明治天皇(第1部)(各回の主な出演者)
◆ 放送当日の新聞各紙のテレビ欄に掲載された配役を引用しました。
◆ この番組を記録した映像はほとんど現存しないとみられています。そのため、各回のあらすじを各回のクレジットの末尾に記しています。あらすじは、主に朝日新聞のテレビ欄に掲載されているものを用いていますが、地域などによって大きな差がある場合があります。そのような場合は、最も詳しく記載されているものをベースとし、他紙における記述を適宜挿入するなどして構成しました。
第1回
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 石崎吉嗣(明治天皇[幼帝])
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 北沢 彪(小村寿太郎)
 河津清三郎(伊藤博文)
 高松英郎(松平容保)
 松山容子(中山慶子)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 岡 譲司(桂太郎)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 南原宏治(坂本龍馬)
〈あらすじ〉明治三十五年に当時の桂内閣が議決した日英同盟に決すべきか、それとも元老・伊藤博文が推す日露同盟に決めるかについての重大な御前会議が開かれ、天皇は日英同盟に決すべしとの英断をくだされた。翌三十六年、同盟国イギリスは、日本のため戦艦「三笠」を提供し、同年四月、この観艦式が神戸港沖で行われ、行幸された天皇は、そのお帰りの途中、京都御所に立寄られ、皇后さまのお出迎えを受けられた。
 京都御所は明治天皇にとって、格別思い出の多い御所であった。天皇が嘉永五年にお生れになってから幕末、維新という激動の歴史の中で二十年間にわたってお住いになっておられただけに御所はなつかしいふるさとでもあった。御所におはいりになった天皇の追憶は慶応二年十二月二十五日、父君孝明天皇がなくなられたときにさかのぼる。
第2回
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 石崎吉嗣(明治天皇[幼帝])
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 南原宏治(坂本龍馬)
 石井竜一(大久保市蔵)
 松山容子(中山慶子)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 原 健策
 永田将光
 高松英郎(松平容保)
 原聖四郎
 和崎俊也(西郷吉之助)
〈あらすじ〉慶応三年、幕府は諸外国から開港を迫られ、また長州征伐のあと始末という大問題をかかえ、二条城内の徳川慶喜は苦悩していた。だが尊皇の志の厚い慶喜は主戦派の意見をしりぞけ、兵庫開港、長州征伐中止を決意、天皇の御裁可を仰ぐべく参内する。
 宮中の意見も二つにわかれまとまらなかったが、十六歳の若き天皇は、この二つを裁可、明治天皇初の勅許で日本は新しい時代へ一歩をふみ出した。
第3回 
 石倉英彦(明治天皇)
 田村高廣(勝安房守)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 松山容子(中山慶子)
 高野通子(ゆき)
 南原宏治(坂本龍馬)
 平井昌一(中岡慎太郎)
 高松英郎(松平容保)
 中村玉緒(お鳥)
 山形 勲(中山忠能)
 原 健策
 沼田曜一(後藤象二郎)
 石井竜一(大久保市蔵)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
〈あらすじ〉坂本竜馬らが起草した大政奉還の建白書は、土佐藩主山内容堂から将軍家に差出された。慶喜は、松平容保ら反対派の意見を退け、明治天皇に大政奉還の上奏文を奉った。ときに慶応三年十月十五日、徳川三百年の天下は終りを告げた。将軍家の大政奉還は、江戸市中に異常な興奮と不安をよび、慶喜の真意を解せぬ松平容保らは薩長と一戦まじえようと動き、勝安房の努力で戦火は避けられたが、坂本竜馬は中岡とともに王政復古を前に暗殺された……。
第4回
 石倉英彦(明治天皇)
 山形 勲(中山忠能)
 南原宏治(坂本龍馬)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 沼田曜一(後藤象二郎)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 松山容子(中山慶子)
 高野通子(ゆき)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 石井竜一(大久保市蔵)
 徳大寺伸
〈あらすじ〉維新の大業を目前にして凶刃に倒れた坂本龍馬と中岡慎太郎の葬儀は、岩倉具視らが出席して土佐藩邸でおこなわれた。大久保市蔵たち血気の志士は、暴には暴をもってせよといきまいたが、竜馬の妹ゆきの「亡き兄の意思を貫いて下さい」ということばに一同は心をうたれた……。
 人々がバカ踊りに熱中して世間が騒然とする中、岩倉を中心に王政復古の動きは進み、慶応三年十二月九日、王政復古の大号令は発せられた。この日、御所は西郷吉之助が率いる勤皇軍によって警固され、若き天皇は王政復古の詔勅を読上げた。
 西郷らの志士たちは、参与の職を与えられ、新政府の要人となった。しかし、徳川慶喜の名は、その中にはなかった。松平容保はその理非をただすべしと強く主張する。そして、御前会議の席上、徳川慶喜の処置について議論が沸騰する……。
第5回
 石倉英彦(明治天皇)
 石崎吉嗣(明治天皇[幼帝])
 山形 勲(中山忠能)
 中村玉緒(お鳥)
 松山容子(中山慶子)
 高松英郎(松平容保)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 宇治みさ子(幾松)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 御木本伸介(桂小五郎)
 高野通子(ゆき)
 天津 敏(天野八郎)
〈あらすじ〉御前会議で徳川慶喜の新政府参画は拒否され、そのうえ知行も没収されることになった。これを知った松平容保らはたけり立ち新政府と幕軍の間に一触即発の危機が生れた。若き天皇の憂慮を知って慶喜は都を落ちる……。
第6回 鳥羽・伏見の戦い
 石倉英彦(明治天皇)
 山形 勲(中山忠能)
 中村玉緒(お鳥)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 松山容子(中山慶子)
 高松英郎(松平容保)
 御木本伸介(桂小五郎)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 夏目俊二(三条実美)
 上杉高也(土方歳三)
 原 健策
 和崎俊也(西郷吉之助)
 高野通子(ゆき)
〈あらすじ〉慶応四年一月二日夜、鳥羽伏見街道で政府軍と幕軍は戦火をまじえた――開戦のいきさつを中心に、戦火の拡大を憂える若き天皇の苦慮、徳川慶喜らの和平への努力、それに新しい時代への動きを見ようとするお鳥の姿などを描く。
 大阪城に退いて、新政府にひたすら恭順の意を示す慶喜は、幕府部武器を援助しようというフランス公使の申出を拒絶し、松平容保以下の動きをおさえつづけた。しかし、鳥羽伏見街道に位置する幕軍や二条城にある幕兵たちの薩長をうらむ激しい動きはどうすることもできなかった。
 こうした動きを心配された天皇は、岩倉具視らに打開策を講ずるよう命じたが、新政府内において、三条実美、錦小路らの武力討伐の意見をおさえた岩倉らの努力もむなしく、戊辰の役が始まった。
第7回 天皇と和の宮
 石倉英彦(明治天皇)
 佐治田恵子(静寛院宮)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 田村高廣(勝安房守)
 中村玉緒(お鳥)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 山形 勲(中山忠能)
 高松英郎(松平容保)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 御木本伸介(桂小五郎)
 石井竜一(大久保市蔵)
 松山容子(中山慶子)
 高野通子(ゆき)
〈あらすじ〉鳥羽伏見の戦いでは新政府軍が勝利をおさめ、幕軍はついに朝敵の汚名を冠せられた。慶喜は海路江戸へ落ち、幕軍を追う東征軍はは、西郷吉之助を大参謀に江戸へ向った。江戸城内外には、なおも過激な意見が満ちていたが、それでもなお恭順の意を示す慶喜の心情をくんで、静寛院宮は天皇にあてて嘆願書を出した。しかし天皇は、天皇なるが故に叔母宮への私情を捨てねばならなかった。若き天皇は悲しみのうちに、静寛院宮の嘆願書を却下した……。
第8回 五箇条御誓文
 石倉英彦(明治天皇)
 田村高廣(勝安房守)
 清川新吾(海江田信義)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 江田嶋隆(益満休之助)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 天津 敏(天野八郎)
 佐治田恵子(静寛院宮)
 中村玉緒(お鳥)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 新宮寺寛
〈あらすじ〉徳川慶喜は、江戸城を退出して寛永寺に移り謹慎した。
 一方、勝海舟は、天野八郎以下彰義隊を戒め、江戸を戦火から救おうと、山岡鉄太郎と益満休之助に、西郷吉之助への親書を託した。
 西郷は、勝の国を思う心にうたれ、慶喜の処置について、命をとして、新政府に当たる決意を固め、京都へ向かった。
 京都では新生日本の大方針を示す「五箇条御誓文」が若き天皇自らの検討できまり発表される。
第9回 薩摩屋敷の会見
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 田村高廣(勝安房守)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 中村玉緒(お鳥)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 天津 敏(天野八郎)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 江田嶋隆(益満休之助)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
〈あらすじ〉江戸城総攻撃の前日、慶応四年三月十四日、江戸薩摩屋敷で西郷吉之助と勝安房守が会見、江戸を戦火から救おうとする二人の考えは一致し江戸城の無血明渡しのことはきまった。同じ日京都では若き天皇が「五箇条御誓文」を読上げていた。
第10回 江戸城明け渡し
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 高田浩吉(徳川慶喜)
 田村高廣(勝安房守)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 中村玉緒(お鳥)
 佐治田恵子(静寛院宮)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 天津 敏(天野八郎)
 清川新吾(海江田信義)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
〈あらすじ〉慶応四年四月四日、新政府は、勝安房守と西郷吉之助の請願を入れて、徳川慶喜の死罪一等を許し、水戸へ謹慎を命じた。
 江戸城の無血明渡しの日、城には勝安房守の命令で一兵も姿を見せず、これを受取る海江田信義参謀以下三人で静かに明渡しが行われた。
 ここに、西郷と勝の案じた江戸城明け渡しは、無事無血のうちになった。
 そのころ、慶喜は江戸市民と旧幕臣のおえつの声を耳にしながら、千住大橋を渡り、生家水戸へと落ちていった。
第11回 彰義隊の戦い
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 天津 敏(天野八郎)
 田村高廣(勝安房守)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 中村玉緒(お鳥)
 山形 勲(中山忠能)
 清川新吾(海江田信義)
 夏目俊二(三条実美)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 佐治田恵子(静寛院宮)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 松山容子(中山慶子)
〈あらすじ〉明治三十五年に徳川慶喜は謹慎を解かれて皇居に参内し、天皇から公爵を授けられた。思えば三十五年前に慶喜は「江戸城は徳川家が天皇に献上できる唯一の城。一木一草といえども傷つけずにお渡し申せ」と勝安房守に命じたことがのちに江戸城が皇居になるきっかけとなったのであった。そして、その当時、まだ若かった天皇は慶喜のことばに感動され、三条実美を勅使として江戸城視察に派遣された。天皇の心中にはやがて江戸を東の都とするお気持を持たれていたのであった。
 しかし江戸では慶喜の江戸城明渡し後も幕臣として最後の武士道を貫こうとする彰義隊の動きはやまず、天野八郎ら三千余人が上野・寛永寺に立てこもり、ことごとに官軍と衝突した。勝安房守と山岡鉄太郎の旧幕臣の心ある人たちは彰義隊の暴挙を戒め、西郷吉之助も官軍の挑発を押えるのに苦心したがそのかいもなく、ついに寛永寺に戦火があがった。
 今夜は、京都仁和寺境内で行われた彰義隊上野寛永寺黒門口の戦いの大ロケーションをハイライトに、彰義隊の悲惨な最期を描く。
第12回 白虎隊
 石倉英彦(明治天皇)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 夏目俊二(三条実美)
 和崎俊也(西郷吉之助)
 清川新吾(海江田信義)
 江田嶋隆(益満休之助)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 高松英郎(松平容保)
 曽我廼家明蝶(西郷頼母)
 小林重四郎
 早瀬雅夫
 手塚しげお
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 中村玉緒(お鳥)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 戸浦六宏(日向内記)
 高田夕紀夫
 阿井美千子
〈あらすじ〉彰義隊は敗れたが最後まで恭順しようとせず薩長を憎む会津藩主松平容保は、藩を挙げて官軍の攻撃に抵抗した。しかし、物量にまさる官軍は次々要所を破り、ついに若松城下に迫った。
 容保は十七歳以下の日新館の生徒たちに白虎隊を編成させ、最後の抵抗を試みたが、ついに敗れた。白虎隊は飯盛山にのがれ、全員二十二人、壮烈な自決をとげた。
第13回 天皇と東京遷都
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(一条美子)
 中村玉緒(お鳥)
 田村高廣(勝安房守)
 石崎吉嗣(明治天皇[幼帝])
 丹波哲郎(榎本武揚)
 夏目俊二(三条実美)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 佐治田恵子(静寛院宮)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 本郷秀雄(新門辰五郎) 
 天津 敏(天野八郎)
 平井昌一(中岡慎太郎)
 宇治みさ子(幾松)
〈あらすじ〉榎本武揚らは五稜郭に立てこもって最後の抵抗を試みた。戦火の拡大を憂いながらも若き天皇は東京遷都の決意を胸に明治元年十月十三日、東京へ行幸された。京都に帰って同十二月二十八日、一条家美子姫が皇后として迎えられ、翌年東京遷都がきまった。
第14回 五稜郭戦争
 石倉英彦(明治天皇)
 中村玉緒(お鳥)
 浪花千栄子
 伊藤栄子(皇后)
 江田嶋隆(益満休之助)
 上杉高也(土方歳三)
 新宮寺寛
 田村高廣(勝安房守)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 丹波哲郎(榎本武揚)
 松山容子(中山慶子)
 山形 勲(中山忠能)
〈あらすじ〉東京遷都が行われて、明治新政府の基礎はゆるがぬものとなった。しかし、五稜郭にたてこもる榎本武揚ら三千余の旧幕臣は、激しく抵抗した。そして明治二年三月十五日、武揚は旧幕府軍から奪った軍艦「回天」で宮古湾を襲撃、五稜郭戦争の火ぶたは切られた。
 「回天」の体当たりシーンは京都・亀岡の日本電波映画オープン・セットのプールで大がかりな照明を使用して行なわれたもの。
第15回 嵐の観兵式
 石倉英彦(明治天皇)
 石崎吉嗣(明治天皇[幼帝])
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 夏目俊二(三条実美)
 矢野圭一(伊藤博文)
 田村高廣(勝安房守)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 石井竜一(大久保利通)
 中村玉緒(お鳥)
 宇治みさ子(幾松)
 本郷秀雄(新門辰五郎)
 浪花千栄子
〈あらすじ〉明治二年五月十八日、五稜郭の榎本武揚が降伏し、戦火はおさまった。明治天皇は五箇条御誓文の趣旨に従いつぎつぎと政治改革に着手された。
 国旗の制定のほか、天皇みずから種痘をうけられるなど、国民の天皇に対する敬愛の念は強まった。
 この年、越中島で初の観兵式が挙行された……。
第16回 天皇と荒武者侍従
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 浪花千栄子
 中村玉緒(お鳥)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 若井はんじ
 若井けんじ
 南 道郎(高島鞆之助)
 本郷 淳(村田新八)
 三津田健
 山形 勲(中山忠能)
 和崎俊也(西郷隆盛)
〈あらすじ〉明治四年七月十四日、廃藩置県が発令された。次々と政治改革が実行され、新生日本の躍進はめざましかった。しかし、過渡期だけに、行き過ぎは否めず、新旧雑然とした様相もあった。
 その混乱を正すため、天皇はみずから範をたれて断髪、洋服に変えられたほか侍従制度を確立、皇居に大革新を断行された。
 八人の荒武者侍従たちと天皇、皇后の心の交流を中心に描く。
第17回 天皇と侍従山岡
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 丹波哲郎(榎本武揚)
 南 道郎(高島鞆之助)
 中村玉緒(お鳥)
 浪花千栄子
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 本郷 淳(村田新八)
 三津田健
 若井はんじ
 若井けんじ
〈あらすじ〉明治四年八月、宮中大改革が行われ、八人の荒武者侍従の参内によって、天皇の若さは爆発した。八人の侍従との交流は若き天皇にとって青春そのものといえた。議論、酒宴が深夜まで続いた。
 そんなとき山岡鉄太郎は天皇のお召によって旧幕臣初の侍従として皇居にはいったが、中山大納言より天皇の御酒が過ぎるのを聞き、ひそかに決意するものがあった。ある夜、天皇が高島、村田両侍従に、腕相撲を求められ、二人がわざとまけるのを怒られた天皇に山岡は身をもってかん言した。天皇を投げとばした事件を通して天皇の慈愛、山岡の忠節を描く。
第18回 征韓論
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 根上 淳(板垣退助)
 御木本伸介(木戸準一郎)
 夏目俊二(三条実美)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 石井竜一(大久保利通)
 沼田曜一(後藤象二郎)
 三津田健
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 竜崎一郎(岩倉具視)
〈あらすじ〉朝鮮半島で排日運動が盛んになった明治六年一月、政府内部で征韓論が激化、朝鮮うつべしと主張する西郷と板垣、外遊から帰った岩倉、大久保らは国力充実と国内の政治的安定が第一としてこれに反対した。
 そしてついに最悪の事態がおとずれた。西郷、板垣、後藤らがそろって辞表を提出したのである。征韓論をめぐる重臣の分裂、西郷らの辞表提出、若き天皇の心痛などを描いていく。
第19回 天皇と馬子唄
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 中村玉緒(お鳥)
 浪花千栄子
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 森川 信
 山形 勲(中山忠能)
 田村高廣(勝安房守)
 高田浩吉(徳川慶喜)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 石井竜一(大久保利通)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 宇治みさ子(幾松)
 江木俊夫
 香島ラッキー
 轟 謙二(桐野利秋)
〈あらすじ〉征韓論に敗れて故郷の鹿児島へ帰った西郷を慕って桐野利秋、村田新八、島義勇らの侍従も官位を辞して鹿児島へ去っていった。
 信任厚かった西郷の下野は若き天皇に深い苦悩を与えた。天皇の命で鹿児島へ渡った山岡鉄太郎の説得も、西郷を翻意させることはできなかった。
 そうした困惑の日々に、わずかに天皇の心をやわらげたのは東北ご旅行での、天皇に対する民衆の敬愛の声であった。
第20回 習志野の月
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 御木本伸介(木戸準一郎)
 石井竜一(大久保利通)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 田村高廣(勝安房守)
 小瀬 格(大山綱良)
 轟 謙二(桐野利秋)
 鎗田順吉
 本郷 淳(村田新八)
 中村玉緒(お鳥)
 ジェリー伊藤(ベルツ博士)
 武藤英司
〈あらすじ〉東北ご旅行における国民の喜びの声は、西郷の下野で日夜苦悩されていた天皇には、ひとときの安らぎであった。だが、鹿児島の西郷をめぐる旧士族の動きが激化、政府は鹿児島県令大山綱良を召還して士族への余録制度を強要、私学出の県役人の首切りを命じるなどの圧迫を加えはじめた。西郷と、大久保を中心とする政府とのミゾは深まる一方で勝安房守の情理をつくした大久保への説得もむなしかった。
 月の夜、天皇は習志野において大演習を行ばわれたが、西郷をしのばれる天皇のもとへ、熊本の神風党による暴動の知らせが入った。西郷隆盛の悲劇を予告する最初の凶報であった。
第21回 火薬庫爆発
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 浪花千栄子
 中村玉緒(お鳥)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 田村高廣(勝安房守)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 ジェリー伊藤(ベルツ博士)
 石井竜一(大久保利通)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 山形 勲(中山忠能)
 武藤英司
 御木本伸介(木戸準一郎)
 国友和歌子
 堀川 誠
 轟 謙二(桐野利秋)
 本郷 淳(村田新八)
 宇治みさ子
 南 道郎(高島鞆之助)
〈あらすじ〉神風連の反乱、萩の乱、思案橋事件など、相次ぐ暴動の首謀とみられた西郷吉之助は、天皇に対する忠節のため自重し、鹿児島で静かな余生を送ろうと努めた。だが明治十年二月十五日、各地の乱に刺激された私学校生徒らは、火薬庫爆発事件を機にほう起、西郷も薩南の若者一万三千人を率いて立ち上がった。
 そのころ天皇は、皇后とともに京都、大和にお出かけになっていたが、西郷ほう起の報に、信任厚い彼を賊として征討すべき勅令を発せざるを得なかった。
第22回 西南の役
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 御木本伸介(木戸準一郎)
 石井竜一(大久保利通)
 矢野圭一(伊藤博文)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 南 宏(谷干城)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 仲谷 昇(乃木希典)
 中村玉緒(お鳥)
 浪花千栄子
〈あらすじ〉明治十年、西郷は政治改革を旗印に兵をあげ、二月十九日、天皇は、信任厚かった西郷を涙ながら逆賊として征討の勅許を発せられた。西郷軍は熊本城を攻めたてたが鎮台司令官谷干城は、よく守り抜いた。
 今夜は、熊本鎮台に端を発した西南戦争を、熊本、田原坂を最後の決戦場に選んだ西郷軍の猛反撃を中心に、江戸城無血開城以来の親友、山岡鉄太郎の西郷を救おうとする努力と、天皇の傷病兵に対する慈愛あふれる行動などを描く。
第23回 城山攻め
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 夏目俊二(三条実美)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 中村玉緒(お鳥)
 和崎俊也(西郷隆盛)
 石井竜一(大久保利通)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 御木本伸介(木戸準一郎)
 ジェリー伊藤(ベルツ博士)
 田村高廣(勝安房守)
 宇治みさ子(幾松)
 浪花千栄子
〈あらすじ〉田原坂の戦いで敗れた西郷軍は城山にこもって最後の決戦を迎えたが、ここでも全八個旅団という官軍の総攻撃にはひとたまりもなく、ついに明治十年九月二十四日、城山は陥落、西郷隆盛は自刃した。
 城山の陥落と、西郷隆盛の最後を中心に木戸準一郎の死やお鳥の戦場看護婦志願をエピソードにまじえて描く。
第24回 紀尾井坂の変
 石倉英彦(明治天皇)
 伊藤栄子(皇后)
 山形 勲(中山忠能)
 浪花千栄子
 中村玉緒(お鳥)
 根上 淳(板垣退助)
 御木本伸介(木戸準一郎)
 松山容子(中山慶子)
 夏目俊二(三条実美)
 石井竜一(大久保利通)
 中山昭二(島田一郎)
 竜崎一郎(岩倉具視)
〈あらすじ〉西南戦争は終わったが、国情はいぜんこんとんとした様相を呈していた。征韓論に敗れたあと野に下った板垣退助の自由民権運動はますます激しく、国民参政権を求める声は全国に広がっていった。
 こうした中で内務卿大久保利通は警察権力による言論弾圧をはかり、また国家財政を建て直すための公債募集を建議するなど強引な富国強兵策を打ち出した。これが反政府の過激派を刺激し、明治十一年五月十四日、大久保は島田一郎ら壮士グループの凶刃に倒れる……。
最終回(第25回)竹橋事件
 市村羽左衛門(明治天皇)
 石倉英彦(明治天皇[若帝])
 伊藤栄子(皇后)
 根上 淳(板垣退助)
 中村玉緒(お鳥)
 倉丘伸太郎(山岡鉄太郎)
 山形 勲(中山忠能)
 松山容子(中山慶子)
 石井竜一(大久保利通)
 竜崎一郎(岩倉具視)
 矢野圭一(伊藤博文)
 浪花千栄子
〈あらすじ〉大久保内務卿の暗殺事件は、天皇には激しい衝撃だったが、いつまでも深い悲しみに暮れていることはできなかった。板垣退助、後藤象二郎らを指導者とする自由民権運動は急激な勢いで国内にひろまった。
 その動きはついに軍隊内にも及び、近衛砲兵連隊のなかでは一部の兵士たちが武装ほう起の計画を立てていた。彼らは西南戦争での論功行賞に不満を抱くあまり、反政府運動に走ろうとしていたのだが、一方で自由民権の理論を実行に移すための口火を切るつもりだった。そして天皇が北陸巡幸のため赤坂離宮へと立寄る機会をねらった……。
大河ドラマ+時代劇 登場人物配役事典
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