとなった。
配役
本間直司(40) |
笹川繁三(1924・東亜) |
嵐橘右衛門 |
平手造酒(1925・松竹) |
高松恭助(29) |
天保悲剣録(1927・松竹) |
嵐珏松郎(50) |
平手造酒(1928・日活) |
伊田兼美 |
上州無宿陣(1930・松竹) |
阪東三右衛門(35) |
天保水滸伝(1930・マキノ) |
3市川小文治①(38) |
やくざ者 二度の鍔鳴(1931・日活) |
矢野伊之助 |
決戦大利根の暁(1932・東活) |
嵐冠三郎(54) |
喧嘩道中記(1932・国際) |
雲井三郎(23) |
勢力富五郎(1932・河合) |
片桐恒男(37) |
八州侠客陣(1933・新興) |
葉山富之輔①(45) |
血戦大利根嵐(1934・日活) |
葉山富之輔②(45) |
平手造酒(1934・日活) |
寺島 貢①(30) |
へり下りの利七(1934・日活) |
松本泰輔(39) |
天保水滸伝(1934・新興) |
志村 喬(31) |
八州侠客陣(1936・千鳥) |
小杉義男(33) |
瞼の母(1936・日活) |
遠山龍之介 |
天保水滸伝(1936・全勝) |
3市川小文治②(46) |
春秋一刀流(1939・日活) |
山村 聰(38) |
遊侠の群れ(1948・松竹) |
山本礼三郎(48) |
大利根の夜霧(1950・新東宝) |
瀬川路三郎①(58) |
天保水滸伝 利根の火祭(1952・大映) |
永田光男①(39) |
血闘 利根の夕霧(1953・松竹) |
東良之助(63) |
潮来出島 美男剣法(1954・大映) |
堀 正夫(50) |
関八州勢揃い(1954・新東宝) |
三島雅夫(48) |
地獄の剣豪 平手造酒(1954・日活) |
柳永二郎①(60) |
八州遊侠伝 白鷺三味線(1955・松竹) |
柳永二郎②(60) |
八州遊侠伝 源太あばれ笠(1955・松竹) |
伊東 健 |
番場の忠太郎(1955・新東宝) |
鳥羽陽之助(52) |
関八州大利根の対決(1957・新東宝) |
近衛十四郎(42) |
天保水滸伝(1958・松竹) |
進藤英太郎(60) |
血斗水滸伝 怒涛の対決(1959・東映) |
寺島 貢②(55) |
関の弥太ッぺ(1959・大映) |
永田光男②(46) |
大利根無情(1960・松竹) |
岡 譲司(58) |
草間の半次郎 霧の中の渡り鳥(1960・東映) |
松下猛夫 |
平手造酒(1960・CX) |
阿部九州男①(50) |
遊侠の剣客 片手無念流(1960・東映) |
上田吉二郎(57) |
黒い三度笠(1961・大映) |
柳永二郎③(67) |
座頭市物語(1962・大映) |
石黒達也(51) |
勢揃い関八州(1962・東映) |
柳永二郎④(67) |
続・座頭市物語(1962・大映) |
瀬川路三郎②(68) |
瞼の母(1962・東映) |
阿部九州男②(53) |
関東遊侠伝 利根の朝焼け(1963・東映) |
安部 徹(46) |
関の弥太ッぺ(1963・東映) |
嵯峨善兵(54) |
伝法水滸伝(1963・NHK) |
久松保夫(46) |
俺はども安(1965・CX) |
遠藤辰雄①(37) |
天保遊侠伝 代官所破り(1965・東映) |
松村達雄(53) |
剣(珍説天保水滸伝)(1967・NTV) |
2沢村宗之助(51) |
新・日本剣客伝(平手造酒)(1969・NET) |
根上 淳(46) |
日本任侠伝(笹川繁蔵)(1969・NET) |
市川岩五郎(59) |
遠山の金さん捕物帳(1970・NET) |
田島義文(54) |
長谷川伸シリーズ(関の弥太ッぺ)(1972・NET) |
大滝秀治(47) |
新座頭市物語 折れた杖(1972・東宝) |
関 敬六(45) |
天下堂々(1973・NHK) |
小池朝雄(42) |
天保水滸伝 平手造酒(1973・NET) |
ハナ 肇(46) |
天保水滸伝(1976・大映) |
南方英二(49) |
五木ひろしの母恋鴉(1981・YTV) |
遠藤太津朗②(57) |
必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う(1985・ABC) |
亀石征一郎(52) |
名奉行遠山の金さん(第3部)(1990・ANB) |
八名信夫(56) |
女無宿人 半身のお紺(1991・TX) |
曽根晴美(57) |
あばれ八州御用旅(第4部)(1994・TX) |
井上博一(56) |
平手造酒 利根の決闘(1997・CX) |
松井範雄(48) |
御家人斬九郎(第4部)(1999・TX) |
家里次郎
生没 1840(天保11)-1863(文久3)
生地 伊勢国
実父 小林清右衛門
実母 あき(家里悠然姉)
略伝
1863(文久3)年、江戸で浪士組が結成された際、これに加わる。上洛後、浪士組結成の提案者清河八郎がこの浪士組を丸ごと尊王攘夷派組織に衣替えしようとしたため、幕府より危険視されて浪士組に江戸への帰還命令が出されると、これと袂を分かって京都に残留するが、芹沢鴨や近藤勇と次第に対立し、同年4月、芹沢らにより大坂にて切腹させられた。
配役
かなやす慶行(34) |
新選組!(2004・NHK) |
伊 可
略伝
大久保藤五郎の妻。
1617(元和3)年の藤五郎の没後は剃髪。実子なく製菓の家業が断絶することを憂えた将軍徳川秀忠の意により、甥の十右衛門忠元を養子に迎え、家督を継承させた。
配役
伊香賀房明
略伝
陶晴賢に仕える。
1555(弘治元)年、厳島の戦いで毛利勢に敗れた晴賢の介錯を務めたという。
配役
塾 一久(47) |
毛利元就(1997・NHK) 役名は伊香具房明 |
五十嵐伊織
生没 1841(天保12)-1869(明治2)
生地 越後国
実父 田巻三郎兵衛
実母
略伝
五十嵐家の養子となる。
尊王攘夷思想に傾斜し、1868(明治元)年からの戊辰戦争では、故郷の越後長岡を離れて新政府軍に加わり、東北地方に転戦。翌年9月、洋式兵制の整備を進める大村益次郎を京都木屋町に襲撃して捕縛され、同年12月に処刑された。
配役
石倉英治 |
大村益次郎(1942・新興) |
湯浅洋行(25) |
花神(1977・NHK) |
伊賀良目七郎
生没 ?-1189(文治5)
生地
実父
実母
別称 伊賀良目高重
略伝
佐藤基治の叔父。
1189(文治5)年の源頼朝の陸奥侵攻の際、基治らとともにこれと戦って討死した。
配役
伊木七郎右衛門
生没 1567(永禄10)?-1615(元和元)?
生地
実父 伊木七右衛門?武間三郎右衛門?
実母 片桐民部助女
別称 伊木遠雄
略伝
豊臣秀吉に仕える。
1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いで石田方に属して敗れ、浪人となる。1614(慶長19)年、豊臣秀頼の招きを受けて大坂城に入り、同年の大坂冬の陣では真田幸村に目付として付属され、真田丸で奮戦。翌年の夏の陣でも幸村に属して誉田方面に進出し、徳川方の軍勢と戦って討死した。
一説に、大坂城の落城には殉じず、片桐且元に招かれてその本拠大和龍田で蟄居の身となったが、やがて京都に移り、後に丹後宮津藩主京極高広に招かれ、1645(正保3)年に宮津で没したという。
配役
郁
生没 1807(文化4)-1850(嘉永3)
生地 武蔵国
実父 島津斉宣
実母 百十(青木盛皎女)
略伝
島津斉興の異母妹。
斉興の養女となって近衛忠熙に嫁いだ。
配役
幾 松
生没 1843(天保14)-1886(明治19)
生地 若狭国
実父 木崎市兵衛
実母 末子(細川太仲女)
別称 木戸松子
略伝
若狭小浜藩士の子に生まれる。
幼少のころ、父市兵衛が罪を得て出奔。市兵衛が京都加賀藩邸に伺候していた際にこれを頼って上洛する。
しかし、貧しい生活を強いられたため、一条家諸太夫の子難波恒次郎のもとに養女に出され、やがて恒次郎により京都三本木の芸妓とされて幾松を名乗る。その後、桂小五郎(木戸孝允)の寵愛を受け、小五郎が幕府の追手を避けて京都二条大橋下などに潜伏していた際には食べ物などをひそかに届けていたという。
維新後、正式に木戸に嫁いで名も松子と改める。1877(明治10)年の木戸の没後は落飾した。
配役
源八千代(34) |
燃ゆる渦巻(1924・日活) |
森 静子①(15) |
燃ゆる渦巻(1924・マキノ) |
泉 春子(20) |
池田屋騒動(1925・マキノ) |
春海清子 |
桂小五郎と幾松(1926・松竹) |
小池春枝(33) |
燃ゆる若武者(1926・帝キネ) |
千代田綾子(20) |
勤王時代(1927・松竹) |
住乃江田鶴子(19) |
鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子(1927・マキノ) |
川上弥生(22) |
地雷火組(1927・映画) |
橘 葉子 |
鞍馬天狗 恐怖時代(1928・寛プロ) |
酒井米子(30) |
維新の京洛(1928・日活) |
原 駒子①(20) |
白藤幻之介(1930・映画) |
マキノ智子(23) |
侠艶三人女(1930・映画) |
松浦築枝(24) |
地雷火組(1931・映画) |
若葉蘭子 |
小松龍三 後篇(1932・映画) |
浦波須磨子(23) |
陸軍大行進(1932・映画) |
橘 藤子 |
剣士桂小五郎(1933・映画) |
白石明子 |
旅姿桂小五郎(1934・映画) |
千川輝美 |
エノケンの近藤勇(1935・PCL) |
絹川京子(22) |
維新三剣士(1935・日活) |
高津愛子(25) |
地雷火組(1935・映画) |
大月光子① |
戦ひの曲(1937・映画) |
大月光子② |
唄ふ弥次喜多 京・大阪の巻(1937・JO) |
久野あかね①(30) |
風雲夜叉王 京洛黎明篇(1937・大都) |
久野あかね②(30) |
風雲夜叉王 白狐跳躍篇(1937・大都) |
月宮乙女(23) |
愛憎秘刃録(1938・東宝) |
歌川絹枝(25) |
地雷火組(1938・映画) |
原 駒子②(28) |
鞍馬天狗 龍驤虎搏の巻(1938・日活) |
〆 香(28) |
エノケンの鞍馬天狗(1939・東宝) |
花柳小菊(18) |
王政復古(1939・映画) |
森 静子②(31) |
女人峠(1940・映画) |
高山広子①(23) |
維新の曲(1942・大映) |
紫富士子 |
鞍馬天狗 天狗廻状(1952・松竹) |
祇園美代子 |
満月三十石船(1952・東映) |
高山広子②(33) |
新撰組(1952・映画) |
宮川玲子(31) |
鞍馬天狗 青銅鬼(1953・新東宝) |
塩沢登代路(27) |
新鞍馬天狗 夕立の武士(1955・東宝) |
若水美子(22) |
鞍馬天狗 白馬の密使(1956・映画) |
瑳峨三智子(21) |
京洛五人男(1956・映画) |
相馬千恵子(35) |
桂小五郎と近藤勇 竜虎の決戦(1957・新東宝) |
円山栄子(20) |
幕末物語(近藤勇と桂小五郎)(1959・MBS) |
高倉みゆき①(25) |
鞍馬天狗(1959・CX) |
高倉みゆき②(25) |
東海道弥次喜多珍道中(1959・新東宝) |
阿井三千子(29) |
紅あざみ(1959・大映) |
大川恵子(24) |
壮烈新選組 幕末の動乱(1960・東映) |
小畑絹子①(30) |
風雲新選組 近藤勇(1961・CX) |
小畑絹子②(30) |
風雲新撰組(1961・新東宝) |
柳川慶子(28) |
桂小五郎(1964・NHK) |
池内淳子(31) |
幕末(1964・TBS) |
松村安子(29) |
新選組血風録(1965・NET) |
藤原礼子(33) |
新鞍馬天狗(1965・大映) |
宇治みさ子(34) |
明治天皇(第1部)(1966・YTV) |
中村玉緒(28) |
三姉妹(1967・NHK) |
和田幾子(26) |
鞍馬天狗(1969・NHK) |
光本幸子(29) |
舞妓はんだよ全員集合!!(1972・映画) |
中村英子(22) |
新選組(1973・CX) |
本阿弥周子(24) |
鞍馬天狗(1974・NTV) |
日向亜希(25) |
幕末未来人(1977・NHK) |
波乃久里子(32) |
花神(1977・NHK) |
中村れい子(21) |
鞍馬天狗(1981・TBS) |
岡江久美子(27) |
壬生の恋歌(1983・NHK) |
三浦リカ(27) |
影の軍団 IV/幕末編(1985・KTV) |
池上季実子(30) |
奇兵隊(1989・NTV) |
萬田久子(31) |
御存知鞍馬天狗(1989・CX) |
樋口可南子(31) |
野望の国(1989・NTV) |
影山仁美(31) |
翔ぶが如く(1990・NHK) |
麻乃佳世(31) |
新選組血風録(1998・ANB) |
菊川 怜(26) |
新選組!(2004・NHK) |
羽田美智子(40) |
鞍馬天狗(2008・NHK) |
雛形あきこ(37) |
花燃ゆ(2015・NHK) |
白須慶子(33) |
西郷どん(2018・NHK) |
堀田真由(23) |
るろうに剣心 最終章 The Beginning(2021・ワーナー) |
池内蔵太
生没 1841(天保12)-1866(慶応2)
生地 土佐国
実父 池定穀
実母
別称 池定勝
略伝
若年のころより各地で尊王攘夷派の志士と交流し、1861(文久元)年には武市半平太の土佐勤王党に加盟。しかし、過激な活動を志向して1863(文久3)年に土佐藩を脱藩し、同年の天誅組の挙兵や、長州藩に属して翌1864(元治元)年の蛤御門の変(禁門の変)に加わるなど、各地で活発な動きを見せる。
1865(慶応元)年、坂本龍馬の結成した亀山社中(後の海援隊)に加わって各地を奔走するが、翌年5月、長崎から薩摩へ小型帆船ワイルウェフ号を回航する途中、五島列島沖で嵐のため遭難死し、落命した。
配役
池禅尼
生没 1104(長治元)?-1164(長寛2)?
生地
実父 藤原宗兼
実母 藤原有信女
別称 宗子
略伝
平忠盛の後室。
1153(仁平3)年の忠盛の没後に出家し、京都六波羅の池殿に住したために池禅尼と称される。
1159(平治元)年、平治の乱に敗れて捕縛された源頼朝の助命を義理の息子に当たる平清盛に嘆願(既に没していた子の家盛と頼朝が瓜二つだったからだという)。清盛はこれを容れ、頼朝のみならず、常盤所生の今若(阿野全成)、乙若、牛若(義経)も助命した。
配役
1水谷八重子(67) |
新・平家物語(1972・NHK) |
草笛光子(59) |
平清盛(1992・TBS) |
南風洋子(75) |
義経(2005・NHK) |
和久井映見(42) |
平清盛(2012・NHK) |
池上新太郎
生没 1853(嘉永6)-1868(明治元)
生地 陸奥国
実父 池上勘助
実母 しん(佐藤駒之進姉)
略伝
会津藩士の子に生まれる。
母しんが離縁により実家に戻ったため、継母たみ(三浦謙良女)の影響を強く受けて育ったという。
1868(明治元)年3月の会津藩の軍制改革により白虎隊が編成されると、士中二番隊に配属される。同年8月22日、新政府軍が会津に迫ると、出陣してこれと交戦し、討死した。
配役
小川国松(19) |
白虎隊(1927・映画) |
斎藤喜之 |
白虎隊(1986・NTV) |
河野弘樹(19) |
白虎隊(2007・EX) |
藤原儀輝(20)
千葉隼大(11) |
白虎隊 敗れざる者たち(2013・TX) |
池田屋惣兵衛
生没 1823(文政6)-1864(元治元)
生地 山城国?長門国?
実父
実母
別称 入江惣兵衛
略伝
京都の旅籠池田屋の主人。
池田屋は長州藩士など尊王攘夷派志士の定宿となっており、1864(元治元)年6月には池田屋で会談中の尊王攘夷派志士らが新選組による襲撃を受けたため、妻子を伴って逃亡。翌日、京都町奉行所に出頭したが、入牢を申し渡され、翌7月、獄中で病死した。
配役
中村駒梅 |
近藤勇(1925・帝キネ) 役名は池田屋亭主与兵衛 |
磯川元春(46) |
維新の京洛(1928・日活) |
葛木香一(52) |
維新の曲(1942・大映) |
島田 伸 |
新選組鬼隊長(1954・東映) |
飯田 徹 |
風雲三条河原(1955・映画) |
上田吉二郎(54) |
新選組(1958・東映) |
中村公三郎(48) |
いのち新平 池田屋余聞(1960・NTV) |
尾上華丈(62) |
壮烈新選組 幕末の動乱(1960・東映) |
藤川 弘 |
新選組血風録 近藤勇(1963・東映) |
寺島雄作(59) |
新選組始末記(1963・大映) |
有馬宏治(59) |
新選組血風録(1965・NET) |
谷口 完(47) |
新選組(1969・東宝) |
永野達雄(42) |
燃えよ剣(1970・NET) |
神山 寛(42) |
鞍馬天狗(1974・NTV) |
桑山正一(55) |
新選組始末記(1977・TBS) |
河合絃司(64) |
竜馬がゆく(1982・TX) |
中田光彦 |
壬生の恋歌(1983・NHK) |
伊沢一郎(74) |
白虎隊(1986・NTV) |
中村錦司(66) |
新選組(1987・ANB) |
江藤 漢(48) |
燃えよ剣(1990・TX) |
穂積隆信(61) |
新選組 池田屋の血闘(1992・TBS) |
芝本 正(54) |
新選組血風録(1998・ANB) |
加藤 治(62) |
徳川慶喜(1998・NHK) |
岡田 正(47) |
新選組!(2004・NHK) |
渡部浩司 |
新撰組 PEACE MAKER(2010・MBS) |
春海四方(52) |
新選組血風録(2011・NHK) |
永田耕一(61) |
八重の桜(2013・NHK) |
成清正紀(47) |
燃えよ剣(2021・東宝) |
池知退蔵
生没 1831(天保2)-1890(明治23)
生地 土佐国
実父 池知要助
実母
略伝
1861(文久元)年、武市半平太の土佐勤王党に加盟し、尊王攘夷派として活動する。
1868(明治元)年からの戊辰戦争では東山道先鋒となって東下。維新後は、高知でマッチ製造を業とする百做社を設立するなど産業振興に尽力し、自由民権運動では保守派の立場から活動した。
配役
池上四郎
生没 1842(天保13)-1877(明治10)
生地 薩摩国
実父 池上貞斎
実母
別称 池上貞固
略伝
西郷吉之助らに従って国事に奔走し、薩英戦争や戊辰戦争にも出陣する。
1871(明治4)年の西郷の率兵上京に従い、陸軍少佐となる。後に外務省に出仕し、1872(明治5)年には華北、満州の視察に赴くが、翌1873(明治6)年に西郷が征韓論に敗れて下野すると、これに従って故郷鹿児島に戻る。
1877(明治10)年の西南戦争では、当初は挙兵に反対するものの容れられず、結局、薩軍五番大隊長として出陣。熊本まで進出した後は敗戦を重ね、西郷とともに鹿児島へ戻って城山に立て籠もり、同年9月24日、城山総攻撃を仕掛けた政府軍と戦い、自害して果てた。
配役
平垣達也 |
田原坂(1987・NTV) |
横溝貴之(27) |
翔ぶが如く(1990・NHK) |
伊佐新次郎
生没 1809(文化6)-1891(明治24)
生地 武蔵国
実父 伊佐新左衛門
実母
別称 伊佐岑満
略伝
幕府旗本の子に生まれる。
幕府に出仕し、徒目付などを経て、1854(安政元)年に下田奉行支配組頭となり、吉をハリスに世話するなど、下田に来航したアメリカ人らの接待を担当する。
その後、講武所支配組頭や軍艦奉行支配組頭などを務める。1868(明治元)年の幕府崩壊後は、徳川家の駿河移封に従った。
配役
松村光夫 |
唐人お吉(1930・河合) |
三桝 豊(38) |
唐人お吉(1930・日活) |
堀 正夫(27) |
唐人お吉(1931・映画) |
伊井友三郎(37) |
唐人お吉(1935・新興) |
香川良介(41) |
唐人お吉 黒船情話(1937・日活) |
薄田研二(56) |
唐人お吉(1954・映画) |
高田 稔(60) |
日本ロマンス旅行(1959・新東宝) |
清水 元(54) |
桜田門(1961・大映) |
仲谷 昇(34) |
花の生涯(1963・NHK) |
細川俊夫(49) |
唐人お吉(1965・TBS) |
木村 功(57) |
愛は海鳴りのごとく(1980・YTV) |
井坂泉太郎
生没 1835(天保6)-1897(明治30)
生地
実父
実母
別称 井坂貞行、井坂泉
略伝
水戸徳川家に仕える。
主君徳川慶篤の弟徳川昭武の小姓頭取を務め、1867(慶応3)年、昭武が将軍名代としてパリ万国博覧会に派遣された際、これに随行した。
配役
村井国夫(36) |
獅子の時代(1980・NHK) 役名は伊河泉太郎 |
林 雄大(38) |
青天を衝け(2021・NHK) |
伊沢謹吾
生没
生地
実父 伊沢政義
実母
別称 木下謹吾、木下利義、木下大内記
略伝
木下家の養子となる。
長崎海軍伝習所に学び、軍艦操練所頭取、軍艦奉行並などを経て、1865(慶応元)年に軍艦奉行(後に外国奉行を兼ねる)、翌年には大目付に就任するも5か月ほどで退任。翌1867(慶応3)年10月に再度大目付に任じられるが、翌年2月、幕府の崩壊に伴って辞職した。
配役
有川 博(34) |
勝海舟(1974・NHK) |
高並 功(52) |
奇兵隊(1989・NTV) |
山路和弘(36) |
勝海舟(1990・NTV) |
威 子
生没 1000(長保元)-1036(長元9)
生地 山城国
略伝
藤原道長の四女。
1018(寛仁2)年に 姉彰子の子で9歳年下の後一条天皇の中宮となる。これにより父道長は一条(彰子)、三条(妍子)、後一条の3代にわたって娘を立后させたことになり、威子立后の祝宴の日に「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも 無しと思へば」との歌を詠じ、自らの栄華を誇ったという。
1036(長元9)年4月に後一条帝に先立たれ、自らもこの年9月に崩御した。
配役
佐月絵美(20)
栢森舞輝(10) |
光る君へ(2024・NHK) |
伊 子
生没 1167(仁安2)?-1207(承元元)
生地 山城国
実母
略伝
藤原基房の子。
1183(寿永2)年、木曽義仲が上洛すると父基房が義仲に接近するために義仲に差し出されたという。
翌年の義仲の没落後は土御門通親に嫁ぎ、通親との間に文殊丸(道元)をもうけた。
配役
石合十蔵
生没 ?-1652(承応元)
生地 信濃国?
実父 石合新左衛門
実母
別称 石合道定
略伝
信濃長窪の郷士。
真田幸村の長女菊を妻に迎えた。
配役
石塔頼房
生没 1321(元亨元)-1413(応永20)
生地
実父 石塔義房
実母
略伝
足利尊氏に仕えていたが、後にその弟直義の側近となる。1349(正平4・貞和5)年に表面化した幕府の内紛では直義に属し、直義の隠退後は、直義に南朝への帰順を勧め、これを実現する。
1352(正平7・観応3)年の直義没後は南朝に走り、1361(正平16・康安元)年には楠木正儀らとともに将軍足利義詮を京都から追うことに成功。しかし、同年、義詮に京都を奪回され、後に義詮に降った。
配役
石山虎之助
生没 1852(嘉永5)-1868(明治元)
生地 安房国
実父 井深数馬
実母 そわ(土屋省吾女)
略伝
会津藩士の父数馬が藩命により安房の防備に就いていた際に誕生したという。
1868(明治元)年3月の会津藩の軍制改革により白虎隊が編成されると、士中二番隊に配属される。同年8月22日、新政府軍が会津に迫ると、出陣してこれと交戦し、討死した。
配役
以心崇伝
生没 1569(永禄12)-1633(寛永10)
生地 山城国
実父 一色秀勝
別称 以心崇伝、金地院崇伝
略伝
京都南禅寺に入って出家し、1605(慶長10)年には南禅寺住持となる。
1608(慶長13)年、徳川家康に招かれて駿府に下り、西笑承兌の後任として外交文書の書記となるが、次第に頭角を現して禁教令や武家諸法度など多くの法令制定に関与し、「黒衣の宰相」と称される。1614(慶長19)年に持ち上がった京都方広寺の鐘銘問題では豊臣家に難題をふっかけ、大坂の陣の原因を作った。
その後、社寺への介入を深め、1627(寛永4)年、後水尾天皇が幕府の許可を得ずに紫衣着用の勅許を発したことを咎めてこれを無効とすべく朝廷に圧力をかけ、幕府に対して激しい抗議運動を展開した沢庵を流罪に処すなど、権勢を誇った。
配役
和泉式部
(実名は未詳)
生没 978(天元元)?-?
生地
実父 大江雅致
実母 平保衡女
略伝
橘道貞に嫁ぎ、道貞との間に小式部内侍をもうける。道貞とは離別した後は敦道親王と親しく交流し、その様子は自らの手になる『和泉式部日記』にも描写された。
1007(寛弘4)年の親王の没後は中宮彰子に仕える。和歌に秀で、同じく彰子に仕える紫式部らともに宮中でも歌人として活躍し、『新古今和歌集』ほか多数の歌集にその歌が撰ばれた。
後に藤原道長の家司平井保昌と再婚し、その任地丹後に下向するなどした。
なお、和泉式部の名は、前夫道貞の官名和泉守に由来する。
配役
鈴木澄子(35) |
紫式部(1939・新興) |
南田洋子(32) |
海より深き(1965・RKB=毎日放送) |
泉 里香(36) |
光る君へ(2024・NHK) 役名はあかね |
泉田重光
生没 1529(享禄2)-1596(慶長元)
生地 陸奥国
実父 泉田景時
実母
略伝
伊達家に仕え、陸奥岩沼城主を務める。
1588(天正16)年の大崎攻めでは、留守政景とともに出陣して大敗し、味方の撤兵の際には人質となって一時幽閉された。
配役
井関徳兵衛
略伝
播磨赤穂藩(浅野家)に仕える。
赤穂藩では30石5人扶持の身分だったが、1701(元禄14)年の赤穂藩の改易時には浪人となっていたという。
配役
成松和一(28) |
堀田隼人(1933・映画) |
羅門光三郎(40) |
元禄忠臣蔵(1941・松竹) |
藤山竜一(56) |
赤穂浪士(1964・NHK) |
織本順吉(51) |
赤穂城断絶(1978・東映) |
中谷一郎(57) |
忠臣蔵 女たち・愛(1987・TBS) |
異雪慶殊
生没 1502(文亀2)-1564(永禄7)
生地 壱岐国
実父
実母
略伝
13歳で出家し、1549(天文18)年に長門大寧寺の住持となる。
1551(天文20)年、陶隆房(晴賢)の謀叛に遭った大内義隆が大寧寺に逃れて自害し、寺は隆房勢の攻撃により焼失。そのため故郷の壱岐に戻ったが、晴賢を滅ぼした毛利元就により、再興成った大寧寺に招かれて、1561(永禄4)年まで再び住持を務めた。
配役
磯禅師
略伝
静の母。
京都で白拍子をしていたという。1186(文治2)年、源義経と離別した静とともに、義経を追う源頼朝の手勢に捕縛され、赦免後は静とともに故郷とされる讃岐あるいは大和に戻ったとされている。
配役
梅村蓉子(34) |
静御前(1938・新興) 役名は磯の前 |
東山千栄子(66) |
新・平家物語 静と義経(1956・映画) |
佐々木すみ江(51) |
草燃える(1979・NHK) |
岩本多代(46) |
武蔵坊弁慶(1986・NHK) |
長谷川稀世(44) |
源義経(1990・TBS) |
谷口 香(57) |
源義経(1991・NTV) |
床嶋佳子(41) |
義経(2005・NHK) |
板部岡江雪斎
生没 1537(天文6)-1609(慶長14)
生地
実父 田中泰行
実母
略伝
もとは真言宗の僧侶であったが、北条家に仕えて主に外交面で活躍する。
1590(天正18)年の北条家滅亡後は姓を岡野と改め豊臣秀吉に、その没後は徳川家康に仕えた。
配役
市
生没 1547(天文16)?-1583(天正11)
生地 尾張国
別称 お市の方
略伝
織田信長の妹。
1567(永禄10)年ごろ、織田家と浅井家との関係強化のため浅井長政に嫁ぐが、1570(元亀元)年、信長が長政との約定を破って越前に侵攻した際、長政が越前に向かった信長の背後に迫ったため、小豆袋で信長の危機を伝え、これにより信長は窮地を脱するのに成功したという。
1573(天正元)年、信長により浅井家の本拠近江小谷城が落とされ、長政は自害して果てるが、自らは3人の娘とともに信長に救出され、以後は信長の庇護下に置かれる。
1582(天正10)年6月、信長横死後の清洲会議で柴田勝家に嫁ぐことが決まり、勝家の本拠となった越前北ノ庄城に移るが、勝家が羽柴秀吉との対立を深め、翌年4月、秀吉の攻撃を受けて北ノ庄城が落城。秀吉が救出しようとするもこれを拒否し、勝家とともに自害して果てた。
配役
市
生没 1607(慶長12)-1610(慶長15)
生地 駿河国?武蔵国?
略伝
徳川家康の五女。
伊達政宗の嫡男虎菊丸(忠宗)との婚約が整っていたが、1610(慶長15)年2月、4歳で没した。
配役
亀井亜由里 |
春日局(1989・NHK) 役名は和姫 |
黒沢朋世(4) |
葵 徳川三代(2000・NHK) |
石川碧彩 |
影武者徳川家康(2014・TX) 家康の影武者世良田二郎三郎の子 |
市
略伝
真田幸村の次女。
父幸村の配流先紀州九度山で早世したという。
配役
濱村砂里(14)
桂川冬子(8) |
真田太平記(1985・NHK) |
市
略伝
飯岡助五郎のもとに身を寄せていたという盲目の侠客。
配役
勝新太郎①(31) |
座頭市物語(1962・大映) |
勝新太郎②(31) |
続・座頭市物語(1962・大映) |
勝新太郎③(31) |
新・座頭市物語(1963・大映) |
勝新太郎④(32) |
座頭市兇状旅(1963・大映) |
勝新太郎⑤(32) |
座頭市喧嘩旅(1963・大映) |
勝新太郎⑥(33) |
座頭市千両首(1964・大映) |
勝新太郎⑦(33) |
座頭市あばれ凧(1964・大映) |
勝新太郎⑧(33) |
座頭市血笑旅(1964・大映) |
勝新太郎⑨(33) |
座頭市関所破り(1964・大映) |
勝新太郎⑩(33) |
座頭市二段斬り(1965・大映) |
勝新太郎⑪(34) |
座頭市逆手斬り(1965・大映) |
勝新太郎⑫(34) |
座頭市地獄旅(1965・大映) |
勝新太郎⑬(35) |
座頭市の歌が聞える(1966・大映) |
勝新太郎⑭(35) |
座頭市海を渡る(1966・大映) |
勝新太郎⑮(36) |
座頭市鉄火旅(1967・大映) |
勝新太郎⑯(36) |
座頭市牢破り(1967・大映) |
勝新太郎⑰(36) |
座頭市血煙り街道(1967・大映) |
勝新太郎⑱(36) |
座頭市果し状(1967・大映) |
酒巻輝男① |
眠狂四郎(1967・CX) |
勝新太郎⑲(37) |
座頭市喧嘩太鼓(1968・大映) |
酒巻輝男② |
好色坊主四十八手斬り(1969・映画) |
勝新太郎⑳(39) |
座頭市と用心棒(1970・大映) |
勝新太郎㉑(39) |
座頭市あばれ火祭り(1970・日活) |
勝新太郎㉒(40) |
新座頭市 破れ!唐人剣(1971・映画) |
勝新太郎㉓(41) |
座頭市御用旅(1972・東宝) |
勝新太郎㉔(41) |
新座頭市物語 折れた杖(1972・東宝) |
勝新太郎㉕(41) |
新座頭市物語 笠間の火祭り(1972・大映) |
勝新太郎㉖(43) |
座頭市物語(1974・CX) |
勝新太郎㉗(45) |
新・座頭市(第1部)(1976・CX) |
勝新太郎㉘(47) |
新・座頭市(第2部)(1978・CX) |
勝新太郎㉙(48) |
新・座頭市(第3部)(1979・CX) |
勝新太郎㉚(58) |
座頭市(1989・松竹) |
ビートたけし(56) |
座頭市(2003・松竹) |
綾瀬はるか(23) |
ICHI(2008・ワーナー) |
香取慎吾(33) |
座頭市 THE LAST(2010・東宝) |
一加一乃末陪
略伝
安倍頼時の子。
前九年の役の際、源氏方の兵士に凌辱されて殺害されたとも、敵軍への内通が露見し、生き埋めにされたとも伝わる。
配役
高橋りつ子(17) |
炎立つ(1993・NHK) 役名は衣千 |
一志太夫
略伝
伊勢神宮の分社である越後堀之内の皇大神宮の御師を務めて領主上杉景勝の庇護を受け、直江兼続の配下とされていたという。
配役
一の台
生没 1562(永禄5)-1595(文禄4)
生地
実母
略伝
菊亭晴季の子。
はじめ三条顕実に嫁ぐが死別。後に父晴季により豊臣秀吉に差し出され、豊臣秀次の側室となったという。
1595(文禄4)年8月、秀次の切腹に連座して京都三条河原で斬首された。
配役
一 幡
生没 1198(建久8)-1203(建仁3)
生地 相模国?
略伝
源頼家の長男。
1203(建仁3)年9月、父頼家が病床にある中、頼家の後ろ盾となっていた外祖父比企能員が北条時政に討たれると、時政によって居館に火を放たれ、母らとともに殺害された。
配役
中村栄治郎 |
修禅寺物語(1955・松竹) |
木内さとし(2) |
草燃える(1979・NHK) |
相澤壮太(8)
白井悠人
佐野仁音 |
鎌倉殿の13人(2022・NHK) |
伊 茶
略伝
豊臣秀頼の側近くに仕えて秀頼の手が付き、国松を出産したという。
なお、秀頼の側室については、国松と天秀尼の2人を生んだ女性として成田殿を挙げる史料もあるが、2人は別々の側室(渡辺五兵衛女と成田助直女)に生まれたとするものもある(成田殿はもともと豊臣秀吉の側室であった成田氏長の子甲斐で、甲斐は大坂落城後、成田助直の子が生んだ天秀尼とともに鎌倉東慶寺に入って尼となっている)。
配役
野川由美子(26) |
大坂城の女(1970・KTV) 役名は美乃 |
萬田久子(25) |
徳川家康(1983・NHK) 役名はおみつ |
品川景子(22) |
葵 徳川三代(2000・NHK) 役名はお通 |
杉本有美(22) |
江 姫たちの戦国(2011・NHK) 役名は秀頼側室 |
一 若
略伝
『太閤素生記』によれば、織田信長の小人頭を務めており、旧知の木下藤吉郎(豊臣秀吉)はこの一若を頼って織田家に仕官することになったという。
配役
逸
生没 1721(享保6)-1789(寛政元)
生地
実父 三浦義和
実母
別称 安祥院
略伝
浪人の子に生まれるが、幕府旗本松平又十郎の養女となり、1736(元文元)年に江戸城西の丸に出仕。後に徳川家重の目に留まってその寵愛を受け、(清水)重好を出産する。
1751(宝暦元)年、家重が幕府9代将軍に就任すると本丸に移る。1760(宝暦10)年に家重が隠居すると二の丸へ移り、翌年の家重の死により落飾して安祥院を称した。
配役
一 観
略伝
明国の出身という。
日本に渡り、織田信長の本拠近江安土城の瓦を製作した。
配役
一休宗純
生没 1394(応永元)-1481(文明13)
生地 山城国
実父 後小松天皇?
実母 楠木正澄女?
略伝
後小松天皇の落胤という。
謙翁宗為や華叟宗曇などに師事し、1420(応永27)年の夏の夜、鴉の声を聞いて省悟したという。その後、風狂の生活に身を投じ、1474(文明6)年には後土御門天皇の勅命により京都大徳寺住持に任ぜられるが、入寺せぬまま応仁の乱後の大徳寺の再興に尽力する。
自ら狂雲子を称したように、その行動は奇矯に富み、盲目の森侍者を側女として戒律で禁じられている女犯肉食を行い(岐翁紹偵という実子があった)、異様な風体で各地を歩いたが、その形式にとらわれない人間味あふれる一面は後世に一休物語を生む原因ともなった。
配役
市川莚十郎(50) |
一休と野晒悟助(1919・天活) |
嵐 璃徳(48) |
一休和尚(1923・帝キネ) |
中村扇女 |
一休さん(1938・新興) |
池田秀一(11) |
この光は消えず(一休さん)(1960・NHK) |
松原祥量 |
あすをつげる鐘(一休さん)(1961・NHK) |
中村栄二(57) |
天下を取れ(1964・NTV) |
金子信雄(54) |
幻花(1977・NET) |
富田靖子(16) |
一休さん(1985・CX) |
浅香 唯(17) |
一休さん(1986・CX) |
奥田瑛二(44) |
花の乱(1994・NHK) |
えなりかずき(20) |
一休さん(2004・CX) |
鈴木 福①(8) |
一休さん(2012・CX) |
鈴木 福②(9) |
一休さん2(2013・CX) |
厳島内侍
略伝
安芸厳島神社の巫女だったが、平清盛の目に留まり、その寵愛を受ける。懐妊中に清盛によって家臣平盛俊に下げ渡され、出産した女子(御子姫君)は後に後白河院の後宮に入った。
配役
宮前ゆかり |
女人平家(1971・ABC) |
名取裕子(35) |
平清盛(1992・TBS) 役名はあや |
出浦昌相
生没 1546(天文15)-1623(元和9)
生地 信濃国
実父 出浦清種
実母
略伝
信濃出浦城主。
武田家に従い、忍者として活躍したが、1582(天正10)年の武田家滅亡後は信濃海津城に入った森長可、後に真田昌幸に属する。
その後、上野沼田城主となった昌幸の嫡男信幸(信之)に、そして沼田領を継承した信之の長男信吉に仕えた。
配役
伊 都
生没 ?-1600(慶長5)
生地
実父 清兵衛?
実母
略伝
加藤清正の母。
豊臣秀吉の母なか(大政所)のいとこに当たるという。
加藤清忠に嫁ぎ、清忠との間に虎之助(清正)らをもうけ、なかとの縁から、近江長浜城主時代の秀吉に虎之助を出仕させた。
配役
大友町子(39) |
おんな太閤記(1981・NHK) 役名はさだ |
い と
生没 1571(元亀2)-1645(正保2)
生地 尾張国?摂津国?
実母 白雲院(鳥井越中守女)
略伝
蜂須賀小六の子。
1584(天正12)年に黒田長政に嫁ぐが、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いの直前に離縁され、蜂須賀家に戻された。
配役
桜田聖子(31) |
天地人(2009・NHK) 役名は里 |
高畑充希(23) |
軍師官兵衛(2014・NHK) |
糸
略伝
勝家に女中として奉公する。
後に勝麟太郎(海舟)の目に留まって、麟太郎との間にいつ、八重をもうけた。
配役
八代万智子(25) |
父子鷹(1964・TBS) |
野川由美子(28) |
おとこ鷹(1972・KTV) |
仁科明子(21) |
勝海舟(1974・NHK) |
野村真美(26) |
勝海舟(1990・NTV) |
芦川よしみ(36) |
父子鷹(1994・NTV) |
今村恵子(29) |
またも辞めたか亭主殿 幕末の名奉行・小栗上野介(2003・NHK) |
稲
生没 1573(天正元)-1620(元和6)
生地 三河国?
実母 久(阿知和玄鉄女)
別称 小松殿
略伝
本多忠勝の長女。
真田信之に嫁ぎ、信政らをもうける。
1600(慶長5)年7月、徳川家康による上杉景勝征討の軍勢に加わっていた岳父昌幸が下野犬伏で上方での石田三成の挙兵を知って石田方に転じ、信幸の居城上野沼田城に入城しようとした際には、留守居としてこれを拒否した。
1620(元和6)年2月、療養のため江戸から草津温泉に向かう途上、武蔵鴻巣で没した。
配役
稲毛田安三
生没 1895(明治28)-?
生地 茨城県
実父
実母
略伝
明治大在学中の1920(大正9)年に開催された第1回箱根駅伝に出場し、第1区を走った。
配役
犬
略伝
織田信長の妹。
尾張大野城主佐治信方に嫁ぎ、与九郎らをもうける。
1574(天正2)年に信方が長島一向一揆との戦いで討死した後は、山城槙島城主細川昭元に再嫁した。
配役
音無美紀子(40) |
お市御寮人(1989・NTV) |
犬塚外記
略伝
近江彦根藩(井伊家)に仕え、1828(文政11)年より藩主井伊直亮の側役を務める。1845(弘化2)年、直亮が家老評議強化のために側勤評定役を新設すると、その一人に選ばれた。
その一方で、「埋木舎」で不遇な生活を送っていた部屋住時代の井伊直弼のために金策に走るなど、直弼の信頼も厚く、直弼は外記を祖父と呼んで慕っていたという。
配役
薄田研二(55) |
花の生涯(1953・映画) |
2中村芝鶴(63) |
花の生涯(1963・NHK) |
加藤 嘉①(61) |
花の生涯(1974・NTV) |
加藤 嘉②(75) |
花の生涯(1988・TX) |
い ね
生没 1827(文政10)-1903(明治36)
生地 肥前国
実父 シーボルト
別称 楠本いね
略伝
シーボルトの子。
2歳のときに父シーボルトが国外追放となる。長じて、シーボルトに師事した二宮敬作や石井宗謙、村田蔵六(大村益次郎)らに医学やオランダ語を学び、日本の女性医師の先駆けとなる。1859(安政6)年には、再来日したシーボルトと再会を果たした。
維新後は東京に移って開業したが、1883(明治16)年、医師免許規則、女性に受験資格のない医術開業試験制度が施行されたため、東京を離れて長崎に戻り、以後は産婆として活動。その後、産婆をやめて東京へ移り、弟ハインリヒのもとで過ごした。
配役
梅村蓉子(38) |
大村益次郎(1942・新興) |
丘みつ子(22) |
オランダおいね(1970・TBS) |
浅丘ルリ子(37) |
花神(1977・NHK) |
早乙女愛(23) |
いのち燃ゆ(1981・NHK) |
鰐淵晴子(36) |
さらば適塾(1981・MBS) |
柏木優子 |
若き血に燃ゆる(1984・TX) |
セーラ |
奇兵隊(1989・NTV) |
宮沢りえ(27) |
おいね 父の名はシーボルト(2000・NHK) |
い の
生没 1838(天保9)-1860(万延元)
生地
実父
実母
別称 滝本、伊能
略伝
伊予大洲藩士の子に生まれるが、実家が落魄したために江戸新吉原の遊女となり、やがて客であった関鉄之介の妾となる。
鉄之介が1860(万延元)年3月の大老井伊直弼の暗殺に関与したため、捕縛されて鉄之介の行方につき幕府の追及を受けたが、同年7月、拷問の末に殺害された。
配役
井野碩哉
生没 1891(明治24)-1980(昭和55)
生地 東京府
実父 井野粂吉
実母 井野キヤウ(富田氏女)
略伝
東京帝大卒業後、農商務省に入り、農林省蚕糸局長や企画庁次長などを務め、1941(昭和16)年7月、石黒忠篤農相(第二次近衛文麿内閣)の病気辞任に伴って農相に就任。同年10月に成立した東条英機内閣でも留任し、拓務相も兼務する。翌年には衆議院議員に当選した。
戦後になって公職から追放されたが、1953(昭和28)年に参議院議員に当選して政界に復帰し、1959(昭和34)年に第二次岸信介改造内閣に法相として入閣。1971(昭和46)年の参院選には出馬せず、政界を引退した。
配役
稲生正武
生没 1683(天和3)-1747(延享4)
生地
実父 稲生正照
実母 青木之成女
別称 稲生次郎左衛門、稲生下野守
略伝
幕府旗本の子に生まれる。
幕府に出仕し、勘定奉行や江戸北町奉行などを務め、絵島事件や天一坊事件といった著名事件を担当。1738(元文3)年には大目付に就任して1744(延享元)年までこれを務めた。
配役
生井健夫(40) |
男は度胸(1970・NHK) |
高野眞二(49) |
大岡越前(第4部)(1974・TBS) |
石橋雅史(62) |
八代将軍吉宗(1995・NHK) |
中山 仁(55) |
炎の奉行 大岡越前守(1997・TX) |
片桐竜次(61) |
徳川風雲録 八代将軍吉宗(2008・TX) |
高橋光臣①(37) |
大岡越前スペシャル(2019・NHK) 役名は伊生正武 |
高橋光臣②(38) |
大岡越前(第5部)(2020・NHK) 役名は伊生正武 |
高橋光臣③(39) |
大岡越前スペシャル(2021・NHK) 役名は伊生正武 |
高橋光臣④(40) |
大岡越前(第6部)(2022・NHK) 役名は伊生正武 |
高橋光臣⑤(41) |
大岡越前スペシャル(2023・NHK) 役名は伊生正武 |
高橋光臣⑥(42) |
大岡越前(第7部)(2024・NHK) 役名は伊生正武 |
飯尾連龍
生没 ?-1565(永禄8)
生地
実父 飯尾乗連
実母
別称 飯尾豊前守
略伝
今川家に仕えて遠江引間城主を務めるが、今川家の勢力が衰退するとこれより離反。隣国三河の徳川家康と通じ、しばしば今川氏真の攻撃を受ける。
いったん氏真に許されて帰参したものの、1565(永禄8)年12月、駿府で殺害された。
配役
猪子兵助
生没 ?-1582(天正10)
生地
実父 猪子久左衛門
実母
別称 猪子高就
略伝
斎藤道三の側近くに仕えていたが、1556(弘治元)年の道三横死後は織田信長に仕え、後にその側近として重用される。
1582(天正10)年6月の本能寺の変の際、京都二条御所で明智勢と交戦して討死した。
配役
常田富士男(36) |
国盗り物語(1973・NHK) |
宇南山宏(48) |
徳川家康(1983・NHK) |
伊庭 剛(39) |
織田信長(1994・TX) |
小松利昌(48) |
桶狭間(2021・CX) |
茨木 司
生没 ?-1867(慶応3)
生地 陸奥国
実父
実母
略伝
1865(慶応元)年に新選組に入隊したとされ、諸士調役兼監察を務めたが、1867(慶応3)年、伊東甲子太郎一派が新選組から分離独立した際にこれに加わろうとして果たせず、新選組に残留。同年6月、新選組が幕府の召抱えとなることに反発して佐野七五三之助らとともに脱退を試みるが失敗し、切腹させられた。
配役
大塩 武(30) |
燃えよ剣(1990・TX) |
大塚幸太(31) |
新選組!(2004・NHK) |
坂田 聡(40) |
新選組血風録(2011・NHK) |
揖斐光親
略伝
土岐政房の五男。
土岐頼武・頼芸の弟で、揖斐基信の養子となる。
1547(天文16)年、兄頼芸と対立する斎藤道三に本拠美濃揖斐城を落とされ、流浪の身となった。
配役
今泉令史
略伝
伊達家に仕える。
1613(慶長18)年、主君伊達政宗の命を受け、支倉常長らとともに仙台を出発して渡欧したが、客死した。
配役
今参局
生没 ?-1459(長禄3)
生地
実父 大館満冬
実母
略伝
足利義政の乳母を務めてその寵愛を得、1455(康正元)年には義政との間に女子をもうけたとされ、烏丸資任、有馬持家とともに「三魔」と呼ばれるほどの権勢を誇った。
しかし、1459(長禄3)年1月に義政の正室日野富子が懐妊するも死産に終わると、反目していた義政の母日野重子らによって呪詛の疑いを受けて失脚。琵琶湖沖ノ島への流罪が決まったが、沖ノ島へ向かう途上で自害した(暗殺とも)。
配役
藤村志保(38) |
幻花(1977・NET) |
かたせ梨乃(37) |
花の乱(1994・NHK) |
伊牟田尚平
生没 1832(天保3)-1869(明治2)
生地 薩摩国
実父 伊牟田倉左衛門
実母
別称 中村氏女
略伝
肝付兼善の家臣の子に生まれる。
薩摩藩主島津斉彬の典医を務める東郷泰玄に弟子入りし、 泰玄に従って江戸に出た際に清河八郎と懇意となり、尊王攘夷思想に傾斜する。1860(万延元)年には、清河を中心に結成された虎尾の会の幹部となり、この年ヒュースケンを暗殺。翌年には脱藩した。
翌1862(文久2)年には、平野国臣とともに、福岡藩主黒田長溥に対し尊王攘夷派の有馬新七ら薩摩藩士との連携と説こうとしたため、これを警戒した薩摩藩によって捕縛され、悪石島へ流される。1864(元治元)年の赦免後は倒幕活動に奔走し、1867(慶応3)年には江戸に下り、薩摩藩邸にあって江戸市中で騒動を起こすなどして幕府を挑発。幕府の攻撃を受けて京都へ戻るが、1869(明治2)7月、前年に近江で商家に強盗に入って殺人を犯した罪により、京都にて処刑された。
配役
森 悦郎 |
和蘭陀お滝(1925・松竹) |
林誠之助(22) |
愛染地獄(1929・日活) |
八幡順一郎 |
清川八郎(1930・東亜) |
相良伝三郎 |
唐人お吉(1930・河合) |
岩見柳水 |
鉄血団快挙録 暁の日本(1933・阪妻プロ) |
賀川 清(31) |
フランスお政(1933・映画) |
南 光明(40) |
京洛浅春譜(1935・映画) |
加賀邦男(41) |
快傑まぼろし頭巾(1954・東映) |
春日 清(55) |
鞍馬天狗 御用盗異変(1956・映画) |
仁礼功太郎(56) |
鞍馬天狗 御用盗異聞(1957・映画) |
蜷川幸雄(29) |
暗殺(1964・松竹) |
木村 玄(31) |
博徒ざむらい(1964・大映) |
内田 稔(37) |
幕末(1964・TBS) |
中井啓輔(35) |
天皇の世紀(1971・ABC) |
内田勝正(30) |
勝海舟(1974・NHK) |
六平直政(32) |
ジャズ大名(1986・松竹) |
中村まこと(41) |
新選組!(2004・NHK) |
五郎八
生没 1594(文禄3)-1661(寛文元)
生地 山城国
略伝
伊達政宗の長女。
1598(慶長3)年に松平忠輝との縁談が持ち上がるが、大名間の婚姻を禁じる豊臣秀吉の遺命に背くという石田三成ら奉行の反対にあって破談となる。
1606(慶長11)年になってようやく忠輝に嫁いだが、1616(元和2)年の忠輝の改易に伴って離別。実家仙台に戻って余生を過ごした。
配役
岡本 舞(20) |
徳川家康(1983・NHK) |
沢口靖子(22)
塙 紀子(8) |
独眼竜政宗(1987・NHK) |
岡田奈々(28) |
野風の笛(1987・NTV) |
大和田多美恵 |
徳川無頼帳(1992・TX) |
竹本聡子(22) |
影武者徳川家康(1998・ANB) |
加藤理恵(15) |
葵 徳川三代(2000・NHK) |
岩
生没 1530(享禄3)-1559(永禄2)
生地 山城国
実父 明石宗和(正風)
実母 昌慶善定尼
略伝
黒田官兵衛の母。
1545(天文14)年、父宗和の盟友である小寺政職の養女となって黒田職隆に嫁ぎ、職隆との間に官兵衛らをもうけた。
配役
岩
生没 1566(永禄9)-1582(天正10)
生地 信濃国?
略伝
木曽義昌の長女。
武田家への人質として甲府に預けられていたが、1582(天正10)年1月、父義昌が武田家から離反して織田家と通じると、武田勝頼の命により処刑された。
配役
岩
生没 1578(天正6)-1657(明暦3)
生地
実父 笠間与七
実母
略伝
前田利家の側室となり、利家との間に2女をもうけるがいずれも早世。1599(慶長4)年の利家の没後は落飾して隆興院を称した。
配役
伊和員経
略伝
平将門に仕える。
939(天慶2)年12月、関東一円を手中に収めた将門が新皇を称した際にはこれを諫めたという。
配役
岩 尾
略伝
江戸城大奥に出仕し、本寿院付御年寄を務めた。
配役
岩角伊勢
略伝
畠山義継に仕えた。
配役
岩谷敬一郎
生没 1831(天保2)-1892(明治25)
生地 常陸国
実父 岩谷高儀
実母 浦子(坂本宗女)
別称 岩谷信成
略伝
常陸の山伏の子に生まれる。
会沢正志斎に学び、尊王攘夷思想に傾斜。1864(元治元)年、藤田小四郎らとともに水戸藩内の急進的尊王攘夷派(天狗党)の挙兵を主導するが、敗れて各地に潜伏し、後に山岡鉄太郎らの庇護を受けた。
維新後は、山岡の推挙で宮内省に出仕するなどした。
配役
岩成友通
生没 ?-1573(天正元)
生地
実父
実母
別称 岩成主税助
略伝
三好長慶に仕え、三好長逸、三好政康とともに三好三人衆の一に数えられる。
1564(永禄7)年の長慶の死後はその後継義継の後見を務め、翌年の将軍足利義輝暗殺などを主導。その後、松永久秀が三好家中での勢力を拡大するとこれと対立し、久秀が1568(永禄12)年に足利義秋(義昭)を擁して上洛を果たした織田信長に降ると、畿内の主導権をめぐって織田勢とも交戦する。一時は信長に臣従したが、後に義昭が信長と対立すると、義昭の呼びかけに応じて再び信長に対抗し、1573(天正元)年8月、山城淀で織田方の細川藤孝の軍勢と戦って討死した。
配役
磐之媛
略伝
仁徳天皇の皇后。
武内宿禰の孫。履中天皇、反正天皇、允恭天皇の母。
配役
殷 弘
略伝
1266(文永3)年、モンゴル帝国皇帝フビライの命により、国信使黒的の下、国信副使としてフビライの国書を持って日本に渡る。
1268(文永5)年にも再び国書を携えて来日。しかし、執権北条時宗に拒絶され、使者としての役目を果たせなかった。
配役
胤 舜
生没 1589(天正17)-1648(慶安元)
生地
実父 胤栄?
実母
略伝
奈良興福寺宝蔵院の住持を務める。
父ともいわれる胤栄より十文字槍を継承し、宝蔵院流槍術として完成させた。
配役